日々、ポケットへつめこんでおいたこと。
DiaryINDEXpastwill


2004年09月16日(木) 寂しさを全部消しさることなんてできないのかもしれないけど。

何気なくテレビのチャンネルを変えたら、NHKで何か良さそうなドキュメンタリーをやっているようだったので、そのまま見ました。『ご近所の底力 絵はがきがつなぐ夏』というのでした。

独り住まいの老人が多いある団地のことです。
昭和30年代、団地ができた頃は若い家族ばかり、当時は団地生活というのは憧れの的だったそうで、そこに暮らす人々は活気にあふれ、皆健康で、よく働いてよく笑った。
ところが今はどうだろう。いつのまにかみんな歳をとった。子は親元を離れる。奥さん、あるいは旦那さんに先立たれる。みんながいなくても大丈夫、自分のことは自分でできるはず。だったのに、ひとりになって初めて気付く寂しさ、孤独。体も言うことをきかなくなってきた。大きくなるばかりの不安。そんなことから、家にひとり、ひきこもってしまう老人が多いのだそうです。

そこで、同じ団地に暮らす人々が考え出したのが、月に一度の絵はがき配達でした。近くの保育園や小学校の子たちに絵てがみを書いてもらい、それを一人暮らしの老人たちに届けるというものです。子どもたちからの手紙が、少しでも日々の楽しみになってくれれば、というものだったのだと思います。

しかしお年寄りの受けとり方は様々でした。
喜んで受けとる方もあれば、いらない、という人もいるのです。
その心中は、わたしたちが単純に善かれと思ってやっているようでは、到底気が付けないものでした。

あるひとは、子どもの絵に心を動かされ、それに誘われるように自分でも描くようになりました。そのひとは、ずっと家にひきこもっていて、ひとと話すことがこわかった。緊張して上手に会話ができない。でも手紙をくれた子どもたちに返事をかいて、小学校に届けました。誰かに届けることで、少しずつ前を向けるようになり、絵がきっかけで、友人もできたのです。誰かと一緒にいられることの安心。久しぶりの、誰かと一緒の笑い声。

あるひとは、わたしのためにこんなふうに子どもに手紙を書かせて悪い、だからもうはがきはいらないと言います。わたしのために、こんな面倒、見知らぬ子どもにまでかけたくない。誰にも迷惑をかけたくない。誰にも心配されたくない。
だから、病気になって苦しくなっても、助けは呼ばない。誰にも迷惑をかけずに死にたいのです、だから、夜眠る時、このまま朝目がさめなければいいのに、と言うのです。

あるひとは末期の癌です。だけれど、家で生活をしています。いつまで生きられるかわからないけれど、自分の最期は病院でなく、家で過ごしたい。毎月届けられるはがき、1枚ずつ増えていくはがきは、またひと月生きることができたという、一つの目標のような、支えのようなものになっていると言います。

とにかくわたしは、こんなふうに寂しさや孤独を抱え込んで生きている、年老いた人々の姿を見て涙が止まらなかったのですが、こういう寂しさや不安って、今わたしにだってあるし、きっとみんな、あると思うのです。
わたしは今はまだ若いし、えいやーとなるべく背筋正して生きているけれど、いつか寂しさでつぶれそうになったらどうすればいいだろう。いつか歳をとったとき、ひとりでにこにこしていられるだろうか。

最後に書いた癌の老人は、家にいるとき必ず家の扉を少し開けておきます。自分はここにいますよ、だからどなたもどうぞお上がり下さいという合図なのだそうです。そうすると、そこにはたくさんの仲間や友人が上がってきます。みんな差し入れをもったり、花札をしたり、おしゃべりしたり。みんな心配して来ているというのもあるのでしょうが、お見舞いというよりは本当に仲間という感じで、とてもあたたかかった。
寂しさを全部消し去ることなんてできないのかもしれないけれど、ごまかしながらでも、笑いながらいきていければ良いと思うのです。
そういうことの強さが、すごく伝わってきました。それはいつか、ごまかしなんかじゃなくなって、本当になるのよ。

人間はとても頭が良くて優れた生物かもしれないけれど、一人じゃまったく意味をなさないものなのだなー。

最近殺人事件多くない?なんなのさと思うよ。

もっとどうすればいいとか言うつもりもないけどさ、殺人事件なんてのは孤独がうみだした悪魔だよね。こわいこわい。

オザケンでも聴いて心を正して眠りなよ。


いり |HomePage