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| 2004年12月21日(火) |
かなしいこと・・・あなたへ |
悲しいことや辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、心残りなこと、やりきれないこと、理不尽なこと、・・・色々、色々・・・とにかく、かなしいことたち。
人は言うよ。 自分でも、言い聞かせるよ。
神様がいるとして、かなしいことたちは、それを乗り越えられない人には起きない、乗り越えられるから起こっているし、乗り越え、振り返った時に、強くなり、優しくなり、成長した自分に気付くほどには、時間がかかるかもしれないけれど、必ずその時には、「あのかなしみがあって、ある意味、今は良かったと思う」と、思うものだ、って。 でも何故、それが私なのだ? きちんと生活している、努力家のあなたなのだ? それに・・・ でも、果たしてそうだろうか、と思う。 確かに、かなしみを経験した人には、格別の強さと優しさがある。人の痛みがわかる人になりたいと、よく言うが、計り知れないのだ。同じ経験をしても、同じような経験をしても、同じようなかなしみを経験しても、だから相当の想像力が要る。痛みをわかろうとしてくれると感じる人は、そういう安心をくれる人は、そういう人だ。必ずしもかなしみを経験した人が、他人の痛みに敏感かというとそうではないので、ココロを委ねることは難しい。打ち明けることすら難しい。 逆に、 同じようなかなしみを経験しなくても、痛みのわかる人はわかる。 だから思うのだ、「果たしてそうだろうか」と。 必ずしも、乗り越えたからといって、強さと優しさを獲得するわけではない。本人にとって、乗り越えられそうもないかなしみを乗り越えるのだ、それだけで力尽きるほどだろう。 こうも考えてみる。 もしかしたら、まだ乗り越えられない人の方が、かなしみが時を経て穏やかになりはしたが、乗り越えられずに共存するしかないと持ち続ける人が、痛みのわかる人なのかもしれない。 だけど、経験者でなくても、痛みをわかろうとする強さとやさしさと、想像力を持ち合わせている人はいるのだから。 そうだとすれば・・・ すべて忘れられるほうがはるかにいい。強くはなるだろう。優しさや痛みは?誰かに優しくなり人の痛みに敏感になるのは、想像力で補えばいい。だから、早く、乗り越えられないかなしみから解放されるために、すべて忘れてしまえればいい。 それがしあわせへの近道で、平和な日々への近道なら。 お願いだから、忘れさせてください。開放させてください。
でも、かなしいところにいきついた日々や、往々にして日々、主にかなしみばかり思い出される日々の中にすら、人は楽しかったり、幸せだったり、暖かかったり、希望を感じたりした一瞬があって、すべてを忘れるということは、それも忘れるということで、だからこそ、あまりのつらさにもう自分は耐えられないに違いないと、いっそ白旗をあげて記憶喪失になりないなんて、極端なことを思ったりする。と、同時に、実際そうならざるをえなかった人は、かなしみしかなかったのか、と、想像を絶する。そして、私が、ならなかったということは、耐えられるだけ、耐えるに値する何か忘れたくない気持ち、記憶が、そのかなしみの内にあるのだろう。私が、忘れたくないのだ、私が開放させないのだ。 ならば・・・ かなしみやくるしみだけ忘れて、しあわせだけ覚えていられたら、どんなにいいだろう。 あつかましいお願いか・・・。叶わないから、願うのか。
では、叶うだろう願いを・・・ 願わくば、あなたの傍らに、あなたの愛する人が、あなたを愛する人がいますように。健やかなる時も病める時もあなたが、心安らかに居られる人が傍にいますように。あなたが素直に気持ちを伝えられる人がいますように。 そして、穏やかに、決して無理も我慢もせずに、かなしみを消化できますように。浄化されたかなしみの、内にあったしあわせが、あなたの一部になる日がきますように。 もし、かなしみやくるしみと闘わなくてはならない人が居たら、それでも一人だと思わないで、すぐ傍に、ほとんどすべてを共有できる家族や恋人はいないかもしれないけれど、少しでもあなたの力になりたいと、あなたのかなしみがなんとかやわらがないかと願う友は、味方は、今、あなたが気付けなくても、必ず居ると、どうかあなたが信じられますように。
冬キタリナバ春トオカラズ
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、そう信じている。へこたれて、信じられなくなる時もあるけど、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、それだけを頼りに。 「明けない夜も、明日が来ないこともない」という。でも、夜明けが怖い日もある。明日が来るのが怖い日もある。よるが明けても、明日がきても、冬だから。春は来て、夏の予感もするのに、私は冬に居るから。私の春は遠いから。まだまだ見えないから。でも、信じる。そして、春は遠くとも、コハルビヨリを、探してひだまる。本当の春は、きっとくる。きっと、きっと。 そして、よりどころに、結局思うのだ。いつか、春が来たら、無いに越した事は無いかなしみも、それは、今の私には必要だったのだ、と、思える日が来たら、越冬したのだと。
あなたは、闘わないでね。愛し合う人の傍らで、今はゆっくり、希望にみちた夢をみるように、穏やかにゆっくり、ゆったり。決して無理をしないで、自然に笑顔がこぼれる日まで。
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