ドラマ!ドラマ!ドラマ!
DiaryINDEXpastwill


2002年06月03日(月) 銀ちゃーん、もとい、いのどーん

1982年だって、映画「鎌田行進曲」・・・20年だよー。今、映画観直したら、きっと驚くくらい二人はやっぱり老けてると思う。あきらかに風間杜夫は小太っているし・・・。もう「銀ちゃん、かっこいー!」なんて、とても言えないよな中年おじさまなのである。でも、子供の頃に「鎌田行進曲」を観た私にとっては風間杜夫は「銀ちゃん」なのである。っていうか、もう勝手にあだ名って感じだけど。最近こそ「風間さんテレビ出るね」とか言うけど、長いこと「あ、銀ちゃんだ」ってどんな役の風間杜夫に対しても言ってた。それは篠田三郎を「先生」と呼ぶのと同じくらい私にとっては普通のこと、ってこの例が私にしかわからないね。くすくす。

 明治座5月公演は『居残り佐平次〜次郎長恋の鞘当〜BAKUMATSU GRFFITI』。一応商業演劇の形をとりながらも、風間杜夫の座長公演というよりは、風間×平田のダブル座長ともいえるし、作・演出をやっている水谷龍二『星屑の会』×つかOBともいえるし、普段の商業演劇の座長を盛り立てるための脇役というより、全員が前へ出てきてこの二人と絡む。ちょっと異質な明治座公演ではないかしら?

 佐平次・・・何も知らずに聞くとええ名前に聞こえますが、元々は楽屋の隠語で、ペテン師、インチキ、おしゃべり、差し出口など、歌舞伎の楽屋を経て、演芸の世界へ、寄席の楽屋でベラベラおしゃべりするものを「佐平次をあがく」といったそうです。古典落語「居残り佐平次」がベースに。この居残り。これは廓遊びを支払う金もなく堂々とやってのけ、いざお会計になったら金はない、友人が持ってくるまで居残らせてもらって雑事でもしています、という、江戸庶民のバイタリティーと粋から生まれた、今では考えにくい、一種のペテン(?)。

 この日、仲間を集め品川の遊郭で遊び、それぞれから約束の少量の銭を集めた佐平次は、支払いは俺がやっとくから、この金を一人暮らしの母親にしばらく食いつなぐには充分だろうから届けてくれと頼み帰す。無一文の佐平次ははなから居残りをきめていて、余裕しゃくしゃく、若い衆をけむにまき、とっとと自分から布団部屋へ。この遊郭にお忍びでやってきた次郎長と子分の大政、小政。東海道にその名を馳せた大親分、清水の次郎長。水谷はここで、その後の次郎長とでもいうべき、大親分のかっこいいところでなく武骨で不器用な次郎長を登場させることで、従来にない「居残り佐平次」を展開していくことになる。

 このいけしゃーしゃーと、口からでまかせ、ほいほいと何でも請け負う、忙しい廓の細々とした若い衆の仕事から、お姉さんたちの内輪の用事までささっと聞いてのける、調子のいい佐平次、これがまた、風間杜夫うまいの。そうそう、佐平次だけど居残りなので「いのどんでよござんすよ」とお姉さんたちから「いのどん、いのどん」と呼ばれ、たった一日で廓中の人気者。
 一方、清水までの帰りにとちょっと一晩逗留するだけだった、次郎長親分が一番の売れっ子お梅に一目惚れ。風呂場で一緒になった佐平次に、お梅との仲を取り持って欲しいと頼んでしまったり。・・・と、ここのお風呂のシーンがよかったね。風間×平田、かたや居残り、かたや次郎長親分、だけどソレは隠密。気のいい旦那としか思っていない佐平次に酒をすすめながら、「江戸っ子かい?神田の生れだってね」「飲みねぇ、飲みねぇ」とお約束のセリフもありながら、この関八州じゃ一番の親分は誰だ?と質問される。なかなかでてこない次郎長の名前にしびれをきらしつつ、最後には「あの親分が一番だねぇ」を引き出し「飲みねぇ飲みねぇ」・・・この息の合い方は、数日の稽古だけでは出ないでしょうっていうもう、嬉しくなっちゃうとこですね。他にも、のちに、かくまってた娘がばれるとことか、色々ありまして、まぁまぁ、喜ばせてくれました。

 ところで、ま、その、身請けが嫌で逃げようとして結局、親分の部屋でかくまわれることになるお光。お勤めがあけたあとのことを約束し、普通は一人の人にしか書かない起請文を何人にもくばっていてばれるお染。ちょっとした宿にと投宿した薩摩浪士の中で高崎(ラサール)がお梅に資金を入れ揚げてしまってまだ赤が出る。そんなこんなで丁度問題が噴出してきた時に、佐平次のあまりの働きのよさ、気配りに、客からも重宝され、居残りのくせにお客から祝儀はもらうわ、お姉さんたちの用事を小額で請負、かせいでいる。若い衆はそれが面白くないので(ご祝儀もってかれてますから)主人に佐平次を追い出すよう頼む。主人がいのどんに言うのだけれど「すまないが出ていってもらえないかね?居残りの分の金はいつでもいい。突然出て行けと言われてもこまるだろうから、これは旅の路金に」とお金までもらい、主人の羽織までちゃっかりいただき、居残り佐平次は店を出る。

 さてさて、物語は大詰め、金に窮した薩摩浪士はこれは国のためだから、援助してもらうのが筋で、払う義務はないと勝手な理屈を通そうと思いつき、派手などんちゃん騒ぎをその夜にやる。お染の問題は佐平次が出ていく前にうまくごまかし落着。そしてお光のことも、こうなったら別の身請け人として次郎長親分をでっちあげ、サイコロ勝負(いかさま)して落着。次郎長親分にしてみればホンモノなんだけど、佐平次他、誰もソレを知らない。だから、次郎長の次郎長ぶりに「いよ、なりきってるねー」「そこまでやらなくても」とか、チャチャを入れる。このあたりもうまかった。で、問題のどんちゃん騒ぎだけが残った。この時点で佐平次はもういない。次郎長が「好いた男がいるから」と「親分は本当にいい人だけれど、こればっかりは・・・」と断られ、潔く引き下がった相手のお梅。薩摩浪士の中でも傍若無人者が、暴れだし、ついにそのお梅を廓遊びのルールも何もなく力でなんとかしようとする。それを見かねた親分が、またひとはだ、清水の次郎長としてお梅のために一勝負、命がけでやろうじゃないの、っていうことに。ここからがチャンチャンバラバラ。

 明治座の廻り舞台を暗転を使わないように、フルに使いたい水谷演出とは言え、それまでの幕では気になっていた、廻り舞台の多用が、実はここのチャンバラシーンでごっつう生きてくるという。二階と一階の廊下をはさんでこちら側とあちら側、ひとつの建物が廻って廻って。一方に、あの「鎌田行進曲」の階段落ちを思い出させるような階段がございまして。お約束に小宮さんが落ちてました。こういう遊びも、わざとらしくなく、いい塩梅でした。最初の登場も、客電が落ち、するすると、普段、歌舞伎で言うと「人間」のあがってこない七三というすっぽんから、高座をまねた落語家(風間)がセリあがり、枕のようにこの話のさわりを語り、気がつくと、本舞台の方が薄いすける幕ごしに、廓の生活が動いている。すっぽんがさがるのとその幕があがるのとのタイミングもよく。また、もちろん、せっかくの花道ですから揚幕をシャッときって次郎長親分がさっそうと登場。いい男じゃないですか、子分にシンパイされている親分、清水の次郎長であっても、やっぱり、平田さん言い顔、いい形。お座敷遊びのシーンも日舞をやってらっしゃる方もいるようで、中々。

 と、チャンバラシーンで舞台の使い方の話になりましたけど、最終的に若い衆の一人がいのどんを呼びに戻り、いのどんが意表をついて帰ってきて、丁度そこに雨が降り出し「この勝負、水入り」って、流血沙汰無く、終るという趣向。浪士たちはこそこそと、親分たちはさっそうと、それぞれ帰っていく中、いのどん佐平次はと言うと、ここで居残りつづける様子。お染に起請文を書いてと頼まれて、これはもしや自分にか?と思ったら、そこまでうまくはいきません、若い衆の一人まつどん(一人ホンモノの落語家花禄さん)がお相手だった、恋の鞘当は勝手にいのどんと親分がやっていただけ、という落ちですね。そして今日も、遊女でなく下働きとして働くことになったお光のお尻をおいかけるように雑巾がけをする、そんな調子のいい佐平次のひとこまで幕は降りる・・・。

 風間杜夫、平田満、色気があります。最初に、もう中年のおじさま、って書いたけど、それはね、それはね、あえて、なのよ。舞台で観て御覧なさい。もう、色気があるのよ。特に今回は時代劇でしょ、もうね、いい。風間さんは「カラオケマン」見てないんで、久し振りでしたけど平田さんは「阿修羅城の瞳」「ART」ときて今回の次郎長・・・。いい!もう素敵、なんともいえん色気がね、あるんですわ。あぁ、よかったよかった。
 最後に女優陣も、お梅が高橋由美子さんで、彼女も舞台なれしてきたのか、いい感じではじけてましてよかったです。そしてなにより、余さんはいいよねー。ホント素敵。いろっぺーし、ついていきます!みたいな、そんな感じがします。もう、こちらも「夢のカリフォルニア」の山崎ママをやりながらのお稽古とかだったと思うんですけどもう、全然違うの。素敵でした。

 この組み合わせ、風間×平田、また違う形で何年かに1回は見たいよねー。もったいないよ。マンネリとかそういうんじゃないもの。お江戸まで行った甲斐ありあり。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

My追加