ドラマ!ドラマ!ドラマ!
DiaryINDEXpastwill


2002年06月02日(日) 神経衰弱〜トレランス旗揚げ公演〜

 これは、江戸で観てきたお芝居です。難しいです。ただでさえ、かいつまんだり、ポイント押さえて観劇日記の書けない私ですが、これは、難題です。

 時間軸でいきましょう。まず、トレランス「神経衰弱」公演を知る。しばらくして、「フロイト派の精神分析医に通う占い師、彼女は話し出したら止まらないことを除けば、親切で愛嬌もある、しかし、束縛的愛情癖のために男に逃げられる。同じ分析医に通う妄想癖の強い小説家は、だらしなさから三度の離婚。ある日、スランプの小説家は占い師に偶然みてもらい、『神経衰弱』というタイトルの私小説を書く。ベストセラーになるが元妻たちに訴えられ、自殺志願・・・死のうとしたそのとき、ユングの亡霊が現れて・・・」というだいたいこんな芝居かな・・・っていうのを知る。(「話し出したら止まらない」・・・・妙に心に残る私・・・むむむ)

 役者さんの情報などから「いいしあがりになっている」「セルフセンス」というカラーヒーリングの専門家などの協力も得ている、彼女たちも絶賛している。そんなことを耳にして、迎えた本番。

 私は異常にドキドキしていた。もちろん、芝居をあまり見ない連れが「芝居ておもしろいね」って反応をしてくれるお芝居に私は誘えたのか・・・まだはじまりもしないのに、なんだか、気になる。それはつまり、私は、「全くわからない」状態で芝居をみているのに、やたら、気持入れ込んでる役者が気持入れ込んで芝居つくったわけだから、ってこともあるだろう。身内でもなんでもない、一ファンなのにさ、緊張しすぎだよ、私。

 はじまっても、私は見ながらドキドキしつづけていた。旗揚げ初日だといっても、よくこんな専門用語羅列の小難しい芝居をしようと思ったなーというのと、だからって、ちょっと「かんで」ない?「間」どうだった?とか・・・もちろん、かんでるのか、セリフ忘れたのか、演技なのか、わからないような精神科医役の陰山さんは、その微妙さがステキだし。チャルくんは結構頑張ってる。KONTAは生でサックスをやるのだが、カッコいい、BGMできっかけで、芝居の一部で・・・。セリフを話すと、カツゼツが悪くて、聞き取りにくいんだけど、独特の声がユングの亡霊にはあってたかも。長野さん以外の女優さんは、私ははじめてだが、明樹由佳さん他、とても魅力的だった。そして、里美さん。彼女はキュートだ、うまい。でも、この役はちょっとなんかの役を思い出しかねない・・・という出だし。演出もやってる上杉さん。どうなんだろう、小劇場的ギャグとか、「残念だーこれが関西ならトラ狂の嫁をもらった悲劇(?)とか、もっとリアリティーがあって受け入れられたろうに・・・」とか、なくてよかったんじゃないの的過剰演出とか思ったりもした。この物語を書いた本人でもあるんだけれど、どこにどうもっていきたいの?とか、心配になってくる。でも、以前江戸日記でも触れたが、彼は、空間の中で体だけで表現する時の手、視線、空気感、全てがうまい。昔はただ荒々しい、粗野な感じが大きくて、その中に微妙な繊細さを感じる時と、荒々しさを押さえてるのね、と感じる時とがあった。でも、今回久し振りに見て、バランスがいいし、私の言葉ではこれ以上今、思い浮かばないのだが、本当に上手い役者だなぁ、と思った。

 って、役者本意で見てしまったり、この物語の始まりと終わり、それを伝えるために、上杉という演出家が用意した演出プランと、舞台構成。そんなものが気になりすぎた。それは、別に私がこういう演劇日記をあとで書こうとか、思ってるからではないと思う。いいことか悪いことかわからないけれど、そういうところも気になったりするようになったってことだと思う。それが成長とかたくさん芝居を見れるようになったからとかも思ってない。上杉&長野ユニット旗揚げ、っていうスゴイことが、観るだけの私にも重圧があったのかもしれない。この難しいストーリーを洩れなく、受け止めなければ・・・。とか?

 物語自体は、意外な方向に進む。途中、この医者に通ってる、ってことすら、どちらかの夢なのか?という疑念が浮かんだり。どこまでが妄想なのか?そして、本当の精神分析医は、ここまで焦るように患者を追い込むのだろうか?「トラウマ」に行き当たった時点で、あなたは、それがあることを知った、と、「だからもう大丈夫」と言えるのだろうか・・・?
 女のトラウマは、子供の頃、病弱だった母に一度も抱かれた事がなかったこと。結構裕福で苦労はなかった、でも、母に抱かれたかったのに、一度もそれは叶わず、恐らく、それを母に口にすることもできなかった。男のトラウマは、意外な形で現れる・・・ユングの登場で「もうひとりの自分」とされていた影・チャルくんや、元妻が自分の兄弟として登場する。思い出すのだ、ある日、学校から帰ってきたら、母が服毒自殺していた。子供の彼は学校で習った歌を歌ってあげているうちに母親が目を醒まさないかと、祈るようにただ、歌い続けることしか出来なかった。「あの時、ぼくがすぐに誰かを呼んでいれば、母は死ななかったかもしれない」・・・それが彼のトラウマ。ユングの亡霊の登場、それは本物なのかすらわからないまま終る。ユングの亡霊の無意識ではユニバースにつながっているという、言葉通り、今、そのトラウマに負けてしまう女が、服毒自殺を図る。男は、助けられなかった母のかわりにその女を助けることで2人が抜けられるんじゃないかと、無意識の次元(だったかな?)を通り抜け、彼女を助けろ!とユングに薦められる。彼は彼女のそばに飛ばされる。そして、あの日、母に歌いつづけたように「ありさん」の歌を歌う。女が反応しはじめる。幻想的な空間になり、女は、かすかに微笑み、ユングの手下に抱き上げられたりしつつ象徴的に男と手をつないでその場を退場する。そして残った彼らにより、手話を思わせる腕のゆるやかな動きのダンス(?)で、幕。

 彼らは、結局、向こう岸にいってしまったのか?男は、このたび、母の替わりに彼女を救えたのか。彼女の意識は向こう岸から戻ってくるのか・・・・。解答は示されないままだ。

 長かったー。終った瞬間思った。でも、2時間だったのよ。あれ?退屈で長く感じたわけじゃない。濃密過ぎた?つめこみすぎた?もっと削げた?見ながらどきどきし、知らぬ間に芝居の世界が何かを考え始め、こういうもの?とさぐりながら、芝居に入り込んでいく。で、いいたかったことはなんだろう。時々煩雑だったので、演出とか、脚本の見直しが必要になってくるのではないだろうか・・・もしくは、セットの出入りとか・・・。諸々・・・その中でカーテンコール。上杉&長野の登場。2人の満足な微笑み、それを見た瞬間、いろんな全てが吹き飛んだ。それがいいことか甘いことかは別として。とにかく、スゴイ嬉しかった。2人にしても、初日だけにダメ出ししたいこと修正したいことがあっただろうが、ユニット旗揚げ!に関して、この作品を第一作に選んだことに悔いはない、そういう晴れやかな笑顔だった。涙が出てきた。もう、今まで考えてたこと、そんなことどうでもいい。「旗揚げ、初日、おめでとうございます。これからも良い芝居を提供ください」感無量。

 にもかかわらず、何故か、辛口アンケートを書く。反省。

 そして、この芝居を観て目からうろこが落ちた。観て、というより、同行のそれちゃんが何気に歩きながら、そのあとご飯食べながら言ったこと。まず、「良かった、良かった」言ってくれたのが私としても、良かったーーと思ったし、それより、数日たって、舞い上がってたので、彼女のどの言葉に深く「すげー」と思ったのか忘れてしまったのが残念だが、とにかく、映画やライブとかも観ている彼女だからかもしれないけれど、多少持っていた芝居というジャンルのものに対する先入観というものもあっても、いざ、板に乗ってる目の前の生の芝居を観ているとき、非常に、素直に、色んなアンテナ使ってみてるってこと。芝居好きの芝居のためのアンテナだけじゃないとこからも観てるってこと。もちろん、脚本が、音楽が、キャストが、演出が、流れが、って形、役割をかえて、映画でもライブでもあるだろうし、芝居観は、芝居観で、それが気になったりするけど、気になりすぎて、「アー、私、もっと単純にコネタさがしたり、でも全体見たり、とにかくもっと、変な思い入れとか捨ててみればよかったなぁ」それは、これから観ていく芝居もそうだなぁ。大収穫。

 そして、ホテルの部屋でパンフレットを読む。トレランスとは「寛大、寛容、包容力」という意味らしい。それについて役者のインタビューが載っている。それぞれの個性がうきぼりにされていて楽しく読んだ。でも、何より衝撃的だったのは、チラシには『話しすぎる女と話にならない男』と書かれているが、本当に言いたかったことのひとつは、『夜に太陽が見えないから、太陽は存在しないとか、昼に月が見えないから月が存在しないと、言っているのと同じこと・・・』ってことだったんだねー。

 上杉祥三という男の家族との思い、それは自分が今も影響を受けている上杉が乳幼児の時に死んでしまった姉と、父のことが主であるが、正直につづられていた。ここまでさらけていいの?っていうくらいに。この一緒に遊ぶこともなかった姉が青年期の上杉に知らない間に影響を与え、姉の影響について自覚しだしたころから、呪縛のようなものが消え、どちらかというと、この台本自体、彼女後押しして書かせてくれたものかもしれないと、その見えないけれど・・・確かに存在しているものに畏怖の念を抱いている。そして、医者を二度信じ、医者に二度裏切られたような亡くなった父親の死すら、それは、あの世での姉(娘)との邂逅のためかもしれないとすら、思っているという。そして、この作品はその2人に捧げたいと、しめくられていた。
 私は胸が締め付けられた。元気にパワフルに脳天気そうに生きているからと、淡々と日常を送っているからといって人の人生はそのまま見えるままではないとわかっている。もしかしたら、すごい十字架を背負っているのかもしれないし、どうしても持ち続けなければいけない思いを抱いているかもしれない。失敗とか、挫折とか、そういう苦しみや試練とはまた違う、何か宿命的な・・・。逃れるというよりは、そしてそれを恨むというよりは、共生していくという決意でもって臨まなければ、アイデンティティーが崩壊したり、生かされていることすらが償いのような・・・。

 あぁ、この芝居はきっともっと深遠で、でもスゴク実は重さは色々でも、身近に誰もがあるかもしれないことを取り扱っていたのかもしれない。もう一度、この公演を別の日に観れるのなら観たいとも思ったが、何年か先、トレランスとして幾つかの公演を経験した後の上杉祥三が、このままか、あるいは改訂して演出も、キャストもそのときのベストで、再演して欲しい、それにまた私は立ち会いたい、そんな私にとっても、持ちつづけたい作品の一つに、巡り会ったと思った。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

My追加