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2003年06月03日(火) 幸せを自分の手で掴む女(ヒト)


働いてるときに、仕事で知り合い、
お世話になった年上の女性から
ものすごく久しぶりにメールをもらった。
他愛ない日常の様子が書かれていたメールだったけど
なんだかとても嬉しかった。
働いているときは、メールよりもむしろ直接話していたし
どちらかというと、仕事に関わる内容の話が多かった。


いつだったか、彼女の半生を聞かせてもらったことがある。

行きたい高校があったけど、家庭の都合でそれがかなわず
中学卒業後すぐ住み込みの仕事に就いたことから始まって
結婚し、子供が産まれ、彼らを育て現在に至るまでに、
本当にたくさんの苦難と直面してきてる。

ここに全部書ききれないほど、たくさん。
しかも、普通の人以上の辛い現実にも直面してる。

でも、彼女は私と出会ったときから今もずっととても幸せそうだ。
一つ一つのハプニングと直面し、決して逃げることがなかった。
本人は「ただがむしゃらにやってきただけ」と言って笑うが、
その苦難を乗り越えるために、彼女自身も必死に動いていたし
必要と思えば、彼女の住む街の行政機関や子どもの通う学校に足を運んだらしい。

そのフットワークの軽さと、思い切りの良さ
それに、そうやってがむしゃらに生きてきたとは思えないほどの
可憐さ。人を思う優しさ。
そんな彼女に、私はあこがれたし、彼女のためにできることはしたいと思った。


彼女と初めて出会った頃、
私は仕事に追い立てられるような毎日を送っていた。
就きたくて就いた職場だったし、今でもその仕事をしていたことに誇りを持ってるけど、
心も体も悲鳴を上げているのに、そんなのお構いなしに
ひたすら働き続けるような感じだった。
それこそ、がむしゃらに。


彼女と出会ってから、
彼女と様々なことを話し、
たまに、ある目標に向かってそれぞれの役割をこなすことをして
自分の中の何かが変わったような気がする。
なんて言っていいのかなあ。
何のためにがむしゃらになってるのかを振り返ったというか。

そ宇やって色々考えてくうちに
私は「幸せになりたい。そのために生きていきたい」と思うようになった。
「幸せ」=「結婚」、みたいな一元的な物ではなくて
なりたい自分になること、そのために心血を注ぎたいと思うようになった。

その後、偶然ながらやすくんと出会い私はその仕事を辞めた。
自分の目標も多少軌道修正したけど、核心の部分は変わらない。


私は彼女と出会う前は、幸せになる術を知らなかった。
ううん。
幸せになれないことを、すべて自分以外の何かのせいにしてた。
仕事が忙しいこと。休みがないこと。
あの人があんな事を言ったから。あの人のせいで。

でも、そうじゃない。
待ってても幸せはやってこない。自分の手で掴まなくちゃ。
彼女に出会って、そんな自分の姿に気づき私は変わった、と思う。



久しぶりに、私もメールを送ろう。
こんな風に頑張ってます、と。
目標に向かって、少しずつ前に進んでいます、と。



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