雑記

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2004年01月06日(火) 墨入れという工程

プラモ。新しい雑誌だのムックだのを読んでは、下地処理まで終わっている手元のものとの差にまたしょんぼりしてみたりする。設定画から揃えなきゃならんのか。見たイメージが第一なんだよ。くそう。

この頃のプラモはメーカーからも推奨なお手軽フィニッシュ(パーツの色をなるべく残して組上げ、みたいな)でも「墨入れ」という作業が一般的になっているらしい。確かに工程そのもののお手軽さに対して効果が大きいため、一連の作業において初歩的な手順として認められているんだろうなあ、とは思う。
具体的に、、、いや大雑把に言うと筋に線を書くことで、塗装完了後などにエナメル系の塗料を流してやるだけ、という感じで。なるほどただ単色で塗られた個所に行うことで、お手軽に何か手を加えてやった感は得られるように思う。でもなんかこう、、、
リアルに仕上げると言う意味で、これが全ての場合において正しいのかどうかと言われるとその判断ひとつで物凄くおもちゃ臭く見えてしまう諸刃の剣でもあると思う。いやそのアニメなりなんなりオリジナルが2次元で表現されるモデルに対してリアルどうこう言い出すことこそが、いやむしろそれが最大のテーマなんだろうな。

車のプラモ作るとするじゃないですか。これだとオリジナルの実物があって、写真なり実物なりに似せて、メインはボディの塗装でいかにショールームやサーキットみたいな実車の質感を出すか、に尽きると思うんだけど、閉まった状態のドアの継ぎ目に墨を入れるかどうかと言われるとそうすることは一般的でないと思うんですよね。いやあくまで僕の狭い常識の話で、なんだけど。本当にその表現はそこに存在するものかどうか、ということが重要である場合とそうでない場合の差なのかもな。

一連の工程の一部としてそうしないといけないかのような、一般的な表面処理などの工程とは異なり墨入れというものはそれ自体が作り手によって表現の差が生まれるクリエイティブな作業なんだな。作り手のイメージの差。技術があっても、同じキット買ってみんな同じモノが完成するんだったら面白くもないもんね。

ワタシですか?それ以前に組み立てだけで既に納得いかないことで一杯ですとも。


次郎吉 |MAILHomePage