ここに掲載されているテキストはフィクションです
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時間経ったら効いてきたぞおい。
昨日は帰りに飲みに行った。気の利かない会社の連中に話してもどうせますますへこまされるだけだろうから素でいたわけだが、夜になるとやっぱりメチャクチャ飲みたくなったので御徒町行った。一緒だったのは次郎くんを知ってる2ちゃんの知り合いで、はじめは同じ理由で次郎くんの話をする気もなかったんだけど、終電過ぎるまで飲んでて結局聞いてもらうつもりで話してみた。僕はこんなんだけど次郎くんを知ってる人はみんな一様に気を使ってくれるみたい。その人も昔ずっと家に犬がいて、と言う話も少し聞くことが出来た。僕が自分の中で整理するために、いろいろな話は聞いてよかったと思った。
んなわけで二日酔いもあって今日は会社サボった。いい天気だったので洗濯とかした。平日の昼間って死ぬほど落ち着く。
一般論じゃなくて自分の理屈。納得するために自分でたくさんの言葉を作らないといかん。可愛がってくれていろいろなところに連れて行ってくれていろいろなものを買ってくれて、尊敬する国鉄マンだったじいちゃんが死んだときも涙ひとつこぼさなかった俺が正常なのかどうか、何かを判断するのにまともな思考が働いているのかどうかは判らん。鬱なんだか多重人格なんだか、そんなもんは誰かが偉そうに俺の名前のカルテにでも書いてりゃそれでいい。
この俺の反応の鈍さはなんだ。感動も感情も受け売りか。それも外から取り入れただけにすぎんのか。死んだ人もいなくなった人も同じく判断できるのは何も判ってない子供と同じなのか。それともえらいのか。
外から帰ってくる。足音だか鍵を開ける音だか、まあドアを開ける頃には起きている。思いっきり指拡げてつめたてて、後足も思いっきり伸ばして欠伸しながらのびをする。市販の爪とぎは一度も使ったことはなく、洗濯カゴにつめを引っ掛けてひっくりかえるまで引っかく。起床の運動がひととおりすんだら前足を揃えて座って顔をちょっと洗ってにゃあ、と一声鳴く。メシの缶詰を手に取るだけでもうふんふん言い出して、食事が済んだらまた足やら顔やら洗ってモニタの上座るか、また寝るか。トイレだけはおかしいくらい真剣な顔でふるふるしてて、この時ばかりはエサ開けようが音立てようが絶対に動かない。どこ見てんだよ、と言うくらい。
・・・忘れないうちに書いておかないと。
時間による解決を期待する事は、忘れることでも、体よく納得することでも自分を言いくるめることでもない。僕の世界の全てのことについて、意味がないことなんてのはないんだから。