雑記

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2003年07月29日(火) 素です。

他人との違いということを自覚していれば、自分のことを特別だと殊更に主張することもないんだけど、最近はすぐに自分のことを鬱だ鬱だ言うのは一種の流行らしい。僕もネタ的に言うことはあっても、症状そのものに対して訳も判らず悩んだり病院行ったりすることはないし、晴れない気分の原因も解決方法も全部自分の中にしかないものだと思う。最近ではテレビのCMでもお前ら鬱なんだぞーみたいなのをバンバンやってて、訳もわからず病院行きさえすれば幸せになれると思ってる人増やすのに誰かが必死みたいなんですね。悩み自体が浅いなら山ほど薬もらってくるのも手っ取り早い処方なのかも知れない。それこそ個人の差だもんな。

まあいいや。少し前まで多重人格という言葉の理解として、両極端な主張を自分の中で持つことによって自分があるべきバランスをとる事だと考えていた。どちらか、という決定的な判断を急ぐ前の段階のために一番遠い位置にある選択肢について長所とか短所とか、とにかくいろいろな材料を考慮して、っても結局は一番マシな結論を導き出すための方法と言うか。以前どっかのえらい人にそんな議論の方法があるとか聞いたけどまあいいや忘れた。

ところが最近は、実はごく一般的な当たり前な事なのかもしれないのだけれど、極端に意見を言ってるつもりがどれもこれも結局同じ事を言ってる事の多いことに気付いた。結局方法を唱えてみても結局は一番楽な思考に基づいた考え方をいくつか並べてるだけなんだな。多重人格の意味の認識が正しくなかったということだけが収穫ということか。

何やっても僕は僕。生きようと死のうと殺そうと何やっても僕は僕でしかないんだしな。改めて死ぬまでの時間が憂鬱になる。


次郎吉 |MAILHomePage