| 2002年08月26日(月) |
七ツ寺プロデュース第10弾「ソウル・ガーデン」 |
昨日劇団の公演が終わったばかりだが、それと平行するようにやっていた芝居を見に行く。 実はこの公演に最近入ったばかりの劇団員が出ているのだ。 ちなみにこいつは、昨日の打ち上げにやって来て、朝まで飲んで行った。 おいおい、大丈夫かと言う心配を余所に迷惑をかけない程度にはガンバっていた。 そこでまずは一安心。
さて肝心な芝居そのものへ。
この芝居の演出・脚本は最近密かに演劇活動に復活した(という)刈馬カオス氏。 実物は役者をやったらあっという間にファンが群がりそうな好青年だった。 この芝居を観ながら、彼の芝居を金沢で観た記憶が蘇って来た。 芝居の内容や方法論はまったく違うのだけど、なんというか匂いや手触りみたいな感触が同じだった。 それは当時のその集団だけが持っていたテイストなのか、その世代が共通して持っていたものなのかはわからないけど、うちにいた同世代の劇団員にはないテイストだったので前者なのかな。 金沢での芝居はバカ一直線でとにかく素敵な芝居だった。
そして今回は基本は女性4人の繊細なタッチの芝居だ。 場所はある学校の寮。 そこにお盆明けに何人かが帰って来て交わされる会話の数々・・・そしてあの事件の事が。 という感じ。
自分の芝居が終わったばかりと言うこともあって、お話にのめり込んで行くと言うよりは、いかん客だなぁと自分自身で思いながらも演出方法がやたらと気になった芝居でもあった。 例えば、劇中に流れる音楽に込められたメッセージや、アンサンブルを使っての群唱やアンサンブルそのものの意図。 2時間近くの芝居をお客さんとともに劇場で過ごすために必要な物語の気持ちの波の作り方、プロデュース公演故の役者のみせ方、男の書いたホンを女性が語ることの難しさなど、いろんなことを考えながら芝居を観ていた。 うーむ、全く嫌なお客だ。
一つ思ったことは、着目している点が違うんだと言うこと。 僕らはどちらかと言えば、気持ちの動きをディフォルメした芝居をやっているが、この芝居はどちらかと言うと身体の動きをディフォルメした芝居になっている。 簡単な話、僕らが行なう芝居は気持ちが高ぶったり動いたりする時に、音楽や照明や役者の移動でそれを劇的に説明するわけだけど、この芝居はそれはやらずに、「ここ」と言う時にゆっくりとした動きを採用して、重要なファクターの説明をしていると言うことだ。 また、「モノ」のみせ方もこだわりが随所にみられた。
お話そのものは割と好みの話で、芝居のテイストも好みの話だ。 欲を言うならば、一言二言でいいから、もう少し深い気持ちの吐露があるといいのかなと。
自分自身で言うのもなんだが、「やる芝居」と「見る芝居」の好みが明らかに違う。 で、今回は見る芝居としてはとても好きな部類に入る芝居だった。
今後の刈馬氏の活動が楽しみである。
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