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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
特定の、なんとかという食品が悪いというレベルでどうこうしても、問題の本質は変わらないので、別の食品を探し回るだけで何の進歩もない。
ただ痩せていればいいという観念(を持った他人)を中心として、健康や体(細胞)を無視し、ダイエットに東奔西走するのだとしたら、それはおかしい。 痩せてもてたいとかさ、いいんだけど。痩せたらもてるのかというと必ずしもそうではないとも思うけれども。自分を大切にしている結果――面倒でも時間をかけて体にいいものを食べて、体にいいものを飲んで、早寝早起きして、ストレスを溜めないなど、自分をいたわった生活を送っている結果、痩せてきれいに見えるのはいい。そうしていれば、太りすぎるなんて考えられない。 そうではなく、暴飲暴食、どーでもいいものを食べ、飲み、睡眠もそこそこに夜中まで遊びまくっているくせに、ただ薬を飲んで(不自然に)痩せました、なんてのは嫌だねぇ。 いかに楽に痩せるか、なんて考えること自体が邪道なのだ。今回の事故は、邪道の結果なのだ。 太ってきたということは、怠惰な、どーでもいい生活をしていやしないか、もっと自分を大事にしてよ、という体のメッセージなんだよ。上記のように、自分を大切にすることが本来であって、ただ痩せればいいなんてのは本末転倒ではないか。 自分のちょうどいい体重というものはあるから――といっても計算して出た標準体重ではない。大事なのは、体が軽いと感じられるかどうかだね。多少、太ってみられようが、それで体調が良いなら他は関係ありません。 そうはいっても、それでいいのだ、と納得できる自分があってこそであって、他人が中心の人は、何が何でも痩せるしか道がないのかもしれないけれども。
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