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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
犯罪の手口を紹介する番組がやっていた。
善人がいれば必ず反対側に悪人がいるので……悪人を撲滅しようとしても無理なので、いかに悪を知り、身を守り、染まらないか、ということだと思った。 善人は、良いことはよく知っていて、そのように生活しているのだけれども、悪を知らないと――人を騙すだとか、陥れるなど考えつかないので、ころっとやられてしまう。 番組を見ていて思い出したが、昔、人の良さそうなおばはん二人組が、ボランティアの者ですが募金をお願いします、といってコーヒー豆……ではなく、タオルを置いていった。たしか、千円だか二千円を寄付して、うーん、いいことした、と思っていたんだけど、あれって詐欺だったんだね。いまごろ気がついた。(爆) 話は変わるが、ボランティアについて、偽善だの自己満足だのと余計なことをいう人がいるが、大きなお世話ですね。わしは取り立ててボランティアしたいという気持ちはないけれども、している人をとやかくいうことはない。それがたとえ学生の内申書目当てだったりしてもね。 そんな一時的な活動で内申書が良くなったとしても、どうせ一時的なものでしかない。結果のために嫌々やっただけの、そういう人なのだな、と見る人が見れば分かってしまう。 ボランティアでさえ自分のためにやるものだろう、と思う。ここでいう自分のためとは、たとえば、通学路にゴミがたくさん落ちていて気持ちが悪いから自分で拾って、自分で自分が気持ちの良いように周りの環境を整える。自分が気持ちいいと、他人も気持ちがいい。そういう考えや行為が中心というものであって、利己主義や未熟なだけのジコチューでは、うまくいかなくて当然でありましょう。 いまのお子さまは、頭が良くて言葉も巧み――悪くいえば頭でっかちで屁理屈はうまいんだけど(^^;、やることをやらない。わしはフリーで仕事をしているから特に感じないが、同世代の勤め人の知り合いが、よくそう愚痴る。 また、奴らは他人のことはよく分かるが自分のことが分からない――世代に関係なく、誰しもそうかもしれないが、自分が何をしているのかよくわからないまま生きているような気がする。やりたい放題で、他人に迷惑をかけていないといいつつ、実はかけまくっていることに気がつかないだけだったりする。自分が何をしているのか分からない。 他人のことをとやかく言うのをやめて、自分に注視していただきたい。それが出来ないと、千年生きても進歩しません。 おお、えらそうだ。(爆)<自分
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