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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
野球やその他のスポーツは、たいてい国内でのことだし、そうでなくても――たとえばオリンピックの場合は、各種その他競技のなかのひとつなので、ある競技で負けても他で勝てばいいのでサッカーほど騒がれない。
ワールドカップはサッカーだけ(当たり前だけど)だから、他に目の移りようがないし、国の代表が勝ち負けを争うのだから、ナショナリズムに火がついてもおかしくない。 日本がロシアに勝ったのはいいが、負けた方は暴動が起きて死者まで出る始末だ。「死者」が出ているのである。 そんなことはどうでもいい? 日本でも、一部のファンが夜中どころか朝方まで騒ぎまくった。どれほどの人に迷惑をかけたろう。仕事を休んで応援に行った人たちもいるらしいが……まあ、その程度の仕事しかしていないのだね。仕事より、応援の方が大事なんだから。 勝ってそんなに嬉しいのなら、負けたらどんなに悔しいのか、ということもある。サッカーに限らず、プロ野球のどこそこのチームのファンで、勝った日は気分が良くて、負けた日はへこんでいるのだとしたら、いったい自分はどこにあるのだろう。自分の人生に何の責任も持ってくれない他人の頑張り――というか、結果次第で元気になったり落ち込んだりするのは馬鹿げている。 熱中して、いまはいいけれども、終わったらどうするのだろう? 何かにはまらなければ生きてゆけないのだとしたら、サッカーが終われば、次を探し回ることになる。それはマスコミが与えてくれるかもしれないが、いちいち食いついて、お金を使い、時間を使い、エネルギーを使い……そういう人生でいいんでしょうか。 なんだかよく分からないままに、他者に焚きつけられて右へ左へ動き回っているだけではないのでしょうか。それで「自分を生きた」といえるのでしょうか。そのような一生を送ったとして、その人に根元的にどのような進歩があったのでしょうか。他者を中心として自分を成そうとしても、不自由なだけではないでしょうか。 本当にサッカーが好きならいいし、開催中楽しめばいいんだけどね。ほどほどにしておきたい。 大切なことは派手でも格好良いわけでも衝撃的に突如やってくるものでもなく、目の前の珍しくも何ともない地味な繰り返し――だからこそ、こんなものと無視してしまいがちな当たり前のことにあるのではないか。ただ楽しければいいのだ、という人はそれでいいけどさ。その人の人生なんだから。
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