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おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
よく食べて、よく歩いて、よく眠る――という、リズムが出来てきそうかな、という感触をつかむと透析がある。透析の時は、散歩できないし(時間的に)、どうしても頭痛がするので頭脳労働ができず、仕事も進まない。
が、早く起きればいいだけの話なんだよね(^^;。透析の時……に限らず、普段から早起きして散歩すればすむことなんだが、そこに引っかかっている。 我慢しないで自分と一致してやっていく、というのが今年の目標なんだけど、気が付くと我慢している。 というか、何をするにも我慢してやっていくものだ、という概念が染みついているのだな。だから、無意識のうちに自分を抑えてストレスになっている。 何も我慢することはない。というより、我慢することで自分も周辺もおかしくなっていくのだから、真にリラックスして、自分の中心に任せ、感覚的にすっとやっていく。それが本来であって、他にはない。少しくらい頭で計算したっていいだろう(しなくては、それこそおかしくなるのではないかという既成概念による不安)、という、「ずれ」が、体も精神も不自然なものにしてゆくのだな。 世界は自分の都合で出来ているわけではないから、気に入らない奴もいっぱいいる。 気に入らない奴を罵ったり、説教して何とか自分の都合のいい人間にしようと奔走する人生と、それはそれとして何も想わず、ただ、自分のことをしていく人生とどちらがよいか? 非難するのはやめた。 誰が何をどういおうと、何をしようと、その人の背後のものがそれでいいとしてそうしているのだから、他人の俺がとやかくいうことはひとつもない。人の人生に首をつっこんでいる暇などないし、つっこむ権利もない。 それはこうだと思いますよ、と口を出すのはいいにせよ、それによってその人を変えてやろうとするわけではなく――ただ、事実を述べるだけでいい。 なんでもやり、言ってくれたらよろしい。それから法則と自分の何が理解できるかという一点に限って関連を持とう。それ以外は関係がない。自分のことをやっていきたい。
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