THOKOの日々

2009年08月30日(日) ひまわり

長い長い忍耐の末、とうとう心が折れてしまった
これまで生きてきた世界の常識と、今の世界の常識はあまりにかけ離れている
どちらの良いところもうまく使えるようにあろうと葛藤し模索し自分なりに先輩たちとはまた少し違った医療人であろうとしてきた
子どものように幼稚な集団にも交わろうとせず、女を利用して権力を意のままにしようとする中にも交わらず
そうしていたら、どうもここでは村八分になっていたようだった
言い方を変えれば集団リンチにあっていたのだろう
それが、彼らのストレスの発散になっていたのだろう
都会で生まれて育った私には社会人にもなってそんな粘着質で稚拙な人間関係が職場で存在するとは考えにも及ばなかった
長年あこがれていた職業なゆえに美化、神聖化しすぎていたのかもしれない
どこにも群れない者が受けた扱いは、群れる者の間では許されることがことごとく許されないというものだった

井の中の蛙、おそらく本人たちも気づいていないだろう
人口の明らかに少ない町、そして少なすぎる娯楽
働く人間はストレスがたまる一方
全国平均を余裕で上回りどんどん増えていく離職者たち
残る者にはどんどん負担が増していく
不安とわがままをコントロールできなくなってゆく患者たち
それを見放して距離を置いていく家族たち
行き場を失った患者の心は日常に接する医療人にぶつけるしかなくなる

あの日、私は部屋のドアに紐をしばりつけそれを見上げながらぐずぐずといつまでも泣いていた
NHKの集金がドアをノックした時、ふとわれにかえり恐ろしくなった
夢中で車に乗り込みいきついた先はひまわり畑だった
自分の背丈より大きいひまわりの群生
あふれ出る涙を見ていたのはひまわりだけだった

私にもまだ生きる権利はあるはずだ

それから少しして病院を受診して診断書を提出
「一月の自宅療養を要する」そこにはそう書かれていた

ああ、1月か
そんなに療養しなきゃいけない程私疲れてたんだ
療養できる自宅がないことにはたと気づいて苦笑する
機能を果たさない家族しかいないので、こうなったときいく当てはない
そういう辛さを、今横浜に住む友人もしていたはずだ
そのとき私は何を知りもせず、何もしなかったことを思い出した

9月いっぱい、とにかく療養しなければならない
「わたしは人運だけには恵まれてるの。」
いつしか忘れていた自己暗示
今回の件でたくさん助けてくれたのはやはり友達だった


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