THOKOの日々

2001年11月29日(木) 持病のはなし

今日からフレッツになったのでちょっと嬉しくて♪

私は慢性腎炎という病気ともう16年お付き合いしています。
最初にわかった時私は小学校6年生で、病院に精密検査に行った時にそのまま入院しました。忘れもしないあれは11月28日の出来事でした。
食感が違うだけの薄い薄い味の病院食・院内学級・3種類の食後の薬・早朝の血液採取・注射・点滴。入院時は先天性と診断されましたが、結果慢性腎炎と診断されました。入院すること3ヶ月。でも、この病気は治る病気ではありません。
小学校2年生の時、私は具合が悪くなり親にその旨を伝えました。
でも親から帰ってきた言葉はそういう時もあるよ。
たぶんこの時病院に行っていれば急性だったのだろうと医者に言われました。
急性ならば今後注意が必要だけど治るとの事でした。
子供だった私は親を恨みました。
悔しくて情けなくて看護婦という職業につくんだと決めていた自分の夢を死にたいならどうぞと医者に言われ病室のベッドで何度泣いたかしれません。
そして卒業式に出るために一時退院しました。
再度入院を言われましたが、毎日安静にするしかないこの病気が嫌だったのと入院したからと言って治るわけでもないという事がわかっていたので水疱瘡にかかるまでは病院には戻りませんでした。
中学で水疱瘡にかかり、高熱を伴って再び病院に入院しました。
初めて車椅子に乗ったのがこの時でした。
水疱瘡ごときで3週間ほどの入院でした。
それからいい医者がいると聞いてそちらに移りましたが、治るものではないので定期的に検査をしたり薬をもらいに通いました。漢方薬も試しましたが、私にはあわず嘔吐感をともなうのでやめました。短大を卒業するまで病院には通っていましたが、なんだか無駄な行為にしか思えてならないのでいつの間にか行くこともやめました。
腎炎という病気は寂しい病気です。
風邪には要注意しなければいけないし、冷やしてもいけない、塩分を控えなければいけない、体育も見学。全部言う事を聞いていたら何もできません。なので、殆ど聞きませんでした。就職もしないほうがいいとまで言われましたがそれも聞きませんでした。一生親に食わせてもらうなんて勘弁です。爆弾を抱えた自分を無理して誰かに背負ってもらう事も。
外的病状としても特に何があるわけでもありません。
疲れやすいのとけだるい倦怠感がつきまとうだけで、健康な人がどのくらいで疲れるのかも今となってはよくわかりません。わかりやすい事でいくと、血液や蛋白が体外に出てしまうので、尿の色が濃くなります。

私が心がけていることは、極力冷やさない事。そして自分の体と相談しながら行動する事くらいです。前は友達と出かけたり旅行にでかけたりしても、同じように行動すると非常に疲れてしまいそういう自分にイライラしていました。そんな時に私と同じ病気で家族を亡くした人に出会い、自分のペースで体と相談しながらやっていくという事を教わりました。外から見ている分にはわからない病気だけに、人から誤解されたり理解してもらえない事もいまだ多いですが、私がマイペースを貫くのはそういう理由からなのです。だから前もってお出かけの約束はあまりしません。その日体調が悪いのに無理して出かけると、後にたたるからです。
仕事のスケジュールを優先する以上はそれも仕方ない事だとようやく思えるようになりました。外出をあまりしなかったのも仕事に影響してしまうからでした。

で、何がいいたいのかといいますと。
少しでも私に興味を示し、友好的に思ってくださる人には知っていてもらいたいという事です。私が極力自分のペースを優先し、無理な約束はしないでいる理由を。


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