| 2006年10月03日(火) |
大切なのは・・・・・・ |
人に求めてばかりいる人は 人に与えることも出来ません。
不平不満を愚痴ることが唯一の ストレス発散だと思っていた過去の私。 やりたいことも見えず、 ただ毎日を淡々と過ごしていたっけ。 ブログのタイトルも『薄暗がりに欠けた月』 サブタイトルは「不定期更新愚痴日記」だった。 本当に日々口から出るのは 自分以外に向けた苛立ちや批判ばかりで じゃ、自分は実際どこまで出来たんだ?って考えると 口先の文句だけが一丁前で 何一つ自慢できるまともなものがなかった。
なべ底が焦げ付くくらい煮詰まって 光も人の声も届かない奈落の底まで落っこちて 闇の中でもがいて、声がかれるまで叫んで 「気づいてよー!私を見てよー」って 必死になって手を伸ばしていたけれど、 ある時ふと気づいた。
こんな暗がりで助けを求めていたって 明るい光の向こうの人にはその存在すら見えないだろうし、 たとえそれに気づいたとしても、暗がりから伸びる その姿なきうごめく手を 引っ張り上げようと思ってくれるだろうかって。
私は努力をしたんだろうか。 引き上げてくれるまで待って待って待ちくたびれて、 そこから出る不平不満は、ただの逆恨みになっているんじゃないか。 せっかく引き上げてもらったとしても その善意に礼も尽くさず、またフラリと穴に落ちて 「気づいてよー」って叫んでるだけなら、それって随分自分勝手だ。
落ちても引き上げてもらうだけの他力本願だった私は考えた。 自分の足で登っていない、自分の力で這い上がっていない状態では 頂上に上り詰めたってきっと満足できないだろう。 辛くなったら途中でまたスルリと落ちてしまっても 何の苦もなく思いもなく、満たされない心のまま 人に頼るだけ頼って、思い通りにならなければ悪態をつく ただの木偶の棒になっていくだけ。 朽ちて忘れ去られていくだけ。
自分の足で登るってことをやってみなくちゃ 辛さも苦労も全部味わって、考えて工夫して努力して、 そうしたら、「簡単に諦めて落ちる」っていうことが 今までを無駄にする勿体無い行為だって気づいて もっと向上させようって思えるんじゃないかって。 登りつめた時の爽快感は、 それまでの自分の経験があったからこそ 得られるものじゃないかって。
今の私は、豊富に与えられたオモチャを 何一つ大切に出来ない 使い捨て時代に育てられた子供と同じだ。 気に入らなきゃ投げ捨てる、 壊れてしまったら見向きもしない。 自分が飽きたら放ったまま。
旦那さまの愚痴 子供の愚痴 両親への愚痴 兄弟への愚痴 お友達の愚痴 ご近所への愚痴 地域への愚痴 世の中への愚痴
愚痴ばっかりこぼしていたって 心は満たされないよねぇ。
与えられる光でなく、自分がまず輝きを放たなくちゃ。 眩しいくらいの光の中に自分を置いておけば 不必要なものを寄せ付けはしないし、 悪い闇に惑わされることもない。 そうして、その眩しいくらいの光があれば その光を求めて必要な人が来てくれる、 必要なものが現れる、必要な時期が訪れる。
自分の心ひとつで大きく変われるんだよね。
そう気づいた時から、なぜか不思議と 愚痴をあまり言わなくなった。 愚痴を言う必要もなくなった。 そうなると、同じ境遇にいた愚痴だらけの友人とも 自然な距離間が生まれ、愚痴を言い合うこともなくなった。
「自分磨き」が面白くなった。 楽しいと思えることに目が向くようになった。 自分が動くことの心地よさを知った。 それを口に出し、行動に出ることで 素晴らしく向上心の高い人たちとの出会いにも繋がった。 触発され刺激を受けることで 自分ももっともっと伸びたいって思えるようになった。
成長を止めていた心が、今一直線に伸びていく。 幹を太く、枝葉を多く茂らせて。 光を浴びて成長し、自らも光を放てるように。
少しずつだけどね^^ 自分に出来ること、目いっぱい楽しみながら 「自分らしさ」を築いていければ 人を愛せて、人からも愛されることが 出来るようになるんだって思ったんだ。
求めてばかりいる人は 与えることも出来ません。
ついつい愚痴を口にしてしまうのなら 一歩引いて考えて(^-^)b まず自分を見つめなおすこと。 自分が変われば周りが変わるよ。
こんな私でも出来たことなんだもの。 きっと出来るはず♪
大切なのはまず・・・・・・ 自分を愛することだよ。
忘れていたけど・・・ 直さんのブログみて思い出しました(^-^; ずっとずっと大昔にblog rankingに登録したことがあったのでした(≧m≦)ぷっ!  気が向いたらで結構です^^ ポチッと押してやって下さい♪
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