エアーポケット
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2005年12月04日(日) 未来へ帰る僕は今何回目?

 なかなか成長意欲を持たない会社でいるのは息苦しい感がある。成長意欲がありすぎるっていうのも違う意味で息苦しいのもわかるんだけどね。その一部の意欲ある人々の意思が周囲に波及しないってことは、その一部の人の責任なのかもしれない。でも頑張ってる人を蹴落とす行為はやめた方がいい。ダーティなゾーンをクリーンにするのは難しい。でも責任を負うのは何故かクリーンなゾーンの人たちなのも知ってる。集団を一つの方向へ向かって動かすのはとても難しいことなんだよな。そういう意味では人は一つにはなれないのかもしれない。
 僕が良く彼女に言われる言葉でこういうのがある。
『その理想主義は報われることはないだろうからあまり考えないほうがいい。』
 少し寂しいけど、事実なんだろうね。
 比較的、なんでもオープンに話すほうな僕は会話の中で結構つまづくことがある。「え?それで終わり?」ザックリ感のないトークの終わりに思うことはいつも気だるさと時間を費やした後悔だけのような気がする。友達と思って話してる相手でも、心が閉まった瞬間に出会うととてもガッカリする。寂しいな、この場合寂しいのは僕だね。

 未来へ想うこと。人が輪廻転生を繰り返すなら、ある種僕らは未来へ回帰しているのかもしれない。未来へ進むことと、未来へ戻ることは同じなのかもしれないと思うことがある。「あ、この場面前にどこかで見たな」っていうデジャビュは、きっと前世で体験したことなかもしれないっていうのは誰しもが一度は思うことなんじゃないかな。さもすれば、僕が今体感してることは、次の世の僕のデジャビュになっている。ただ科学的な根拠がないからないがしろになってる光景っていうだけの話。でもどこかの偉い学者はきっと突き詰めて研究をしてるはずで、実はもう突き止めてるのかもしれないね。
 僕は今、何回目の僕を生きてるのかっていう疑問が沸々と浮き上がる。僕を形成してるのは、きっと今の僕だけじゃないんだと思ってる。
 ぐるぐる回る生の中で僕にカギをかけた人、僕の扉を開けてくれた人、僕にカギをくれた人、僕がカギをあげた人。ぐるぐる回るなら終わりもないのかもしれないけれど、とりあえず、今の僕が終わるときは、僕の扉を開けてくれた人と居たいし、その人にそっとカギを渡して次へ向かいたい。

 Today's Favorite Song

   ASKA 『はじまりはいつも雨』


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