世を忍ぶ仮の日記
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とよしまさんが死んだ。 訃報は丁度母が車を運転している時に、父に伝えた。 私は最初、とよしまさんが誰か分からなかった。 「とよしまは、お前の演奏を、ほとんど聴いている人だ」 父は言う。 「体が悪いならはやく言ってくれれば良かったのに。そうすれば、助けられたのに」 どうやったら医師でない父が助けられるのか。 父にも分からなかっただろう。 けれども、しばらく縁が途絶えていた友の死に、思わず助けられなかった悔恨が出ていた。 縁は容易く途絶え、死は直ぐ傍にある。 「とよしまとは生年月日が全部一緒なんだ。とても、とても悲しい」 父は急いで喪服に着替えて通夜に出かけ、葬儀に出席して大事な仕事の接待をそれはもう盛大に忘れていた。地元ローカルテレビに関連者が出ていたので、微妙な違和感をおぼえたのだが、矢張り父が出ないのはヤバかったようだ。 父は嘆きつつ肉を焼いていた。
テーブルの上にとよしまさんの両親からのお礼状があった。 なにげなく触れると、暑いくらいに暖められた部屋の中でそれだけが恐ろしくひんやり冷たかった。 最初はご両親の悲しみか、父の悲しみがひんやりとさせるのかと思わず手を引いたのだが、ピアノを触っていて、ふと、私も悲しかったのだと気が付いた。 とよしまさんの顔は思い出せない。 でもとよしまさんは、私がピアノをはじめたての頃から、歓楽街でドサまわりをして弾いていた頃、リサイタルをした時まで全部、下手な演奏なのにきちんと誠実に聞いて、必ず役に立つアドバイスと、下手なりに何処かに必ず長所を見つけてくれていた。 とよしまさんはドラマーだった。 とよしまさんの演奏を聴いた事は、たくさんは無い。 いつも生真面目なとよしまさんが、ドラムのソロになると唐突に激しく演奏をしたのを思い出す。 彼は自分にも厳しく他人にも厳しい人だった。 子供の私がドラムの良さも分からずにドラムをやってみたいと言ったら 「まずはテンポをきちんと刻めるように、歩くテンポを絶対に一定に刻めるように歩くことからはじめるといい」 とアドバイスをした。 たまに思い出して歩くけれども、必ず崩れてしまう。
とよしまさんには、絶対音感ならぬ、絶対リズム感があった。 まるでメトロノームのように、機械のメトロノームのように、1つメモリがずれたらきちんと分かる。 それでも、私にそれを指摘することは無い。 彼は、誠実で生真面目な人だった。 私は縁が薄く、葬儀にも行けなかった。 とよしまさんと私は、そのくらいの縁ではあった。 けれども、ピアノを弾いているととても悲しくなる。
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