ヤグネットの毎日
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2002年10月12日(土) 不慮の死

 
 城陽市歴史民俗資料館で長く城陽史誌の編纂にたずさわり、本市の文化財保護や教育行政に多大な功績を残された大畑忠さんが、11日未明に不慮の事故で亡くなられた。58歳という若すぎる死だった。
 その知らせが入ったのは、朝、宇治市内へ会議に向かう車の中。突然の訃報に気が動転し、車を道路わきに寄せた。取り急ぎ基本的な段取りを手伝わせていただいた。

 故・大畑忠さんの妻、輝子さんとは地元で平和や政治など、いろんな地域活動をやらせていただいている。
 9月1日のたんぽぽ村音楽隊の20周年記念コンサートのさい、このバンドの生みの親が大畑忠さんだったことを初めて知った。久世地域の保育園の保護者や児童館に集まってくる子どもの親を対象に、「ギター教室」を立ち上げたのが、きっかけだったという。
 久世地域の住民運動の草分け的存在のひとりだった。先日も、輝子さんとこの話をしたときに、「また、忠さんと地域で子どもたちを対象にしたおもしろい活動を一緒にやりたいですね」とはなしたところだった。
 8月に「自然と人間」を対象にした展示が歴史民俗資料館でひらかれたとき、山砂利採取跡地の再生の課題についての説明文があまりにふるっていたので、「すばらしいコメントですね」と近くにいた忠さんに話しかけた。大畑さんは、「そういう言葉が一番やりがいとうれしさを感じるんですよ」といって、「このコメントを書いた若い職員をいま呼んできます。ぜひ今の言葉もういちどかけてあげてくださいよ」といって会場の中を必死で探してくれたものだった。

 「必死で探し求める」ーーこれが大畑さんの仕事にのぞむ姿勢であり生き方だったのかもしれない。「余人にかえ難い」という言葉が悲しみのなかで思い浮かぶ。まじめで仕事に没頭し続けた中で、彼が残した足跡はとても大きく、深い。
 残されたもののひとりとして、彼が求めてやまなかったものを受け止め、発展させていくために力をつくしたい。
 
 
 
 


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