ヤグネットの毎日
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| 2002年07月30日(火) |
笠木透著『私に人生と言えるものがあるなら』を読む |
夏の暑さで思考能力も低下ぎみ。議員団の会議が午前中にあると思い込んで市役所までいくと、全く姿が見えず。あわてて手帳を開いたら、午後1時30分からになっていた。あっちゃ〜〜。 午前中は、日記をサイトにアップしメルマガ第77号を発行。 眼鏡が壊れた。眼鏡屋さんに行くと、「そんな簡単に壊れるしろものではありませんけどね。」 最近、息子とじゃれあって、格闘することがある。そのときに、何度か眼鏡が飛ばされた。たぶんそのときの衝撃が原因だろう。レンズはまったく問題なかったので、レンズにあうフレームで頑丈そうなものを妻に選んでもらった。それができるまでのほんの20〜30分だけだが、裸眼で店の近くを歩く。僕の視力は、左右とも0.1以下。つまり、眼鏡がなければかなり不自由になるのだ。 眼鏡の助けを借りれば、不自由なく歩くことができるが、視覚障害の方はどうだろう。その立場にたって、街の中を見渡せば、危険なところだらけだ。お年寄りや障害者が安心して歩くことができるまち。バリアフリーの必要性にあらためて思いを馳せた。
いま読んでいる本。笠木透さんの『私に人生と言えるものがあるなら』(萌文社)読み終えたところで、感想はいつものようにこの日記で紹介したいと思うが、期待どおりの「心を揺さぶる」本である。 最近になって、僕はフォークソングにあらためて関心を持ち出した。「あらためて」とは、中学生の頃に学校の講演会で高石ともやさんがギターを片手に話をしにきてくれて、そのときになにやら、フォークソングとは人生の喜びや哀しみを表現するもの、という話をされたのを記憶している。高校生になっても少しだけギターをやっていたが、そらからの16年間は、まったくギターやフォークソングから離れた生活を送ってきた。ところが…。
生きづらい社会、人間が大切にされない日本の現実を見るにつけ、さらには、その中で人と人との結びあいを大切にするどころか、バラバラにされている「ギスギスした人間関係」を見るにつけ、僕のなかにムクムクと沸き上がる「何か」があった。 豊かな森林、清らかな水、道ばたで咲く花々、生きにくいのに懸命に生き延びる動物たち。この地球のうえで、限られた命を伝えあっていこうという、生きとしいけるものすべてに心を向けて、ともに生きていく社会をつくるためには、自らの意志をもって自らの歴史をつくることができる人間が変らなければいけない。そのためには、腹のそこから怒りや哀しみや喜びを表現し、周りの人間にそのことを伝えていくこと。そして、異なる価値観や生き方にも、たとえ同じ生き方ができなくても共感、共鳴して自らの人生に生かすこと。そんな、感応しあう社会関係、人間関係の構築こそ必要ではないのか。そのためには、他人の人生を疑似体験したり、あるいは美しいものを自分なりに表現したり、伝えたいことを形にする芸術、そして文化というものが大切になってきているのではないか。そんなことを考えるようになってきた。 僕にとって、その一番身近な表現の仕方が、音楽であり、フォークソング、ということになる。 笠木透さんの生き方には、僕の最近の問題意識をより豊かにしてくれるキーワードがいっぱいちりばめられている。いま、最後まで読み切るのが惜しくて仕方ない。最初からもう一度、三色ペンで書き込みをしながら読み込みたい。そして、「私に人生と言えるものがあるなら」などをギターで歌ってみたい。
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