ヤグネットの毎日
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2002年07月16日(火) 自己表現に徹すること


 午前中は、議員団の会議。7月は、議会のそれぞれの常任委員会が今期最後の管外行政視察を組んでおり、議員団も毎週誰かが出張状態。まとまって会議をする時間がとれず苦労する。
 午後は、田中康夫・長野県知事の「失職会見」の生中継を見ながらデスクワーク。
 今年度の当初予算は修正のうえ可決、6月の定例議会で提案された補正予算と人事案も可決されているのに、不信任案が提出され可決される不思議。「憎悪」「怨念」のみで知事に牙を向く連中の理不尽さの現れだ。田中康夫さんには、知事選挙で再び県民の信任を得て返り咲いてほしい。個人的な意見だけれど。

 夕方は、台風の接近が心配だったが、近鉄大久保駅前で街頭宣伝。7月15日は日本共産党の党創立記念日。80年を記念しての街頭宣伝で、躍進にむけての募金なども訴えさせていただいた。
 
 14日の深夜。毎日放送で『映像02 炎のダンス ツッパリ先生と60人の子どもたち』が放送された。ビデオにとっておいたものを、昨日の昼間に観た。
 京都・精華町をホームタウンに活動するダンスチーム「今村組」と元ヤンキーの現役教師・今村克彦さんが、札幌の「YOSAKOIソーラン」への初出場をめざして猛練習をつむ姿をまとめた1時間のドキュメンタリーだ。
ダンスチーム「今村組」と今村克彦さんのバンド「ノンストップ・パーティー」の演奏を一昨年、城陽で聴いて以来ファンになった。
 番組でも紹介されているが、「今村組」で踊るメンバーの多くは、様々な理由でこれまでの人生に「つまづき」をもっている。それは、親からの暴力であったり、学校への不満であったり。苦悩の中で今村克彦さんに出逢い、ダンスと出逢う。
 踊っているときの彼ら、彼女らの表情は美しい。ストップモーションで映し出される一人ひとりの表情をみるだけで、涙がでてくるのはなぜだろう?そして、みんなはなぜ踊るのだろうか?
 この素朴な問いに、番組の中で今村さんがサラリと語るなかでこたえていた。こういう趣旨だ。

僕らは、祭りの関係者や祭りのチームなど、そういうものに評価される踊りをしようとは、というか、僕はさせようとは、思っていない。
 そこにいる、おじいちゃんだったり、おばあちゃんだったり、同じ若者だったり、その人らが本当に笑顔になれる踊りをしたいな。その笑顔を感じさせたい。札幌でも、本当に自分たちの踊りを喜んでくれる人がいる。札幌という大きなところにきて、私たちのチームなんて、屁のようなもんだ、と思っているヤツがいっぱいるかもしれない。でも、そうではない。お前らの存在価値はそんなところにあるんではない。もちろん、心は、技や踊りをとおして表現しなければならないと思うが、あいつらの心をめいっぱい、技、踊りで表現したときに、あいつらの値うちというのは、見ている人を通じて、自己確認ができるんだ、それが「今村組」にとっても、あいつらの今後の生き方にとっても、すごいいいことではないかな。

 

踊りや技を通じて心を伝え、見て喜んでくれる人たちの姿を通じて自己表現し、自己確認ができる。人は、自分がこの社会の中で、この世界の中で、かけがえのない存在であると認められたときに「生きがい」を実感できるものだ。「自分」というものの表現の仕方や自己確認のあり方は、いろいろあっていい。他に一人としてない「自分」を見つけだすことを応援してあげる、少しだけ手伝ってあげられるチャンスや「場」があるかどうかが、大切なことだ。音楽や芸術は、その「場」であり「手段」なのだ。

 今村克彦さんにとっては、教師という職業も、ミュージシャンも、祭人として「今村組」を引っ張ることも、すべて自分を表現し、自己実現をはかる、大切な「場」だ、という趣旨のことを、以前ご自身の著書で読んだことがある。
 今村組のメンバーが「相談がある」といえば、自宅で遅くまで相談にのる。そのシーンも番組で紹介されている。

 果たして、いまの僕に、ここまで「他者の自己表現、自己実現」を応援することに徹することが、いや、自分を表現することに徹することができるだろうか?そんな強烈な思いにかられた。
 いつも、「優等生」の側にいて喫煙する友人を先生にチクったり、偏差値にもとづく受験競争にすっかり翻弄され続けたり。
 いまの僕は、ピュアな政治をつくりたい、と思ってそれを職業にしている。しかし、もっとつきつめて、ピュアな生き方、自分をつきつめているのか?そう問いつめれば、もっと今の自分を崩して、新しい自分をつくりつづけていかなければいけないのだろうか?
 


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