ヤグネットの毎日
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昨日は、大学時代いらいの後輩である“同志”N君と、20代の女性に党に入りませんか?というよびかけのお話をさせていただいた。 N君とは、顔をあわせて話をするのは久しぶり。女性を前に有事法制の危険性や政治や社会を変えるために力をあわせようと、二人で熱く訴えた。立命館大学での学生時代を懐かしく思い出した。
夜、その後輩の彼からメールが届いていた。
まえに日記に書いた「イズミヤでの息子のバトル」など、子育ての苦労話しに共感をよせてくれたものだった。息子さんが喘息で咳がはげしくなるときがあり、薬を飲ませる時に嫌がる子どもにスポイトで口にねじこもうとする自分をふりかえりながら、笑顔を見せているときは、「かわいい、かわいい」とかわいがるのに、自分の思う通りにならないと、ひどい仕打ちをしてしまうことに、「なんと身勝手な父親なんだ」と悔いることがあるーーそう書かれてあった。読んでいて、涙がこぼれてきた。 また、彼のメールには、「我々はバブル世代」という言葉で、僕たち80年代後半から90年代に学生時代を過ごし社会に出ていった世代の固有の困難を表現していた。 「リストラ、子育て、もう5年10年すれば親の世話をどうするかという問題が浮上してくる−−など悪政の矛盾を体験中」ということだ。まさにそうだ。そして、僕はもう一つ、この世代の「固有の課題」として、「群れる」ことへの抵抗、組織を好まない人たちが多くなりはじめた世代という特徴づけができるのではないか、と思っている。それは、受験競争など詰め込みと受験教育の弊害、地域社会が崩れはじめ、核家族化が一気にすすみはじめたことなどが、その要因となっているのではないか。
だからこそ、僕は、それぞれが生きる「毎日」の日常から、共感、共振の重ねあいを広げていくことが特に大切になっていると思うのだ。 「生身の人間・父として七転八倒しながら議員を続けるパパさん市議・矢口雅章の姿、京都市から見つめています」と彼のメールは結ばれていた。さらに、「愚直な姿が必ず共感呼ぶと思います。」ともあった。
70年代から21世紀初頭。高度経済成長を過ぎ、バブル経済に踊らされ、考えてみれば、「人間らしく」生きることが、脇におかれがちだった、僕たちの世代。 だからこそ、いまふたたび、「人間らしく生きるとは」を問いかけることがますます大切になっているのだと思う。僕が、フォークソングにどうしようもなくひかれる理由も、そんなところにあるのかもしれない。 同世代として、N君とも共感、共振、ともに励ましあいながら生きていきたい。
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