ヤグネットの毎日
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前にも書いたとおり、昨夕同志社大学の学生さんを前に「有事法制」についてお話をする機会があり、十分準備できたとは言いがたかったけれど、約1時間ほどお話させていただいた。 なぜいま、小泉内閣のもとで有事法制か?、有事法制の歴史をふりかえる、有事法制で国民のくらしや権利はどうなるのか?などをおおまかに話をし、後半駆け足で「なぜ学ぶのか?」にふれて、次のように話した。
○学習し、分析し、課題を自ら設定し、主体的に行動するためにこそ学びましょう。 「学習権とは、読み書きの権利であり、質問し分析する権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、教育の手だてを得る権利であり、個人および集団の力量を発達させる権利である。(中略)学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人間行為を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである」。 (「ユネスコ学習権宣言」抜粋、1985年)
○有事法制は、まさに「人間行為を出来事のなすままにされ客体」のままにさせる企みです。自分自身の歴史を主体的に創るためにも、有事法制についても大いに学び、歴史を前にすすめることに役立つ学習をして下さい」
質疑のなかで、「講議である教授が戦争などなくらない」と話していたが、あなたはどう思うか?という質問があった。普段、「戦争はなくすべきだ」という立場から考え行動していた自分にとって、この質問はとても意外で即答に窮してしまった。 将来のことなので、戦争をなくせるかどうかの未来図を書くことができないけれど、戦争によってしか紛争を解決できないという結論もまた一面的ではないか」と答えたが、あとで一緒に参加していた方が、「少なくとも人類は、武力によって争いごとの解決はならないししてはならないことをこの100年の歴史の中で学んできたのではないか。それが人類の到達ならば、英知を集めて戦争を起こさない方向に働きかけることこそ大切ではないだろうか」とフォローしてくれた。 なんて、うまい表現なんだろうと感激し、僕のほうが学ばせてもらった。
それにしても、大学の教壇で「戦争などなくならない」と述べる教授の「知性と理性」はいかがなものだろう?学問の世界ゆえ物事を相対的にとらえる視点も大切だろうが、戦争はまさに人間の理性を暴力で押さえ込むもの。 なぜ戦争が起きるのかを科学的にとらえるうえでの知性が必要だし、どうすれば戦争をなくすことができるのかを探究することこそ学問にたずさわるものがとるべき態度ではないだろうか? 未来ある学生に、学問を究める研究者が「戦争はなくならない」とネガティブな自説を述べて、実のある結論がでるとは思えない。
いずれにしても、若い人たちといろんな話しができて本当に刺激的な時間だった。もっと、深く勉強を重ねなくてはならないな、と痛感もした学習会だった。
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