| 2003年01月31日(金) |
私が古典を選択した理由 |
今日は近代文学の最終講義。課題は永井荷風。 後期でずっと取り上げてきた『あめりか物語』をまとめたうえで、 来年から取り上げる『ふらんす物語』にも触れることとなった。 両作品は荷風が渡米・渡仏体験をベースに作り上げた物語。 ポイントはココで、あくまでも作られた物語であって、 決して荷風が赤裸々に日常を告白した類のもではないということ。 しかし、どうしても「この時の荷風は・・・」云々を 無視してしまうわけにもいかないので、面倒なのである。
その点、古典はわりと作品と作者の距離が大きい。 そもそも作者がはっきりしない作品が多いわけであるし、 近現代小説ほど人物の内面描写が細かくない。 当然、日記文学などで作者の立場を考えることもあるが、 それでもどっぷり作者の人間模様にひたるようなことはない。
私が古典を専攻した理由は、まさにこの点にある。 私はたとえば作者の生い立ち、執筆当時の現状等を 常に考慮に入れながら研究するという作業が苦手なのだ。 だって、どんなに考えても他人は他人。しかも、もう故人。 おまけに相手は文章のプロなのである。 真実のみを羅列するはずもなく、むしろ真実を探すほうが難しい。 それでも、近現代文学を研究する時には作者がはっきりするぶん、 作品の裏には作者の影がちらつかないことはないのである。
もちろん、作品は作品と割り切った研究法もある。 (むしろ、現在はそちらのほうが主流なのではなかろうか)。 さらに、別に作品と作者をリンクさせた研究法が悪いわけではない。 ただ、私が個人的に苦手なのである。本当に、ただそれだけ。 それでも、レポートは容赦なく課されるのであって、 今日の日記は要は愚痴の一言に尽きるのである。お粗末。
追記 M木女史のお土産、「ひよこ」をいただく。 均等に配った後、残り一個をめぐってのひよこじゃんけん。 勝者はT甫女史・・・悔しい!
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