| 2006年03月11日(土) |
水谷語録の書き込み(1) |
癒しの森943
3月9日の「夜回り先生こと『水谷修さん』の教育姿勢の根幹」と題して書いた。この短文エッセイをミクシイの「夜回り先生」というページに掲載した。2日間であるが9人の書き込みがあった。ここに2つの書き込みを貴重な意見として癒しの森に記録させていただくことにしました。
・ゆっこさんの書き込み ふたみさんへ その通りだと思います。それぞれの花の咲く時期を、急がず、急がせず、あせらず、あせらせず、愛情を注ぎながら根気よく待つ。急がせて育った早咲きの花は、どこかに歪みを抱えてしまうように思います。 ちょうど良い時期や季節に咲く花は美しく、そしてどこかたくましいものだと思います。水谷先生のような、子どもを信じて、子どもの底力を信じて、ただ愛情を注いで待つ。そんな子どもの愛し方こそが、本来の愛情なのでしょうね。
・シャチさんの書き込み 私も夜回り先生が大好きです。一度講演会に行って、握手までしてもらいました。やっぱり優しい雰囲気というか、オーラが出てましたね。 こういう先生が、そしてこういう大人が増えてくれればと、切に願っています。ただ、このトピに一つ疑問点があります。 果たして叱らないことがいいことなのでしょうか? 叱ることと怒ることは別だと、私は考えています。ほめることで子どもが伸びることもあれば、叱ることで子どもが伸びることもあるのではないでしょうか? 優しい、犯罪の起こらない社会=全ての人がほめる人 これは言い過ぎかもしれませんが、ほめることと叱ることをうまく使い分ける必要があるのだと思います。叱るにしても、子どもを愛する気持ちは必要だと思いますが。生意気なことを言ってすいません。
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