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2005年10月10日(月) 生涯青春の会 会報6号

生涯青春の会 会報第6号(自然との対話特集) 2005年10月10日号

 晩秋は物思いにふける季節である。よって10月は「自然との対話特集」とした。10月のスピーチの会は、行く秋を惜しむスピーチを聞けることを楽しみにしたい。季節を感じ季節を語る心の余裕を持ちたいものである。
    目        次

1. 癒しの森の記述テーマ         2004年7月1日の癒しの森から
2. 我流の短歌               2003年9月12日の癒しの森から
3. 風力発電、地球政策研究所の見解 2003年7月4日の日々の映像から
4. 風に一詩を贈る            2003年7月31日の日々の映像から
5. 山村の暮らし              2003年8月30日の癒しの森から
6. コウロギの泣き声            2003年9月19日の癒しの森から
7. ススキも風と戯れる           2003年9月20日の癒しの森から
8. 稲  穂                 2003年9月23日の癒しの森から
9. 行く秋惜しんで             2003年10月08日の癒しの森から
10. 紅葉と夕日              2003年11月05日の癒しの森から
11. 銀杏の勇姿              2003年11月21日の癒しの森から
12. 一 本 の 松             2004年1月25日の癒しの森から
13. 春 爛 漫               2004年4月09日の癒しの森から
14. 青葉伸び行く命ドラマ        2004年4月18日の癒しの森から
15、緑が燃える山林へ         2004年6月3日の癒しの森から 
16、蒸し暑いよりの出来事      2004年7月18日の癒しの森から
17、稲の若穂が出てきた       2004年8月4日の癒しの森から
18、無数の露がキラキラ光る    2004年8月7日の癒しの森から

1、癒しの森の記述テーマ  (2004年7月1日の癒しの森から)
 昨日書いたように癒しの森700回を目指して書き続けたいと思っている。今日はどんなテーマを書いていくのかを箇条書きで整理したい。
1、人との関係などから癒しを感じることがら
2、自然との接触などから癒しを感じることがら
3、季節の移り変わりに関することがら
4、健康に関連して参考になるようなことがら
5、ジャンルは問わず素晴らしいと思うことがら
6、過去の大文豪・詩人の語録などの紹介
7、良き書物(詩)の読書感想
8、宇宙に関連して、凄いと思うことがら

   ・植え始め 癒しの森も 中ほどに 残る400 勇み綴らん
     
2、我流の短歌   (2003年9月12日の癒しの森から)
 私は短歌の勉強をしたことがない。ひところ、新聞の短歌を読むこともあったが、スッと意味が理解できない短歌が多い。よって読むのを止めてしまった。正式な短歌は、事実、現実、本当にあったことに限る考え方がある。
 要は創作を排除する考え方だ。目に映る事実、現実、本当に限るのであれば、人の心を動かす短歌は生まれにくいと思う。私の短歌は、分かりやすいことをモットーとしている。

 ・短歌をば 目視の事実に 限るなら 心を動かす 歌は少なし
       
               (短歌は1997年3月17日の日々の映像から)

3、風力発電、地球政策研究所の見解(2003年7月4日の日々の映像から)
 6月27日アメリカのシンクタンク「ワールドウオッチ研究所」の示すデータを少し取り上げた。この研究所は世界的に有名で、この日々の映像でも1年に数回データを引用してきた。この研究所の所長をされて来たスター・ブラウン氏が今年春に地球政策研究所を立ち上げた。
 多くのことを記述する紙幅はないが同研究所は、環境に対する世界の意識を高める役割を果たすとともに、「何が大事なのか」「何を考えるべきなのか」を提言している。更に言えば、人類が進むべきビジョンを示している。6月下旬、地球政策研究所が風力エネルギーの見解を発表している。
 米国に例を取ると、将来的に必要な全エネルギーの確保がを風力によって可能になる時代が来るとの見通しを発表した。風力発電のコストを同研究所は「1キロワット時当たりのコストは、80年代の38セント(45円)から現在は4セント(5円)に急降下。今後は1〜2セント(1・2円〜2・4円)に下がる見込みである」という。風力のみでアメリカが消費する全エネルギーを確保出来るという提言は素晴らしいと思う。すでにデンマークでは国内消費電力の20%を風力で補っている(余録で補足)

4、風に一詩を贈る  (2003年7月31日の日々の映像から)
 7月4日、風力発電に関する地球政策研究所の見解を書いた。このエッセイを書きながら次のように思った。「人類は進み方によっては栄え続けることが出来るのだ」と。なにしろ風力は豊富で無尽蔵、かつクリーンなのである。ドイツは新たな原子力発電所の建設を中止して風力エネルギーの確保に力を入れる。風力発電量は世界でトップの1200万キロワットだ。デンマークは総発電量が290万キロワットだが、消費電力の20%を賄っている。人類が無限の風のエネルギーに抱かれて暮らす時代が来るのだ。風に一詩を贈ろう。

   朝が来る
   太陽が陸地を暖める
   すると海から陸への風が流れる
   その時のお前の名前は海風
   夜になる
   陸地が早く冷える
   こんどは陸から海への風が流れる
   その時のお前の名前は陸風    
   地球は回る
   神秘に近い昼と夜のリズム
   そしてリズム正しく吹く爽やかな風
   そうか、風はおまえの呼吸だったね

5、山村の暮らし    2003年8月30日の癒しの森から
 今まで、何ヵ村かの集落と交流があった。住む場所というより、住む人によって山村の感じ方が全く違う。自分の住む地域に満足している老人がいた。この人の心の豊かさに導かれ、以下の短歌を作る。

・冬終り 燃える春の 眩しさよ 芽吹く緑と 漂う香り
・山の幸 春を味わう 山村の 誇りに燃える 豊かな暮らし
・澄み切って 生命(いのち)を運ぶ 水しぶき 森の鼓動か 流れはてなし
                     
               (短歌は1997年2月10日の日々の映像から)

6、コウロギの泣き声   (2003年09月19日の癒しの森から)
 庭のコウロギの泣き声が一段と高く聞こえるようになった。鳴く声(羽根を使って音を出すよう)はオスだという。メスを呼ぶ声なのだという。それにしても実に長く呼び続けるものである。コウロギの泣き声に、寂しい響きがあるように思う。寂しさを感じる・・・これも人生の1ページだ。

  ・コウロギや 何時まで鳴くの 秋の夜  響く音色に 寂しさ漂う 
                          
7、ススキも風と戯れる  (2003年09月20日の癒しの森から)
 今朝はまさに秋を感じさせる風であった。物思いの秋、実りの秋、読書の秋、心寂しい秋、・・同じ季節でも人によって感じ方が異なる。出来たら充実の実りの秋にしたいものである。今日に新津バイバスを車で走る。6年前と同じく道路沿いのススキが風に揺れていた。

   ・秋風が 優しくほほを 通り行く ススキも風と 戯れ遊ぶ            
            (1996年作 日々の映像記述の動機に掲載)

8、稲  穂    (2003年09月23日の癒しの森から)
 昔は稲刈りをして、ハザ木に掛けて乾燥したものだ。7年も前になるが加茂市の山間でハザ木に掛けた稲穂があった。近づくと懐かしい稲穂の香りがあたり一面に漂っていた。次の短歌は、最も記憶に残った一句となった。 
 稲穂の薫りについて、私に様々な思い出がある。これを書き出すと長くなるので割愛するが、何かの機会に書くこともあるかもしれない。 

 ・路傍にて 黄金の稲穂に 近づけば 秋の大地の こよなき薫り

            (1996年作 日々の映像の記述の動機に掲載)

9、行く秋惜しんで   (2003年10月08日の癒しの森から)
 急に寒く成ってきた。日本の四季の変化を、最も感じるのがこの秋だろう。夏の終りと共に蝉の合唱が終わり秋を告げるとコウロギの泣き声が響く。ここのところリーンリーンというコウロギと鈴虫の合唱が一段と高くなった。11月上旬になると彼らの鳴き声は耳にしなくなる。彼ら虫たちは次の生を残して、短いいのちの終りを迎えるのだ。自然に触れる機会を持つことは大切なことだと思う。これからは紅葉の秋本番である。そして、山の木々はまもなく冬化粧へと変化していく。

  ・虫たちは 時を惜しんで 大合唱 秋の夜長を 名ごり惜しむか

10、紅葉と夕日     (2003年11月05日 の癒しの森から)
今日は、妻と近所の婦人2人を連れて荒川上流の紅葉を見に行く。この国道113号線は「荒川峡もみじライン」いわれるだけ、見事な紅葉が広がっていた。特にこの紅葉が夕日に照らされ、その風景を北側から見る時は、紅葉がキラキラと光り息を呑むほどの絶景となる。
 春四月青葉が延びる山の風情も美しい。八十八夜のころは緑が萌え、盛夏とともに草木の生が燃焼するように延びていき、あたりには草いきれが漂う。そして紅葉の時を迎える。小説家藤原周平は雑木山が好きであったという。雑木山の四季、落葉樹の1年の変化と人生を重ねあわせていたのだ。人生の最後を夕日に照らされた紅葉のように美しく飾りたいものである。

 ・平等に 必ず迎える 老いと死を いかに飾らん 夕日のごとく
              
              (短歌は1997年11月7日の日々の映像から)    
11、銀杏の勇姿     (2003年11月21日の癒しの森から)
 11月18日、村松町慈光寺の銀杏を見に行く。晴天で車の中は温かいが、外に出るとさすがに寒い。銀杏の大半が落葉しているかと思っていたが、ことしの秋の暖かさでまだ20%余りであった。それでも大地は黄色の絨毯になっており、まさに秋の深まりと初冬を感じさせる風情である。銀杏の中には黄色の葉を多く残して佇み、背後の杉林をバックに見事な色彩美を演出している木もあった。自然の美しさは、人に感動を与える力を秘めている。
 300年以上経った銀杏の大木を下から見上げると、なんともいえない迫力がある。現存する植物としては、地球上で最も古いのだ。進化論のダーウィンは「種の起源」の中で、「太古(2億年)の昔より生き抜いた化石」と表現した。他の生命・植物が絶滅するほどの氷河期を4回も耐えたのだ。そして、太古のままの姿で現在も生き続けている。

  ・氷河期を 耐えつつ生きた 二億年 生きた化石の 雄姿厳たり 

12、一 本 の 松    (2004年01月25日の癒しの森から)
 暖冬が続いていたがさすが1月21日の大寒を迎えると寒くなってきた。22日から本格的な冬景色で、この日は1日中吹雪となっていた。暦の上ではあと少々で2月4日の立春を迎える。しかし、これから2月15日頃までは、厳寒の日々が続くのだろう。
 人も植物も季節の変化に様々な対応をしてきた。地球上の植物の進化は、不思議というしかない。日本の植物を大別すると広葉樹と針葉樹である。広葉樹が広がる雑木山は、四季をさまざま美しく彩る。我が家にも3本の松があり1月22日から雪化粧をしている。寒いとも暑いとも言わず春夏秋冬いつも変わりなく無言で佇む。 
    
   ・冬来ても なお青々と 緑あり 寒風耐え抜く 松逞しき

13、春 爛 漫      (2004年04月09日の癒しの森から)

    春は自然界が燃え上がる季節だ
    陽光を浴びる新潟の桜は今日全開となる
    まだ朝日が感じられる午前8時に内野小のグランドへ行く
    ここの桜は「一見百両」の値打ち
    グランドの西側は高台、そこより見下ろす桜は絶景
    太陽に光を受けて、桜はキラキラと輝いていた。
    まさに桜花爛漫の春を謳っている
    皆から「綺麗」と鑑賞される桜は幸せだ
    山の中に一人で咲いて、誰も見てくれない桜もいるのだ。

  ・僅かなる 花のいのちを 惜しんでか 桜を愛でる 日本の心
・山々に 一人佇む 山桜 見る人なしに 散り行く姿 
     
14、青葉伸び行く命ドラマ (2004年04月18日の癒しの森から)
 今年は桜を堪能した。4月9日に書いた内野小学校の桜を見に行った時、今まさの満開となった古木の伐採が行われていた。この古木は高さ1メータ余りのところから裂けてしまい危険であるので伐採が始まっていた。
 妻と2人で満開となった太さ2センチ余りの枝を、十本余り頂いて帰り、近所の人に分けてあげる。我が家の玄関の正面に高さ1.5メーター幅1.5メーターの桜が飾られ、妻は上機嫌であった。4月15日頃になると近所の差し上げた桜はみな散ってしまった。我が家の桜は、妻が愛情を持って毎日水を補給したせいか15日になっても花を保っていた。
 16日今日で終わりかと桜を見る。桜はやや萎れてはいるがまだ花をつけていた。17日今日で終りかと桜を見る。よく観察するとなんと無数の淡いグリーンの葉が出ているではないか。感動の一瞬であった。太さ2センチの桜の枝は、あらん限りの力を振り絞ってグリーンの葉に栄養を送っていたのだ。大地に根を張る桜並木は、余裕の表情で淡いグリーンの葉を伸ばしている。

 ・春4月 ばんだの桜も 散り始め 青葉は延び行く 命のドラマ

15、緑が燃える山林へ    (2004年6月3日の癒しの森から) 
 青葉が萌えるように延びる6月の山林の風景も美しい。6月3日の山林は盛夏が近いせいか、辺りは草いきれが漂っていた。
 妻と近所の婦人2人の夫人を連れて、新津丘陵へ行く。一人の夫人は山菜取りが嬉しくて、朝早く何度も目を覚ましたとのこと。この日も例年と同じく、奥深い新津丘陵の中心部へ行くと、1週間前に熊が出たので注意を促す看板が立っていた。これでは危険とのことで、山麓の林道沿いで水菜を取ることにした。急傾斜の場所であったが、十分な量の水菜を採集する。
 うどんの薬味に最適なミヨウガが多く自生しているところ、また、清水が流れているところに自生しているセリの場所を見つけるなど、それなりの成果のあった山菜取りであった。
     
 ・6月の 青葉が萌える 山林の 恵みは多く ミヨウガに水菜

16、蒸し暑いよりの出来事   (2004年7月18日の癒しの森から)
 夏の朝が7月24日に書いたようにいつも清清しい訳ではない。一昨日は玄関に出ても清清しさが全くない。温度を見ると28度で、湿度も高く典型的な熱帯夜であった。日中との温度差がないため、路傍の草にも露はない。こんな蒸し暑い夜川辺のほとりの自然界にある出来事が起こる。ミミズも蒸し暑いと見えて、涼をとるためか冷えたアスファルトに出てくる。ミミズに目が付いているわけでないので、一度アスファルトに出てくると、帰るべき草むらが分からない。これらのミミズたちは、太陽の日差しが強くなるとともに死に絶えるのである。
 このミミズの数も相当なものだ。場所によっては1メーター四方に2匹もいるので踏み潰さないように歩かなければならない。しかし、翌日同じ場所にミミズの死骸は跡形もない。最初は意味が分からなかったが、50メーター先にスズメが堤防の舗装に群がっているのを見て分かった。ミミズの死骸は、スズメたちの餌になっていたのだ。

・わずかなる 川辺のほとりの 自然界 死せるミミズも 無駄ではなかった
     
17、稲の若穂が出てきた   (2004年8月4日の癒しの森から)
 7月下旬からの猛暑に促されるように、稲の穂が出てきた。蝉は僅かの夏を惜しんで鳴いている。夏といっても僅か数週間で初秋へと流れる。8月に入ってからの空は、雲が高くすでに初秋を滲ませている。稲も秋がそこまで来ていると感じてか、急ぎ緑の若穂を押し出してきた。一本の稲が、1本の若穂をしっかりと支えて・・・夕刻になると気持ちよい風がそよそよと流れ、稲は風に答えるようにさわさわと静かな音を奏でる。自然の中の一瞬である。

 5月25日から朝の散歩を始めて、約70日間毎日稲の成長を観察してきた。僅か70日間での稲の成長は、信じられないほどの逞しさである。まもなく、10アール当たり500キロ〜600キロの稲穂が垂れ下がり実りの秋を迎える。5月上旬に苗が植えられてから僅か100日少々のドラマは、秋風とともに最終章に入る。
  
  ・蝉時雨 水穂の国に 秋が来る 大地に漂う 稲穂の香り

18、無数の露がキラキラ光る   (2004年8月7日の癒しの森から)
 朝の散歩のことを初めて癒しの森に書いたのは、5月30日であった。この時はこんな一文を書いた「ドイツの哲学者カントは、毎日決った時刻に散歩していたという。彼の優れた思想は、「座っている時」でなく「歩いている時」に現れたという。この一文に触れ、癒しの森の行き詰まりを打破するため、一念発起し早朝の散歩を実行している」すなわち、歩くことで血液の循環が良くなり、脳も刺激され癒しの森の記述テーマが見付かるとのイメージを持ったのだ。
 少々の日時で上記のイメージが誤りであったことに気づく。それは歩くこと自体が癒しであり、自然を肌で触れることによって癒しも森のテーマが次々に生まれることであった。毎日ほぼ同じコースを歩いているのであるが、自然はいつも異なる朝を演出する。今日は5時50分に家を出た。少しひんやりとし天も高く初秋を感じさせる気持ちのよい朝であった。コースの一部200メーターは、ほぼ太陽に向かって歩く場所がある。太陽の角度は15°余りであった。稲には無数の露が付着し、太陽の光を受けてキラキラと光っていた。自然が作り出す一瞬の名画であった。
               
  ・天高く 秋の風情の 今日の朝 無数の露が キラキラ光る








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石田ふたみ [MAIL]

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