僕はストーリーテラーに憧れる。 なんでもいい。 小説家、脚本家、映画監督、映像作家、漫画家・・・ なんにしても基本的には何かを語っている人達だ。 また映画監督、映像作家の人達には芸術性の面が突出する場合もある。 その辺の部分は画家の表現するものと共通するだろう。 意味のあるもの、ないものに関わらず、皆芸術家と呼べる職業の人達の事を、僕は羨ましく思う。 まずはストーリーテラーに憧れ、やがてあらゆる表現者、芸術家を羨ましく思う。 なぜそんなに羨ましがるのか? それは以前にも日記で言った通り、自分に自信がないからだろう。 そして、何らかの芸術の世界に憧れているからだろう。
先日NHK教育ではイブ・クラインという人の事を特集していた。 彼は画家で・・・ん?画家であったかどうかも忘れた。 なにせ、絵画以外の創作もしていたような気がするからだ。 彼は<青の旅人>と言われた。 彼がモダンとポスト=モダンの間の芸術を生み出していたと言われても、僕にはさっぱり分からない。 しかし、彼の振る舞いは幸い僕の目に止まった。 <幸い>というのは、イコール<喜ばしい>ということで、彼という存在を知ることができて何よりだという意味で使った。 先に彼は青の旅人うんぬんと記したが、そう、彼の何よりの特徴は<青>である。 明らかなほどに、一途なまでに、そして彼の目には青という色の概念が強烈に映っていたのだろう、と思わせる青の表現者なのである。 青が好きなんだな、この人は。 エルキュール・ポアロという架空の探偵は<灰色の脳細胞>をもつ男だが、彼はちがった意味で<青色の脳細胞>を持っているのだろう。 彼は青色に興奮したのだろうか? 自宅のトイレットペーパーは特注で青色に染められていたのだろうか? もし僕のお母さんが体中青に染まっていたら、きっと耐えられない。 「なんで青色なの?」 と聞くのも怖い。 話がずれたが、例えば、なんともそこにうねるような生命が宿っているかの如くの青一色に染められた絵が、彼の作品なのである。 キャンバス一面、同色の青である。 それを見て馬鹿にする人もいるだろう。 あんなもの赤子にだって描けるさ! いやしかし、そうも簡単に見くびることはできない。 やはり、じっと目をその作品に這わせてしまうのである、自然と。 僕は彼の策略にまんまとハマッた。 なぜだろうか? 青のモノクロームに塗られたそれがなんだっていうのか? 彼は自らが用いるその青を「インターナショナル・クライン・ブルー」と名付けた。 単純に言えば、彼の用いる青は濃い。 濃いのである。 仮に人間の血液がこの色でもおかしくないのでは?と言える色のように感じる。 青なのに。 ブルーなのに。 青の価値観が、彼を知ったおかげで少しずれてしまった。 深く考えざるを得なくなってしまった。 そして、深く考えたくなってしまったのである。 深淵な漂いをひたひたと見せる彼の作品は、単にマスコミが「彼の作品は芸術だ!」と言っているからではない、芸術としての存在感に満ちている。 ある瞬間、TV画面に彼が両足を開脚させて宙に舞っているような映像が映った。 彼はおぉ、まさに飛んでいた。 大の大人がそれをするのは想像が付きにくいようなパフォーマンスをしていた。 彼は楽しそうに飛んでいる。 そしてどこか儚げだ。 それを見て羨ましいとは思わなかったが、僕も一緒に飛んでみたくなったり、反対に彼の足を引っ張って尻餅をつかせたくなったりした。 僕はそれを見て、彼が内なるエネルギーを外に見せ付ける事の意味を(意味なんてあるのかどうかは知らないが)知ったような・・・、いや、感じたのである。 とにかく、彼がピョンピョン跳ねている様を見て、心がワクワクしたのだ。 ただそれだけだ。 彼が好きだ。 僕は宗教には関心が無い。 世に宗教と呼ばれるものはどんな団体にしろ、結局「ああしろ」だの「こうしろ」だのと言って個人というものを認めていないのでは?と思う。 もしそうでないところがあるのなら僕の認識不足としか言えないが、それはそれでいい。 僕の言いたいのはこういうことだ。 彼はああしろでのこうしろだのと言わないのは勿論のこと、他人に対して道標さえも立てていない。 そこがいいのだ。 「私を生きていく様はどうだい、参考になるだろ?」と思っている節が特にないのである。 そう、彼は人生のカリスマではない。 しかし、芸術のカリスマではあるかもしれない。 彼は人間が何かをするという行為、表現をする事の楽しさを、感じる事の快感を他人に伝えているのである。(それが本人の意志であるかどうかは別として) 彼は道を作るんではなくて、僕ら他人にとっては道端で風船を配っているピエロに過ぎないのである。 それはいいのである。 彼がどんな道を歩んでいようが構わない。 しかし、彼の創る風船が目当てなのである。 その風船こそが、僕がこの先を歩んでいくのに関わっていくかもしれないものなのだ。 彼はもうこの世にはいない。 彼はどんな道を歩んだのか? 彼の軌跡を辿る研究家は、彼の人生を追うのが目的なのではない。 彼の人生を盗み、側に置いておきたいだけなのである。 偶には、その研究家は道端に腰をおろして盗んだものを盗み見るのである。 そして僕は、彼や彼の研究家の表現するものを盗み見て、活用するかどうかは今のところ分からないし、無意識に意識していくのかもしれない。
―バナナ一本分の食物繊維を知りたいが、調べるのが面倒くさい―
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