| 2002年10月15日(火) |
相対性理論(ダーZ式)改め日本晴れ!! |
「他人と恐怖」 ついつい、自分という存在を他人と比べる。 比べてもいいのだろうが、そればっかりでも所謂アイデンティティが失われるだろう。 世の中は競争社会だとよく言われる。 また一方では俺はナンバーワンじゃなくてオンリーワンになるんだ!、という人もいる。
自分のことを気にしなくなったらヤバいとは思う。 そしてこの世に住んでる限り、他人のことも気になるのだ。 繰り返してしまうが、他人とはなんぞや?というところに行き着く。 その自分から見て圧倒的な色んな意味での可能性を含み得る集団を、一体どう見ればいいのだろうか?
しかし、そんなことが気になるってのは、たぶん比較的自分を信用していないのだろう。 しかし過信してもいけないのだろう。 だろう、だろうとさ迷いながら、この先を行くしかないのだろう。
他人というものを、もっと違う様に見るっていうことをしたいなと思う。 単なる自分とは離れたベクトルに点在するものとしてではなく・・・ 世の中には恐怖の要素が絶え間無くちらばっていて、その中に<他人>という要素も混じっていて、もうそれはその場その場の出会いによってしか図り得ない対象なのだ。 恐怖を重んじて福と成す、となればいいかな、結論としては。
「シェイプ気になり」 朝起きたら、拍子が折れ曲がった漫画がベッドの下に落ちていた。 昨夜、寝る時には壁に沿う側のベッドの頭の方に置いたはずのそれは、僕の体をまたいだ反対側に落ちていた。 それも折れ曲がって。 どうやら相当に寝相が悪いらしい。 掛け布団は途中でクシャクシャになり、家族の誰かがそれを伸ばそうとしたら漫画が落ちたらしい。 しかし、その一連の流れ〜眠りについてから朝の目覚めまで〜のことを僕は何も知れない。 一切、途中で起きていないからだ。
朝起きてその漫画の転がっているのを見た瞬間、自分に対して心許ない感情を持った。 沸沸と、なんでこうなってしまったのかを嘆いた。 その拍子の折れた漫画を見、もう一冊同じのを買ってしまおうかとも一瞬考えた。 僕はそれの上にタウンページを載せ、なるべく曲がっているのを矯正しようと試みた。 しかし、しばらくたっても元の通りにはならないだろう。 そして、タウンページをどけて曲がっている具合を再び見るのさえ嫌な気分だ。 一体、僕は何をすればいいんだろうか? ふたたび、その読みかけの漫画を見ることはあるのだろうか? 折れ曲がったのが気になって、もう手に取ることはないかもしれない。
ついさっきタウンページを載せられたそれは、今もなお載せられ続けている。
―パワーアップの犬は「ドーン!」―
|