◇謎は謎のままに終わらない? 昔、剣道の道場にかけてあったか、それか貼ってあった教訓のようなものが記されたものには、(其の一、………。其の一・・……。其の一……。)と箇条書きになっていた。何でいつまでたっても其の一、其の一なのだろうか?とよく思ったものだ。
◇哲学? 自分にとって影響を与えてくれる小説やノンフィクションの書物、または、漫画や音楽、映画といったものは、長い洞窟の入り口でしかない。 もっと言うなら、人一人の前には、長いトンネルと言うものがいくつでも出現する可能性がある。そしてそれがいつ出現するのかは分からない。 想いや現実は、それらの影響を与えるようなものとはある程度の距離があって、互いに、複雑に絡んでいたり、そうでもなかったりする。 昔引っかかったある小説のワンフレーズが今の自分と繋がり、そんな自分が昨日観たロードショウと出会い、それが僕にとっての例のワンフレーズと共鳴し合い、それが僕に何かを思わせたりするのである。
◇ミスチル かっこよくて、面白くて、気持ちのいいアルバム―It’s a wonderful world/Mr.Children いまでこそ、みすたーちるどれん。 その言葉を、その語感を呪文のようになぞりながら呟いてみると、何か不思議な気持ちになる。
◇「模倣犯」について 今、僕は「模倣犯」を少しづつ立ち読みしている。 時には名古屋駅付近の地下街の本屋で、 時には近所のチェーン店で座りながら読んでいる。
その店には親切にも椅子が置いてあり、そこで読んでいるが、その親切さの裏側にあるものを想像したりして偶に楽しんでもいる。 ところでその本を読んでいて思った事がある。 作者は自分自身が、この小説の顔であると言っていいキャラクター<ピース>に似ている所がある、と言ったらしい。それはどういう事なのか?
<ピース>は、僕からしてみれば救いようがなく、とんでもない奴だ!と言った感想を持たせるような犯罪者だ。いや、救いようがないというか、救いたくない。もし本当にこういう人物がいたら、それでも彼と同じ空気を吸わないといけないのだろうし、僕の見上げる空と、彼の目に止まった雲一つない空の景色は、どうしても繋がっているのである。それが現実なのだと…まぁ小説の人物と自分を比べる事がいいのか悪いのか、それか、そのどちらでもないのだとしても…<ピース>というのは自分の物差しから言わしてもらうなら、気のおかしな奴である。しかし、そう思う一方で、何故か、自分の中にも<ピース>という奴を構成している成分が少しは入っているのだろうか?こういう男と似たような所は無いか?ということを考えさせられる。そして実際にそうなんだろうなあ、ということを思ったりもする。やっぱり、「こいつの考えていることなんてちっとも解りゃしない!!」と言いきれはしない所が怖い。さっき著者が言った(私は<ピース>と似た所がある。)と爆弾発言にも聞こえるその言葉の意味は、僕が、言い切れはしない、と思った途端に分かったような気がした。
そうやって考えると、<ピース>の言っている事、やっている事が分かる部分というものを自分と照らし合わせてみると、妙に彼との距離が縮まったような気がして怖い。彼のどの部分かが<分かった>のである。そして僕や著者がピースに対して分かる事に限らず、人は人を理解しようとする時、(分かる部分がある。)と内心部分的にしか分かっていないと言う事が多いのではないだろうか?そうであるなら、すべてを分かったように錯覚する事も怖いし、部分的にしか分からない相手の事を何も知らないんだと勘違いすると言う事はオカシイ。大切なのは、相手と共鳴できるのはどの点についてなのか?ということだろう。
また、同じ小説には<ピース>以外にも、作中の連続殺人事件に関わったように思われる人物が二人いて、それらは<ピース>の同級生らしい。 今回この小説を映画化するという業を成した森田芳光監督は、彼らをカラーセラピーを元にして色に例えるなら<ピース>は赤、その同級生で親友の栗橋浩美は青、そして栗橋の幼なじみという○○を黄色であると言っていた。 映画で栗橋を演じる俳優は、「自分は、栗橋はどちらかというと<赤>でピースの方が<青>だと思っていた。しかし、それが監督の狙いなのだろう。」と言う。
因みに僕は、監督の言っている事が分かるような気がした。 (まだ原作を四分の一しか読んでいないので、推測の部分も多いが)三人はどういう形にしろ作中の犯罪に荷担していて、それぞれによってどのくらい関わったかというのは大きな違いがある。しかし、それを抜きに考えたとして…その犯罪に手を染めた事以外にも、そのキャラクターの今までというものも含め、本文や行間から読み取れる事を見渡して考えた場合…栗橋という人間が一番哀れなんだと思った。そう感じた。
これだけの事を思わせる小説を書いてしまう著者は凄い!…と思う。 そう、こんな小説を書いてしまった人って、どんな人なんだろうという、考えても意味の無い事を考えてしまったりもまたするのである。 しかし、一つ言える事は、例えば<ピース>という奴が狂っている奴だと言えるなら、この<ピース>というキャラクターを始め、この物語全体を語っている作者、宮部みゆきという人は、一般的な人だろうという事だ。
実に<一般的>という言葉は曖昧で、定かなものではないが、それは漫才コンビのつっこみの方が、ボケに対して指摘する事が皆正しいと思うことを考えれば、すこしは具体的に実感の出来る言葉にもなり得る。 要は、宮部と言う人は、つっこみの指摘するような事を実際に、実際に考える事が出来る…簡単に言えば、常識人なのだと言う事を思うのである。(因みに、漫才のボケを担当する人、またはボケの発する<ぼけ>を考える人というのは、常識的な感性の持ち主でなければボケを考える事、生み出す事は出来ないということを実際の漫才師の人達は言っているし、僕も同感する所だ。要は漫才師は、どちらの役割の人も、自分の言っている事を理解していると仮定するならば、どちら常識人に違いないということが言いたい。よくTVの視聴者の中で、ボケの人ってのはアホだろう、と思っている人がいるが、それは大きな間違いである。) ということなので、この著者は色んな角度から物事を考えられる人で、(抽象的な表現ではあるが)ごくどこにでもいるような人であり、それに加えて物語りを想像する事が、そして彼女の場合は物事をよりリアルに観察する能力に長けているんだ、と考える事が出来る。
彼女というのは、人と会話を交わす時、どんなんだろう?というのは少し気になりはする。 相手に(この人は小説家で、小説の登場人物のように表向きの発言と、心の中で思っていることは違うんではないか?もしかしたら彼女は彼女の作り出す登場人物そのものなのではないか?とするとこの人は今僕と会話を交わしている最中にも、どんな事を思いながら喋っているのだろう?もしかしたら<ピース>のように、あの「模倣犯」というベストセラー小説の中の<ピース>のように、とんでもない事をかんがえているのではなかろうか?)…などと思われるのはきっと嫌だろうし、「そんな事はない」と言うだろうし、実際そうだろう。
僕は、この作者は普段誰彼と会話をする時、少なくとも自分に嘘は付くような人ではない気がする。それは彼女以外の大衆だって、僕だって。完璧にとは言えないが為し得る事であり、逆にそうでない人もいるだろう。とにかく、彼女は実際に人と交わす<発言>と、心の中で思っている<考え><感情>は、なるべく近づけている、もしくは自然にそうなっているのだろうという仮説を僕は考えた。まぁだからと言ってそれがどうだ、というわけではないが、特にフィクションを創作する作者、というのは、謎だ、と言う事が僕は言いたい。んー、自分でそう言っててよく分からないが、何だかそれだけこの小説やこの著者の<宮部みゆき>という人に僕は興味と関心を持っていて、実際にそのどちらからもこの人は凄いな、というのを感じ、最近話題になっている人だが、ただの<話題の人>で終わるはずがないな、というような思いを僕に感じさせると言う事である。
追伸、僕は最近、自分の中の<観念論>と<感情論>を結び付けようと必死だ。
追伸、僕は小説家にはなりたくない。だって、あの長さがなんといってもキツイい。映画に例えるなら、どんなに内容がいいものでも、尺が長いと台無しになってしまう感じと似ている。僕がいい内容、いい仕事が出来そうな小説の内容を思い付いたとしても、あんなに一連の話を綴るということが僕の中ではキツい。
―END― ふぅ・・・。
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