| 2002年04月09日(火) |
もし嫌いな人がだんご虫だったら何回もつついて丸くしてやろう! |
「無駄」
>「勝手にそんなことされたら我々貧乏人がとばっちりを受けるんですよ!!」 ある会場で主婦はそう叫んだ。 その姿は必死だった。 誰に叫んでいるのかというと、相手は文部省である。 文部省は子供を抱える母親に向かって説明をしていた。 この春から小学校などでは学習内容が三割減るそうである。
>ビートたけしは小さい頃、よく母親に勉強をしなさいと言われていたそうだ。 貧乏人がお金を手にするにはそれしかないという理に適った言い分である。
>日本には古くから<量より質>という言い回しがある。 また、経験を積み重ねる事の大切さというのもあるだろう。 何にしろ、僕はお母さん方の集まりの中に立ち、学習内容の三割削減を痛烈に批判していた母親の形相が忘れられない。
>僕はなぜか好かないのである。 何がと言うと、三割削減に対して五月蝿く批判する人達の事である。 甘いと言われるかもしれないが、母親というものは、あんな風に、あんな所にエネルギーを使うものなのだろうか? もっと違う所に使うべきなのではないのだろうか?
>基本的には英才教育の風潮だって嫌いである。 ただ、その言葉の響きに問題があるのかもしれないというのを補足したい。
>規律があるからこそ、自由を感じる事が出来るのだと思う。 親は子供に五月蝿く言うものであろう。 また、子供の事を理解しようともしなければならないと思う。
>松本人志という芸人は、ロッカーを蹴る少年の気持ちが分かると言う。 そのロッカーとは、大抵どこの小学校や中学校の教室にも置いてあるような奴の事である。 「そんな事に理由はない。」 「ただ何となく蹴るのである。」 「何で蹴ったの?と聞かれても分からないものである。」 「今僕が言った事を小学生の前で言ったら(よう言った!松本は僕らの気持ちが分かってる!)と思うでしょう。」 こんな事を以前雑誌で語っていた。 僕はこれを見て、その時何故か泣きそうになったのを今でも思い出す。 彼は、TVで見せる表情では想像が付きにくいが、意外にもいい父親になるだろう。 そういうことなのである。 いい悪いというのは裏腹でなんとも判別の付けようが無いが、ピーンときてしまったのである。 「お前がそうだから駄目なんだよ、あらゆる意味で。」と。 今度ファミレスで友達と語る機会があったら絶対言ってやろうと思う。 あーいう親がいるから日本は駄目なんだ、と。
>少なくとも、僕はこう感じてしまうのである。 会場で勇ましく叫んだあの母親は、子供の事を分かっているのかな?と。
>補足しておくが、学習内容が減った事に関しては、現段階ではなんとも言いようが無いと思う。 ただ、NHKでやってる「課外授業 ようこそ先輩」という番組を見て、僕もあんな授業がやりたかったなぁと今にして思うのである。 理由は、面白そうだからである。
>子供は大人が思う以上に賢く、勝手に育つものである。 親というのは、子供に何を補う存在なのか? それは各々の子供次第で変わってくる。
―お前なんか爆笑問題著「対談の七人」でも読んで出直してこい!文句あるか!!バーカ!!!絶対お前なんかより僕の方が幸せだ、母のおかげで―
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