日々是修行也
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登場する人物・団体・店名等はすべて架空のもので、仮に存在していたとしても単なる偶然です。 また、暴力・犯罪・性的描写も個人の思い込みによる勝手な想像です。

1995年08月27日(日) セックスが愛に変わるために.... by ヨヨチュー

代々木忠監督=>親しみを込めて”ヨヨチュー”と呼ばれるAV界の巨匠で、自分が最も尊敬する人の一人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%BF%A0

(以下は、同氏の著書「つながる....セックスが愛に変わるために」祥伝社刊の抜粋)

「セックスという行為を客観的に眺めた時、『セックス=愛か?』と問われれば『それは違うのではないか』と私は答える。」

一口に『セックス』といっても、そこにはいろいろな意味合いが含まれている。大きく分ければ『相手と心からつながるセックス』と『セックスのように見えて、実は相手の体を使ったオナニー』の二つになると私は思う。

 前者は『お互いが感情を出して自分を明け渡し、相手と体も心もつながるセックス』であり。 後者は『目の前に相手がいても互いに見つめ合うことなく、自分の妄想と肉体的な刺激だけでイこうとするカラミ』だ。

 本当に心が通じ合うセックスをすれば飽きることはない。同じ相手でも人間の体調や感情は日々変わるから、それを感じとればセックスも毎回変化が生まれるのだ。

私は『セックスとは単なる性欲処理ではなく、相手と心からつながれるもの』だと思っているわけだが、『セックス=愛』だとは思わない。

また『愛があるセックス』『愛がないセックス』という言葉もよく耳にするけれど、これもちょっと違う気がする。それを言うなら『心があるセックス』『心がないセックス』だろう。

 では『愛』とはいったい何なのか?

相手を洞察することでその人の痛みや喜びを察したり、人間を慈しむ能力が、私のイメージする『愛』に最も近い。

 私は『相手と心がつながるようなセックスができれば、そのセックスがやがて愛に変容する』という言い方をよく口にする。本来セックスは『本能』でするものだ。本能でするセックスにおいて心がつながるとは『感情』が入ってくることを意味するが、この『本能』と『感情』が一つに溶け合ったとき、それは『愛』へ昇華するのではないかと思うのである。

 オーガズムはこの段階で訪れる。そして、もっと深いオーガズムを体験すると、『愛』はさらに『母性』へと変容を遂げる。だから、深いオーガズムを体験した女性には母性が開花するのである。

オーガズムを体験すると、感情の中ではエゴが取れ、体の中では新たなホルモン(快感ホルモン、エストロゲン、プロゲステロン)が分泌されて、心身ともに変化するということなのだろう。

 それが母性のスイッチを入れるきっかけになる。」
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う〜ん、、共感できる。


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