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無職生活一週間過ぎて。 状況は変わっても、朝に起きる習慣は身についていたようで、連日だいたい6時台には目が覚めて、包む布団でうだうだしても9時前には起き出す。 そして、母が用意してくれる朝食食べて、せめてもと食器は洗って、家族の生活場所に掃除機をかけて。 それから身支度を軽く整え、さあ、何をするか、と。
職安には一度しか行かなかった。その日は雨に降られて、そういえば、前にも同じような状況があったと思い出した。あれは夏だった。 相変わらず、求人はほんとに少ないと思う。
仕事が無くなって、することがなくなってしまったら、またしても心が揺れて何をしたらいいのかわからない不安な状況になってしまうのではないかと心配していたけれど、そこそこ規則正しくしていたせいか、それほどでもなかった。 ただ、ほんとに何もしてないというか、ただ日を過ごしていた感覚で、とても長かったような、早かったような。 歯がゆいような、何も感じないような。
とりあえず、どこにも出なかったのは1日だけで、短時間だけどどこかしらには出かけてみて。 少しの用事を、思い切り薄めて過ごしたような一週間。
いろいろ考えたかもしれないけど、なんかどっかいってしまったような。 それはそれで、いちいちとどめておくよりも、心地よいのかもしれない。忘れていくのが自然で、忘れないようにするから苦しいのかもしれない。 消すことを許される心地よさ。 いい加減でも許されたい。それはきっと自然体? それでなきゃ通じないひともいる。きっと。 結局は、同じような波長を感じて通じ合うんじゃないの?
ほら、ここに書いていることですら。 10年も前のこと、覚えているか? 確かに居たことは忘れたくないけど。
いつも「どこか行きたい」と思っているのは、結局は「心がどこか行きたい」ってことなんだろうな、と思った。
だから、体はどこに居てもいいんだよな、きっと。
んで、心がどっか行けるのは、何かに対して集中した時だけなんだよな。
まあ結局は、書いたり描いたりしてないってことなんだろうな。
そんな感じで。 また何か書きたいと思うす。 最近、書くことが後回しになってて、それはやっぱりさみしいと思う。
Mさん、無記名さん。 メッセージありがとうございました。 調子は、あまり無理して上げないようにしたいと思ってます。
あ、それから、おいらの思う「どっか行きたい」は、たぶん無理とか無茶とかしないと行けないんじゃないかと思ったり。 無理しないで、なんて無理だ。 そこを突き抜けないとたぶん満足しない。 普通に穏やかにすごして思ったこと。 でも、その無茶は、穏やかの上にこそ成り立つの。
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