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| 2001年11月19日(月) |
晴れた日。澄んだ空。 |
ずっと長い間、僕が生まれるずっと前からうちにいた犬が、今日死んだ。 お兄ちゃんは涙ひとつ流さなかった。
秋晴れの綺麗な青空に突き出されている煙突。そこから吐き出される煙は空へ消えていく。 「きっと、空に吸込まれていったんだな」 ぽつりと聞こえたお兄ちゃんのその言葉。 だけど空を向いているその表情は、背の小さい僕には見ることができなかった。 「…泣いてるの?」 僕はおずおずと聞いてみた。 「まさか。だってポチは救われたんだから」 「すくわれた? …死んじゃったのに?」 「うーん、俺は解放、されたんだと思うよ。だから悲しくない。悲しむべきじゃない」 「かいほう…」 僕は、その意味があまり飲み込めずに、オウムのように言葉をただくり返した。 お兄ちゃんは、それを知ってか知らずか言葉を続ける。 「うん。時間や老いや、痛みとかから解放…、自由になったんだよ。もう体も良くなって、きっと天国で思う存分走り回ってるんだ。あんなに一生懸命長生きしたんだもの。それでもいいじゃないか」 確かにポチは近所中でも一番長生きで、最近は足も利かなくなったけど、頑張って生きてきたんだ。 なんとなく僕もお兄ちゃんの言いたいことが分かった気がした。 「そっか…そうだね。…うん、悲しくない、よね」 「うん…」 お兄ちゃんは、頷きながら、自分の心臓のあたりを指差して言った。 「でも、胸にぽっかり開いた穴は、どうしようもないけどな」 その顔は笑っていたけど、寂しそうだった。 そしてぼくも笑顔で「そうだね」と返したけど、返したつもりだったけど、きっとお兄ちゃんと同じような顔をしていたと思う。 だって僕にだって穴は開いているんだもの。 気が付いたらそこにいたポチは、思うより大きい存在だったみたいだから。
「愛犬の墓」に、骨になってしまったポチを流し込む。 のら猫が5、6匹まわりにたむろっていて、その中の寄ってきた懐っこい1匹を撫でてやった。 何故ここにこんなにたくさんの猫がいるんだろうか。そんなことを考えていたら、お兄ちゃんが線香に火を付けて僕に渡してくれた。 「ちゃんと拝んでやるんだぞ」 受け取って頷くと、線香をお墓に置いて、僕らはその前に並んで手を合わせた。 その姿勢のまま、ふとお兄ちゃんの方を見ると、まだ目を閉じて拝んでいた。 なんとなく気まずくて、慌てて向き直り僕ももう一度目を閉じた。 長い時間、僕より長い時間一緒にいた家族へ、きっと思うことは多いのだろう。 世の中に、分からないことはたくさんあるし、それは知ってはいけないとなんとなく思う。
その後も、猫と遊んだり、なんとなくぼおっとしたりしながらしばらくそこで過ごした。 空が綺麗な小春日和は気持ちが良かった。 「時間が経てばね…」 呟くようなその声に、お兄ちゃんの顔を見たら、お兄ちゃんは僕の頭をくしゃっと撫でて 「時間が経てば、大丈夫だよ。うん、大丈夫」 と、少し強い声で祈るように言った。 僕は頷いて、戻されたお兄ちゃんの手を握った。
しばらくはその場所にいけば思い出す。 多分忘れない。 忘れる必要もない。 「忘れないよね」 「忘れる訳ないだろ」 「…そうだよね」 「…そうだよ」 すこしの沈黙の後、お兄ちゃんが言った。 「…家に帰ったら写真を見てみようか」 「うん」 確かにポチがそこにいたということを確かめて、そして感謝するんだ。
家に着き、お兄ちゃんが中に入ったのを確認すると、僕は朝までポチが眠っていた犬小屋に寄っていき、中を覗きながら「ありがとう」と静かに言ってみた。 今日は流星群が見えるらしいよ。寂しくないよね。
立ち上がって空を見た。澄んでいた。
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