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| 2002年08月21日(水) ■ |
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| もう大丈夫 |
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眠っていた感情が色を取り戻してきた。 まだまだ不十分だけれど, もう大丈夫だろうという確信がある。
いろんなものを失ったけれど, 気付いたことも少なくない。
目線が昔に戻りつつある。 それは嬉しいことだ。
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| 2002年07月22日(月) ■ |
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| 問題はないらしい |
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診療ではそういうことらしい。
ならそういうことなんだろう。
考えなくてもいいなら,考えずにいよう。
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| 2002年07月19日(金) ■ |
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| ただの機械 |
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ずっと原稿を作るマシンと化して1日が終わる。 今日も,これから先もずっと。
くだらない。
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| 2002年07月18日(木) ■ |
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| やりきれない |
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自分の中でのモノサシが狂ってしまって 何をよりどころに生きていけばいいのかわからない。
足元――自分が信じられるもの――が崩れていく。 わからない。何をどうするのが,正しいことなのか。 正しいことにそもそも意味があるのか。 正しいとか悪いとかは,ただ相対的な意味しかないだろ?
朝から何度も薬を飲んで落ち着こうとするけど, たんに判断力が鈍るだけで解決にはなってない。 この身を引き裂いて,腐敗して沈殿した意味のない思考を 洗い流してしまいたい。
それは血?それとも精神の奔流? ああもう訳分からない。
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| 2002年07月17日(水) ■ |
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| 認識できない? |
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人の群の中に紛れていて気付いたことがある。 まわりの人間を「見て」認識はしているのに, それ以上の認識はしていないということに。
見えてはいるけれど,「在る」という感覚とは違う。 映像を見ているのとあまり変わらない。 そこまで認識力が希薄になったのか。
見えているだけなら,現実としての意味を持たない。 そこに在るからこそ,意味がある。 けれど――僕にはただ見えているだけの映像だ。 感情や意味を伴った現実感から,ずれてしまっている。
現実の捉え方は,自分と社会との距離感にある。 つまり,相対的な距離こそが絶対。 社会との距離感がつかめない自分は,きっと, 自分自身の在りかたが不明確なんだろう。
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| 2002年07月15日(月) ■ |
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| 不調は唐突に訪れる |
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今日も照りつける日差しに焼かれながら外を歩く。 再び台風が迫っているらしく,明日は雨だ。 気温の変化に付いていけないのか,鼻風邪のような状態。
昨日は買い物した後に,お茶しに近所の店へ向かった。 気に入ってた場所。非日常的な空間を買いに行く。 けれど,改装されたその店は落ち着かない。 人が多く,横を何度も通り抜けていく。 それだけのことで落ち着かなくなる。 子連れが増えて僕の空間を壊す。 疲れただけで。 いいことはなかった。
今日は月曜日。 あっという間に休日は終わってしまったらしい。 今日ももう終わろうとしてる。 いったい何が,上滑りな時間を作りだしてるのか。
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| 2002年07月11日(木) ■ |
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| 眠れなかった |
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台風一過で,刺すような夏の日差し。 日差しは,暑いというより痛い。 それが夏の到来を思わせる。
昨晩は台風の雨音で寝付けなかった。 どこかから風が吹き込んでいるのき気付いて, 小さな窓を閉めて,また寝る機会を失った。
うつらうつらとしていると, 考えなくてもいいことばかりが頭に浮かんで消えていく。 不安と怒りとあきらめと。 そんなことばかり。そしてほとんど眠れずに朝になった。
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