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長男の琥白が入学する湘南ミュージックハイスクールの入学式に参列して来ました。先生方の話を聞いていて、とても情熱が伝わって来て感動する入学式でした。音楽の学校なだけに入学式でかかる演奏の全てが生演奏でした。入学式のあとに新入生歓迎演奏会があり、それもとても感動しました。自分が本当にやりたい事を習える学校って素晴らしいなと思いました。自分のやりたい事が習える学校があったと言う事は本当に幸運だと思います。「琥白、おもいっきり青春を楽しんでくれ!自分が本当にやりたい事をやって、なりたい自分になってくれ!人生をおもいっきり楽しんでくれ!今日はありがとう!琥白の成長を見ていつも楽しんでいるよ!琥白の成長を見ていつも幸せをいっぱいもらっているよ!」
初めて極真会と書いてある道着に手を通した時はとても嬉しかった。あの松井章圭選手や黒澤浩樹選手や増田章選手やアンディ・フグ選手やマイケル・トンプソン選手やピーター・スミット選手と同じ道着を着てるんだと思うとそれだけで強くなった気持になれました。極真空手は私の中では地上最強の空手、地上最強の格闘技だと思っていました。1番厳しい稽古をしているのが極真空手だと思っていました。この世の暴力の頂点を経験したいと思い極真空手の道場の門を叩きました。今でもその思いは変わっていません。誰よりも強くなりたいと思っています。
私は約3年前に受けた手術で危険な状況になりました。悔いが残らないように手術の前日まで稽古やトレーニングをしました。そして手術が終わり目を覚まし自分が生きていたと言う事が理解出来た時に「また頑張って生きよう」と思いました。そこから数日間は生きているだけで精一杯な状態でした。1番苦しい時は極真空手の試合の動画を見て「自分も頑張ろう!」と思いました。松井館長や数見先輩や黒澤先生の試合の動画を見ました。そして少しずつ元気になった時に思った事は稽古やトレーニングをしたいでした。自分は極真空手が大好きなんだなー!と思いました。そんな事は極真空手を始める前から分かっていた事ですが、自分が死を身近に感じた時も自分の身体が動かない時もずっと稽古やトレーニングの事を考えていた時に、改めて自分がどれだけ極真空手が好きかを再確認しました。そんなに好きな事を自分の生業に出来たのだから、自分の選択も自分の歩んで来た人生も間違っていなかったんだと思いました。極真空手大好き選手権大会があったら私は、きっと優勝出来るんじゃないかと思っています。
私がこの空手の世界で先生だと思っている方はたくさんいるのですが、私に大きな影響を与えてくれた私が先生と呼べる方々を書きたいと思います。魏桜流拳法時代の菊地信弘先生、極真会館福島県北支部時代の三瓶啓二師範、梶川裕史先輩、滝嶋邦彦先輩、堀江崇先輩、城西支部阿佐ヶ谷道場時代の黒澤浩樹先生、根本清志先輩、島端明先輩、極真会館城南川崎支部時代の廣重毅師範、川原奈穂樹先輩、数見肇先輩、佐伯健徳先輩、岩崎達也先輩、高久昌義先輩、竹石修先輩、阪田徹先輩、木浪利紀先輩です。この方達以外にも出稽古などでお世話になり大きな影響を受けた師範や先生もいらっしゃいますが、道場に所属して教えを頂き大きな影響を受けた方々を先生とさせて頂きました。
私は左上段回し蹴りが得意で現役時代は結構一本勝ちや技有りを取りました。そのなかで相手が倒れて失神させた完全な一本勝ちは6回でした。18歳から34歳まで16年で約130試合して完全な一本勝ちは6回なので、そんなに凄く多くはありませんが、左上段回し蹴りは稽古の組手や試合でも狙って当てる事が出来ました。あの感覚はいったい何だったのだろうと思います。当たる瞬間に相手も自分も少しスローになる不思議な感じでした。偶然ではなく蹴る前に当たる事がハッキリと予測出来ている感覚でした。その当たる事が予測出来ている感覚で蹴ると相手に上段回し蹴りが当たる瞬間から相手が倒れる瞬間までがスローになりました。たぶん狙って一本勝ち出来る人には分かると思います。
今日は妻の誕生日でした。5日に前倒しで誕生日会はしたのですが、今日は誕生日ケーキでお祝いをしました。長男と次男に私からの2つのお願いをしました。「何十年経って、琥白と真白が仕事をしたり結婚して、皆がバラバラに生活するようになったとしても、弥生ちゃんの誕生日の時だけは、家族みんなで集まって誕生日会をやろう。もしパパが死んだとしても琥白と真白で弥生ちゃんの誕生日会をやってあげてくれ。」と言う私の遺言として2人に言っておきました。妻は本当に大変です。家事や子育てもそうですが、私も長男も次男も妻と話がしたいので、皆で妻に話をするので妻は1人で皆の話を聞かなくてはいけません。だから妻の誕生日会を家族の1番大切な日として、皆が集まる日にして行きたいと思っています。
次男の真白の中学校の入学式でした。3年後には真白も義務教育が終わり、琥白は高校を卒業し、その3年後には真白が高校を卒業して、琥白はもう成人しています。その時には私は59歳になっています。そこから2年経てば真白も成人して、私も子育て卒業です。その時は私は61歳です。それまでは絶対2死ぬ事は出来ないなと思っていますいます。そんな事をふと考えながら真白の姿を見ていました。真白はニコニコして良い顔で入学式に入場して来ました。この光景を一生忘れないように目に焼き付けようと思いました。名前を呼ばれた時も明るい大きな声で返事が出来ていました。桜もギリギリ残ってくれていて良かったです。「真白、中学校入学おめでとう!入学式での真白のにこやかな顔を見て本当に幸せな気持になったよ。ありがとう!」
妻の誕生日会をお台場のフライデーズで行いました。妻の誕生日会だけはフライデーズで必ず行うようにしています。フライデーズは妻と初めて食事をしたお店と言う事もあるのですが、その時に誕生日を祝われている人を見て、当時は友達だった妻が「あんなふうに誕生日を祝ってもらえたら幸せだろうね!」と言っていたので、妻の誕生日会はフライデーズで行うようにしています。妻の誕生日会だけは何十年経っても、皆がどこにいても、必ず皆で集まってフライデーズで美味しい物を食べて、皆で弥生ちゃんの誕生日を祝おうと思っています。もし私が先にこの世からいなくなったら、子供達にそれを託したいと思います。
今日は前園さんの個人レッスンを行いました。ストレッチと呼吸法から站椿功を4種類行い三戦をやりました。前園さんはヘルニアを患ってしまったため、腰に負担をかけないように出来る稽古を行いました。前園さんが空手を始めた理由を聞いたら、友達に私の道場を勧められたとの事でした。その方を聞いたら、私が25歳の頃に指導をしていた方でした。なので前園さんは、28年経っての口コミで入門してくれた事になります。私が出会った、どれだけの人に善い行いを出来たかは分かりません。悪い事もしてしまったと思いますし、現在も私に悪い印象を持っている方もたくさんいると思います。その方々には本当に申し訳ないと自分の至らなさを詫びたいと思います。ですが少なくともその方は私に悪い印象は持っていなかったから、私の道場を勧めてくれたのだと思います。心から感謝を申し上げます。そしてその方に好印象を持ってもらえた事にも感謝したいと思います。私が指導員になる時に私の師匠の廣重師範に「人に優しく接しなさい。親切に指導しなさい。恩返しをしてもらうためにそれをするわけではないけれど、その人達が必ず自分に恩返しをしてけれるよ。」と言われました。その言葉を30年後になってしみじみと感じています。人に優しくして得をする事はそんなにないかもしれません。でも人に優しくして損する事は絶対にありません。それだけは強く思います。だから私は人に優しくしたいと思います。人に優しく出来ないのなら、自分がこの世に生まれて来た事に価値なんてありません。それこそ自分が生きるために働いて、自分が生きるために食べて、ただそれだけで自分の人生が終わってしまいます。自分が生きていた事でどれだけの人に良い影響を与える事が出来たか?それだけが自分がこの世に生きた事に価値があったと言える事なのではないのかと私は思います。私ももう53歳です。誰かに何かをもらう事よりも、少しだけでも多く誰に何かを与えられるよう努力したいと思っています。
城南支部には、朝練と言われる内弟子の選手稽古と帯研と言われる通の道場生の選手稽古と寮生稽古と言う寮に入っている道場生の選手稽古がありました。私はその全ての稽古に参加していました。寮生稽古は川原奈穂樹先輩を頭にして、塚本徳臣先輩、鈴木由一先輩、重盛先輩、志田さんと私で稽古していました。帯研は阪田徹先輩、川原奈穂樹先輩、小井泰三先輩、佐伯健徳先輩、木浪利紀先輩、塚本徳臣先輩、鳴海沖人先輩、鈴木由一先輩、錦城誘策先輩、古賀裕和先輩、原田先輩、重盛先輩、国枝さん、矢島さん、井上さん、佐々木さんとよく一緒に稽古をさせて頂来ました。参加していた人はもっといたのですが、入れ替わりが激しく来てもすぐいなくなってしまったりだったと思います。朝練は岩崎達也先輩、数見肇先輩、竹石修先輩、高久昌義先輩、志田清之さん、進藤広樹さん、橋本義明さん、廣直明さんと一緒に稽古していました。引退していましたが、たまに八巻建志先輩もいらしていました。本当にたくさんの人と稽古させて頂きました。岩崎達也先輩は、私の人生のターニングポイントで結構お世話になっています。数見肇先輩には結婚式に来て頂いたり道場の20周年のパーティーに来て頂いたりととてもお世話になっています。でも1番は今でも同じ組織にいる竹石修先輩と鈴木由一先輩にはもう恩返し出来ないほどお世話になっています。高久昌義先輩と志田清之さんとも長く同じ組織にいたので一緒に仕事したり食事をしたりしてお世話になりました。またいつか先輩方にお会いした時に恥ずかしくないよう自分を鍛えて行きたいと思います。
kanno
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