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次男の真白は本当に可愛いです。妻と次男がじゃれあってるところなんて見ていると本当に可愛いなー!と思い、私の心もほのぼのとして来ます。次男は女の子にモテます。たぶん優しいからなんだと思います。あとは面白い事をして人を笑わせてくれます。今日も女の子に告白されたと言っていました。私が「で?どうなったの?」と聞いたら、「付き合うことになったよ!」と言っていました。いつまでも可愛い真白でいて欲しいです。
「この道より我を生かす道なし この道を歩く」武者小路実篤が残した言葉です。私はこの言葉が大好きです。「何故、極真空手の先生をしているのか?」そう聞かれたら、私はこの言葉を言いたいと思います。実際に他に自分を生かす道がもしあったのなら、私はそちらに行っていたかもしれません。この道しか無いと思うから、この道を歩いて来れたのだと思います。でも、この道を歩いて自分を生かせている自負はあります。この道しか自分を生かす道はないけれど、ちゃんとこの道で自分を生かす事が出来ている事を誇りに思っています。自分はこの世に生まれて来た価値はあったと思っています。そしてこの道が存在した事に感謝しています。極真空手を創った大山倍達総裁をはじめ、極真空手を繋げて来てくれた諸先輩方には、本当に感謝しています。この道にあとから来る後輩達にもそう言われるよう、私も極真空手のために尽力して行きたいと思っています。そして、この道を誰よりも遠くまで歩いて行きたいと思います。人より遠回りしてもよいから、誰よりも遠くまで歩いて行きたいと思います。
私は極真空手の世界で一般の人が受けないような体験をして来ました。ここで言っておきたい事は、私はその出来事に感謝していると言う事です。師範や先生や先輩が私の事を思って、やった事か?と言えば、それはそうではないのかも?しれません。もしかしたら私を苛ついてムカついてやった事だったかも?しれません。そんな事はどうでも良いのです。これは受け取った人間がどう思ったか?そしてそれを後の人生で味噌󠄀にしたのか?糞にしたのか?感謝しているのか?恨みに思っているのか?と言う事です。もし師範や先生や先輩方にして頂いた事やされた事を糞にしてしまっているのなら、恨みに思ってしまっているのなら、その人は正しい成長をしなかったのかも?しれません。そして今の自分の人生が輝いていないのかも?しれません。私は極真空手の世界に入って本当に良かったと思っています。もしかしたら極真空手と言う幻想に騙されたのかもしれませんが、たとえ騙されたとしても、騙されて良かったと思っています。だから私もこれからこの極真空手の世界に入ってくる子供達を「ようこそ!極真空手の世界へ!」と言って極真空手幻想で騙してあげたいと思います。
黒澤浩樹先生とはウエイトトレーニングも一緒にやらせて頂いていました。原宿のトリムと言うトレーニングジムでした。ホテルとフィットネスジムとサウナが利用できる施設でした。表参道から直ぐの所にあるとてもおしゃれな感じのジムで芸能人の方やなど今でいうセレブな方々が利用しているジムでした。当時としてはとても広くて器具やマシンも多いジムだったと思います。黒澤浩樹先生とは火曜日と金曜日の夜と日曜日の午後にトレーニングしていました。私の記憶では2時間のトレーニングだったと思います。種目はベンチプレス、ダンベルベンチプレス、プルダウン、プーリーロウ、ショルダープレス、アップライトロウ、プルオーバー、スクワット、だったと思います。全て5セット行っていました。アップを2セット、メインを3セットと言う感じでした。先生とのトレーニングは高重量で5回上げるトレーニングでした。途中でつぶれたら(つぶれるというのは途中で上がらなくなること)、先生にぶっ飛ばされるので本当に緊張しました。トレーニング中だけではなく、トレーニングの日はとても緊張していました。トレーニングの1時間前にはジムに到着し、トレーニングメニューを確認しておきます。全ての種目の先生が行なう重さを覚えておいて、素早くバーベルにプレートを付けたり、マシンの重さを変えなくてはいけません。モタモタしていたり、重さを間違ったら、ぶっ飛ばされます。そして次に使う器具やマシンも素早く取って置かないと、やはりぶっ飛ばされます。なので自分のトレーニングだけではなく、遅刻をしない事や次に使うマシンを素早く取る事やトレーニングのメニューや重さを覚える事など全てに緊張して気を配らなくてはいけませんでした。トレーニングのあとは先生とサウナに入って帰りました。先生がサウナに入るタイミングで入り、先生が身体を洗うタイミングで自分も身体を洗わなくてはいけません。基本は自分が先生が動く前に先回りしてドアを開けたりするので、先生にしっかりと気を使っておかなければいけません。たまにホテルのしたにあるとんかつ屋で先生と一緒に食事をしました。その時も先生が水を飲んだらすぐ水を注いだりしなければいけないので気は抜けませんでした。先生と別れたあとは、もう疲れでグッタリと言う感じでした。なのでかなりメンタルも強くなりましたし、人に気を使えるようにもなったと思います。そして1番は先生とトレーニングしていた頃は1回1回が命がけなので、トレーニングで扱える重量がどんどん伸びて行きました。例えばベンチプレスは先生と始める頃は100キロを1〜2回上げれるぐらいだったのが、約半年で130キロを5回上げる事が出来るようになっていました。本当に良い経験をさせて頂きました。先生のおかげで人間的にも大きく成長出来たと思っています。そのおかげで城南支部に移籍してからは、先輩方に菅野は気が利くなと言われ先輩方にとても可愛がられ重宝して頂きました。あの先生との経験は、今ではお金を払っても出来る経験ではありません。本当に黒澤浩樹先生には感謝しています。
東京城南川崎支部時代に楽しかった事は蒲田道場で3ヶ月に1回、金曜日の稽古後に行われる飲み会です。皆で輪になって料理を食べたりビールを飲んだりしました。二次会は必ずヒットと言うカラオケボックスに行きました。みんな凄くお酒を飲んでいたので、終電がなくなり帰れなくなった人や飲み過ぎて潰れてしまった人は蒲田道場に泊まっていました。今の常識では出来ない事ですが、ビールの一気飲み大会がありました。これに優勝すると先輩に褒められるので、私も頑張って何回か優勝しました。こういう所で頑張って目立つと先輩方に気に入られて可愛がってもらえるので、飲み会もとても重要だったと思います。私は一気飲みをしたりモノマネをしたりして、けっこう頑張って目立っていたので、先輩方にはすぐ気に入られて可愛がって頂きました。男の世界は飲む事も大事ですし馬鹿になる事も大事だなと思います。
私の運営する極真会館東京城南京浜支部の第28回型競技支部内交流試合と第19回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が行われました。極真ルールの組手が苦手な人や年齢的に難しいや身体的に難しい状況にある方達が目標を持ち挑戦出来るように、この試合を開催しています。参加人数は少ないですが、生徒達の頑張る場所を提供するためにも継続して行く事が大切だと思っています。
私は東京城南川崎支部に9年所属していました。極真会館と支部長協議会派(現新極真会)の分裂までの2年間と極真会館と極真館の分裂までの7年間の9年間でした。やはり最初の2年間が1番楽しかったです。私も1生徒として道場に通っていたので、自分の稽古に没頭出来ましたし、凄い先輩方に囲まれて稽古をしていました。私は蒲田道場所属でしたので蒲田道場所属の先輩方や蒲田道場を指導する先輩方や蒲田道場が東京城南川崎支部の本部道場だったので帯研や朝練が行われているので、廣重師範を始め、師範代や分支部長の先輩方や指導員の先輩方など、ほぼほぼ黒帯の先輩方とは接する機会がありました。私が良く稽古させて頂いた先輩は川原先輩、佐伯先輩、木浪先輩、阪田先輩、小井先輩、数見先輩、高久先輩、塚本先輩、鈴木先輩、錦城先輩、志田さん、矢島さん、佐々木さん、井上さん、後輩では進藤さん、馬埼、久保と良く稽古させて頂きました。川原先輩には肋骨を三本折られました。佐伯先輩の上段回し蹴り、上段前蹴り、後ろ蹴りは全然見えなくて道場を逃げ回る事しか出来ませんでした。小井先輩には右の上段回し蹴りのカウンターで意識を飛ばされました。木浪先輩には怖くて思い切り向かって行く事が出来ませんでした。とんでもない道場に来てしまったと思いました。本当に天才の集まりでした。地方大会のチャンピオンクラスが移籍して来ても、みんな自信を失って居なくなってしまうほどでした。ですが私が何故この道場で長く空手を続ける事が出来たかと言えば、それは稽古中は先輩方は怖くても、稽古が終われば友達や優しい兄貴のように後輩に接してくれたからです。くだらないイジメやシゴキはいっさいない道場でした。それでも先輩方が偉大でカッコ良かったので、先輩をなめる後輩なんて1人もいませんでした。皆が伸び伸びと稽古していて、いい具合にピリッと緊張がある本当に素晴らしい道場でした。やはりそれは廣重師範が素晴らしい指導者だったからだと思います。廣重毅師範に出会えた事は私の人生で本当に本当に本当に幸運な事でした。今の自分がいるのは廣重師範のおかげだと思っています。
13日の金曜日ですが、誰もその事に気が付くことなく過ごしていたのでは?と思うほど誰からも「13日の金曜日」と言う言葉を聞く事はありませんでした。私が子供の頃は13日の金曜日といったら不吉な事が起こるとみんな言っていました。「ジェイソンが来るかもしれないから気を付けて帰れよ!」とみんなで言っていました。たぶん今の子はジェイソンを知らないと思います。口裂け女やジェイソンやノストラダムスの大予言のハルマゲドンを本気で信じてドキドキしていました。あのドキドキ感を今の子にも教えてあげたいなと思い、たまに道場の子供達に怖い話をしたりします。
城南支部での大きな出会い3人目は数見先輩です。私が城南支部の蒲田道場を見学に行った時は自主トレスペースでサンドバックに蹴り込みをしていました。凄い迫力だったのを覚えています。数見先輩を初めて見たのは1991年の東北大会で数見先輩が優勝した時でした。自分と1つしか年が変わらないのに、私がいつも指導して頂いている全日本空手道選手権大会に常連で出場している先輩方に勝って優勝していました。次は第5回世界大会で八巻建志先輩のセコンドに付いている姿を見かけました。次は1992年の第24回全日本空手道選手権大会で数見先輩が準優勝した時で、次は1993年の第1回全関東大会で数見先輩が優勝した時でした。その後は大会会場や大会会場近くのコンビニなどで数見先輩を見かけたりしていました。1993年の第24回全日本空手道選手権大会で優勝した時は本当に凄い人だったんだと思いました。そして次の年の4月に城南支部の蒲田道場で数見先輩がサンドバックを蹴っているのを見たわけです。私は最初は数見先輩が指導する5時のクラスに参加して、7時から数見先輩と自主トレすると言う感じでした。入門して1ヶ月ぐらい経った時に数見先輩に食事に連れて行って頂きました。蒲田にある祭寿司と言うお店で、笹岡先輩、木浪先輩、数見先輩、阪田先輩と自分でした。黒帯の先輩方に交じって私もその場に呼んで頂き、とても嬉しかったです。その後は飲み会などでよく席をご一緒させて頂くようになりました。数見先輩とはよく打ち込みと蹴り込みと砂袋を一緒にやらせて頂きました。スパーリングはパンチのみ、パンチ下段のみ、全部ありのスパーリングと言う感じでやっていました。そのあたりまでは先生と生徒と言う感じでした。数見先輩とな関係がぐっと近くなったのは極真会館が分裂して、私と一緒に稽古していた先輩方が現新極真会の方に行ってしまったので、私は内弟子が稽古する朝練に参加して、内弟子になってからです。そこから毎日一緒に稽古させて頂くようになり、夜も一緒に銭湯に行ったり、一緒に食事に行ったりするようになりました。一緒に稽古したりプライベートでも一緒にいるうちに数見先輩の凄さや素晴らしさを感じ、私も数見先輩のようになりたいと思うようになりました。私の中では史上最高の空手家は松井章圭館長か数見先輩だと思っています。今でも数見先輩の背中を追いかけています。私が股関節を人工関節にする手術をしたあと、ある先輩に「そんな所まで数見さんの真似しなくてもいいのに。」と言われました。数見先輩の素晴らしさは近づけば近づくほど凄さや素晴らしさが分かると言うことです。人間は近づくと悪い所もたくさん見えるものですが、数見先輩は悪い所がほとんどありませんでした。優しくて強くて自分に厳しく人に優しく後輩にまで気を使う方でした。
城南支部での大きな出会い2人目は川原奈穂樹先輩との出会いです。私の組手にとても大きな影響を与えてくれました。私が初めて城南支部の蒲田道場を見学した時に指導していたのが川原先輩でした。稽古のあとに川原先輩に城西支部を辞めて来た事などを相談したら「是非、入門してよ。」と言われました。その後、川原先輩に5時からの寮生稽古に誘われて川原軍団に入れてもらい一緒に稽古させて頂けるようになりました。川原軍団には、塚本徳臣先輩、鈴木由一先輩、重盛先輩、志田清之さんがいました。スーパーセーフと言う防具を付けて顔面ありのスパーリングをしていました。川原先輩は極真空手の選手を引退したあとボクシングのミドル級で全日本新人王になり日本タイトルマッチに挑戦しました。この時からとても顔面パンチが上手でした。私ももともとは顔面ありの空手をやっていたので、とても楽しくスパーリングしていましたが、川原先輩のパンチ力が強いので稽古のあとに目眩がする事が良くありました。川原先輩は第26回全日本空手道選手権大会で8位になりました。その後に極真会館は分裂してしまいました。川原先輩は分裂した極真会館支部長協議会派(現新極真会)へ行き第6回世界大会に出場しました。そこで私と川原先輩は別の道を歩むようになってしまいました。でも人生の節目節目で個人的にですが、川原先輩とはお会いする機会を持たせて頂いています。第26回全日本空手道選手権大会で8位になった時と極真空手の選手を引退して身一つでボクシングの世界に飛び込んで戦っている姿はとてもカッコ良かったです。今でも川原先輩の組手は私の理想ですし、今でも川原先輩の事はとても尊敬しています。因みに最近、ボクシングの世界タイトルマッチなどでアディダスのグローブが使われていますが、川原先輩がそのグローブを作っています。そんな凄い才能を持っている先輩です。
kanno
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