DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
私は新選組が好きです。新選組の活動の善し悪しは考える所はありますし、あの幕末と言う時代の自分と思想が違う人間を許さないという事がまかり通った事は日本がとても異常な状態だったと思いますし、あんな事が今後起こってはいけないと思います。でも、みんなが日本をどうするか?日本が生き残るためにはどうすれば良いのか?自分は新たな世の中でどう生き残って行くか?この変わる世の中の機に自分がどう成り上がろうか?どう自分の生きた証を残そうが?皆が必死だったのだと思います。そして皆が世の中の移り変わりの激しさに右往左往している時に頑なにその道を進み続けて散って行った事が私は熱い物を感じます。新選組が出来てから土方が亡くなるまで、たったの6年だったそうです。まさしく兵どもが夢のあとです。近藤、土方がどんな思いでその時間を過ごしたのか?どんな思いで散って行ったのか?とても興味があります。
私は何故か自分の人生に大きく関わる事になる人との出会いは鮮明に覚えています。別に出会った時に運命を感じたとか、ビビッと何かを感じたという訳では無いのですが、不思議と出会った瞬間の事を鮮明に記憶しています。道場生もそうで、たくさんの道場生が入門する中で長く続けて黒帯を取得したりする道場生が入門した時の事は鮮明に覚えています。妻と初めて出会った時の事も鮮明に覚えています。その時にはまさか結婚する事になるなんて夢にも思いませんでしたが、でも何故か出会った時の事は今でも映像として思い出す事が出来ます。そう考えるともしかしたら運命の出会いだったのかもしれません。そこに共通点はあるのかを考えてみました。共通点がありました。それは良くも悪くもインパクトの強さでした。例えばある先輩は、初めて会った時にとてつもなく無愛想でした。話す言葉も関西弁で早口でぶっきら棒で初めて会った印象は最悪と言って良いほどでした。でもその1年後ぐらいに一緒に電車に乗って先輩の応援に行った時に話したら、打ち解けて仲良くさせてもらうようになりました。でも考えてみれば、初めて会った時に印象が悪かった先輩の方が今もお付き合いさせて頂いているような気がします。後輩もそうな気がします。先輩を超えようと挑んで来た生意気な後輩の方がその後、自分を支えてくれる後輩になってくれました。今年もたくさん出会いがありました。人生は本当に面白いです。
長男の中学校の運動会を見に行きました。人数も多く少し遠くからの見たのですが、不思議と自分の子供はすぐに見つける事が出来ます。長男は私に気が付くと手を振って来ました。なかなか可愛いところがあります。いろんな事に一生懸命頑張っている姿はとても輝いていました。今という時間は今しかありません。思いっきり楽しんで青春して欲しいと思います。何歳になっても馬鹿になって騒いで楽しめる人でいて欲しいと思います。何歳になっても熱くなれる人でいて欲しいと思います。長男は座っている時はずっと砂をいじっていました。そんな所は親に似なくても良いのになと思いながら見ていました。まあ私の血を受け継いでいるのだから仕方ないかと思います。
新選組の局長近藤勇が修める剣術である天然理心流では「技よりも気組みだ」と教えていたそうです。真剣勝負では理屈を超えた気合が生死を分けると考えていたためそう教えていたそうです。私はこの「気組み」と言う考えがとても好きです。命を賭けた戦いでは理屈を超えた気合が生死を分けたのだと思いますし、命を賭けた戦いでは気力や胆力を込めた虚飾のない技しか役に立たなかったのではないかと思います。そして極真空手の稽古では常に気合を入れて稽古します。気合を込めて技を出す事で、技だけではなく気力や胆力を養う事が出来ます。小手先の技をたくさん学ぶ事よりも自分の気力や胆力を込めた技を身に付ける事が大切だと思います。それが真を極めた技なのではないかと思っています。
体重が97キロになりました。97.2キロなのでもうすぐ96キロになります。98キロ台で3〜4週間、それ以上落ちなくて苦しんだので、とても嬉しいです。今日のトレーニングでも記録が上がっていたので、たぶん筋肉はほとんど落ちていないと思います。なんとベンチプレスで100キロが10回上がってしまいました。しかも結構余裕がありました。20代の記録には、まだまだ追いつきませんが、もしかするともしかするかもと言う希望を持っています。お酒も止めてから44日が経ちました。でもやっぱりお酒は飲みたくなります。私は土日は家族と夕食を取る事が出来るので、帰りに飲物を買って帰ります。自分のお茶と妻のビールを買って帰ります。妻が1人でお酒を飲んでいるのを見ると、私は一緒に飲んであげる事が出来たら、もっと楽しい会話が出来るのになと思ってしまいます。人生は短いです。妻と健康で楽しくお酒を飲めるのだって10年〜20年あるか?ないか?です。今しか楽しめない事だってあります。人生を楽しむためにやっぱりお酒は飲みたいです。でも今は頑張って我慢して手術が終わったら、またお酒を飲む時間を楽しみたいと思います。
「俺の彼女いるじゃん」と突然、次男に話しかけられた時に、次男に彼女がいる話は、以前次男から聞いてはいなのですが、いきなりそんな感じで話しかけられたので、私が戸惑った感じになってると、次男は「俺に彼女いる話、このまえパパに話したでしょ?」と言うので、私が「うん」と言うと次男は彼女が猫が好きだという話を始めました。突然の話のフリに私は本当に小学四年生と話しているのか?と思いましたが、次男の話す内容はとても可愛らしくて安心しました。
土曜日は次男と二人で自転車で道場に行き、二人で家に自転車で帰るのですが、その道中に次男といつも激論になります。今日のお題は「何の巨人になりたいか?」でした。そして私が「戦槌の巨人になりたい」と言うと次男に「何で?」と聞かれたので」戦槌の巨人が一番強いと思うから」と答えたところ、激論が始まりました。そしてどちらの言い分が正しいかを途中で止まってGoogleで調べると次男の方が正しいです。そんな感じでずっと次男に論破されながら自転車を走らせています。こんな時間も今しかないので楽しみたいと思っています。
34年ぶりに友達と電話で話しました。私が中学の頃から仲の良い親友が居酒屋で飲んでいたら、私が少しだけ通った高校の時のクラスメイトと知り合い、一緒に飲んでいて、私の話になり、私の高校のクラスメイトが私と連絡を取りたいと言う事になり、私の親友が私に電話をしてくれて、34年ぶりに話をする事が出来ましたという経由でした。持つべきものは友達ですね。久しぶりに話をしましたが、お互いにその頃に戻って話が出来たので、お互い何も変わらないなと言う感じで話をする事が出来ました。お互い生きていれば、離れてもまたリンクする事が出来ます。だから生きてるって楽しいです。今年の年末に一緒に飲む約束をして電話を切りました。また楽しみが1つ増えました。その日を楽しみに毎日を頑張ろうと思います。もうこの歳になると見栄を張る必要もありません。毎日頑張って良い仕事をして、たまに友達と美味しいお酒を飲んで、話したり歌ったりして馬鹿騒ぎして楽しみたいと思います。
私は谷川俊太郎さんの「生きる」と言う詩が好きです。特にこの冒頭部分の「生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ 木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみすること あなたと手をつなぐこと 生きているということ」が好きです。私が20代の頃に見たTV番組で目の見えない方が出ていて、その方がこの詩を読んで「僕は目が見えないけれど、のどがかわく事が出来る、木漏れ日を温かく感じる事が出来る、ふっと或るメロディを思い出す事が出来る、くしゃみをする事が出来る、好きなあなたと手を繋ぐ事が出来る。だから僕は生きていると言う事を感じる事が出来る。生きていて楽しい」そして逆に「生きていないということ いま生きていないということ それはのどがかわくことが出来ないということ 木漏れ日をまぶしいと感じる事が出来ないということ ふっと或るメロディを思い出す事が出来ないということ くしゃみをする事が出来ないということ あなたと手を繋ぐ事が出来ないということ」とその詩を読みました。その方は目が見えないので何処にいても真暗なのだけれど、外に出れば風が気持ち良かったり、そこに行けば誰かと話せたりするので、目が見えなくても何処にいても同じではないと言っていました。そして先ほどの詩のような事を感じる事が出来るから生きていて楽しいと言っていました。そしてもし死んでしまったら、それを感じる事は出来ないんだよと言っていました。私はその時にどんなに苦しくても生きていれば楽しい事を見つける事が出来ると思えるようになりました。とはいえ自分で命を絶つ人はそれだけの辛さ苦しさがあったのですし、死んだ人を否定出来るのはそれを経験した人だと思うので、いま生きている人には否定は出来ないのだろうとも思います。でもやっぱり生きていれば美味しいビールも飲めるし、音楽も聞けるし、子供達の喧嘩の声も聞く事が出来るし、妻が子供達を怒っている声も聞く事が出来るし、ラーメン二郎も食べれるし、ワンピースも読めるしです。それを人がみんな楽しいと思うかは分からないけれど、少なくともそれを出来なくなる事は寂しい事だと私は思います。
日曜日に髪を切りました。少しイメージチェンジを狙おうと思います。それにともないダイエットも頑張って、夏にはスッキリしていたいと思います。来年の初めからガンガン稽古できるように今から身体も変えて行こうと思います。いろんな事を変えて行きます。
kanno
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