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今日からバシッと朝の稽古が出来るようになりました。そして新しい型を覚えました。覚えたと言ってもダンスで言えば振り付けを覚えただけの事なので、ここからスラスラと型が出来るようにして、細い動きや技を覚えて行かなければいけません。しっかりと動いて稽古してみて、なんとか膝も腰も股関節も大丈夫そうなので、この調子で頑張って稽古していきたいと思います。
5月9日月曜日からお酒を止めて稽古やトレーニングを頑張って、食事を制限してダイエットしています。私の仕事は身体が資本です。道着と帯があれば、何時でも何処ででも空手を教える事ができます。空手を教える知識というか技術というソフトさえあれば、教える場所というか箱というか、ハードはある意味、何でも良い訳です。これを書いていて良い事を思いつきました。訪問販売ならぬ訪問個人指導という手もあるな?話がそれましたが、私の仕事に商売道具は特にありません。言ってみれば知識や身体が唯一の商売道具かもしれません。でもだからこそ、この身体だけは大切にしなければいけません。怖い事はこの唯一の商売道具である自分の身体が壊れたら、別の物を買ってくることが出来ません。正しく商売上がったりです。極真会館のためもありますし、道場生のためもありますが、やはり妻と子供達のためにもあと最低12年は戦える身体でいなければいけないと思っています。
ついに11年ぶりに携帯電話を新しくしました。今までずっとiPhone4sを使っていたのですが、機種が古すぎてアップロード出来ないアプリもたくさんあり、さすがに使い勝手が悪くなっていました。1番はLINEがアップロード出来なかったのとバッテリーの消費が早い事でした。ただやはり携帯電話を新しくすると慣れるのに時間がかかるのが少し手間です。でも久しぶりに新しい携帯電話にし、いろんなアプリを入れたりしてなかなか楽しかっりしています。これから皆さんに新しい電話番号を連絡させて頂きたいと思います。
今の私しか知らない人は信じられないかもしれませんが、私は小学校に入学する頃までは、とても病弱でした。身体が弱いため心も弱く、自分に自信がない事から人前で自分を出す事も出来ませんでした。そんな時に好きになったのがウルトラマンでした。私が初めて好きになったヒーローはウルトラマンでした。私が強いものに憧れた原点であり、強くなりたいと思った原点がウルトラマンでした。弱い者を守るため、強い怪獣に立ち向かって戦うウルトラマンがとても大好きでした。いつかは自分もそうなりたいと想い願い、自分の将来の姿と重ねてウルトラマンを見ていたのだと思います。私は病気になって入院すると嬉しい事がありました。それは私が入院すると父や母が私の好きなウルトラマンの人形やウルトラマンのグッズを買ってきてくれました。父に「ウルトラマンみたいに強くなりたいんだろ!早く元気になれよ!」と言って励まされました。なんで自分が強くなりたかったのか?それは自分が弱かったからです。私は弱い自分が大っ嫌いでした。自分は自分だ、自分は自分のままで良い、なんてとても思えませんでした。弱い自分から強い自分に変身したいと本気で思っていました。そしてその力で弱い人を守りたい、その力で人の役に立ちたいと本気で思っていました。そしてその気持ちは49歳になった今も変わっていません。「シン・ウルトラマン」を観ながらそれを思い出して熱い物が込み上げて来ました。
長男が「シン・ウルトラマンでカッコイイ言葉が出てきたね!」と言ってきました。その言葉は「成せばなる、成さねばならぬ、何事も」でした。その言葉は大森道場に飾ってあるよと私が言うと、長男は思い出したらしく「トイレの前にある木のやつね」と言いました。私はその先もあるんだよ、「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成さぬは人の成さぬなりけり」と全文を読んで聞かせました。そのあと長男に「パパはこの言葉を、出来る事だって、やらなければ出来ない、出来ないのはお前がやらないからだ。という厳しい言葉だと思っているんだよ。」と話しました。これは私の捉え方なのですが、何かに取り組むときに私はこう思い取り組むようにしています。
「シン・ウルトラマン」を子供達と観に行きました。私は子供の頃「ウルトラマン」の映画を観に行きました。子供達と「シン・ウルトラマン」を観る事が出来て、とても幸せです。自分が強くなりたいと思った原点はウルトラマンでした。長男も次男もウルトラマンは大好きです。やっぱりそれは私の血を引いているからなんだと思います。「シン・ウルトラマン」を観て、あらためて私は強い男になりたいんだと思いました。そして「シン・ウルトラマン」を観て熱くなれる気持ちがある事を嬉しく思いました。49歳になった今でも強くなる事を止めていない事を、49歳になった今でも強くなる事を諦めていない事を、49歳になった今でも「ウルトラマン」を観て熱くなっている事を、「ウルトラマン」が好きだった頃の小さい自分に報告したい気持ちになりました。「シン・ウルトラマン」カッコ良かったです!子供達には本当に見て欲しいです。49歳になった私がこんなに熱い気持ちになれるのだから、子供達はもっともっと熱い気持ちになれるはずです。そして強くて優しくて、自分を犠牲にしてでも自分より弱い者を守る男になりないと思ってくれるのではないかなと思います。
中村文則さんのエッセイを読んでいます。中村文則さんは福島大学に通っていました。福島というところは時間がゆっくりで人が温かかったと書いてありました。自分の生まれ故郷をよく言って頂き、自分の事のように嬉しかったです。私も福島は大好きです。そして今住んでいる東京も大好きです。今まで中野、蒲田、六本木、大森、雑色に住みましたが、全ての場所に思い入れがあります。でも気が付けば雑色に住んで10年が経ちました。東京の中でも自分の故郷に似ている場所を選んだ気がします。
次男は違う学校の年上の子とも友達になって遊んでいるようです。少し前にも私と次男で自転車で信号待ちをしていたら、中学生ぐらいの子に「マシロー!じゃあなー!」と言われていました。いろんな人に好かれて、いろんな人と仲良しになれる人は本当に得をします。もしかしたらそういう人が最強なのかもしれません。次男は私に、モノマネをして見せてくれたり、面白い話をしてくれたりします。次男は家族に笑いを与えてくれる子なので、そのひょうきんさを無くさないで生きて行って欲しいなと思います。
長男に「俺ってギターの天才だと思わない?だって小6で〜も〜も〜も出来るんだよ!」とギーターのテクニックの名前を言われました。何個か知っていましたが、何個か知らないものもありました。私は「自分で天才だと思うんなら天才だろうな」と答えました。そのあと「俺、絶対プロのギタリストになれるよね!」と言うので、私は「自分がなれると思うのならなれるだろうな」と答えました。 禅問答のような答えを言ったつもりはありません。自分がそうだと信じるのなら、そうなのだと思います。私も自分を天才だと信じていましたし、世界チャンピオンになれると信じていました。私は天才でもなく、世界チャンピオンにもなれませんでしたが、その勘違いとも言える根拠のない自信が自分の原動力となり、その夢や目標を目指しているうちに、それが趣味が特技、特技が仕事、仕事が趣味と言う不思議な物に昇華させてしまいました。自分を信じて、馬鹿になって、真剣になって、一生懸命になって、夢を追いかけて欲しいと思います。夢を叶えられなかった私が言うのもなんですが、今この歳になって思う事は、夢を目指していたあの頃は本当に楽しかったなという事です。夢を目指していたら、苦しい時も辛い時もあるかもしれません。でもそれも楽しんで欲しいなと思います。たった一度しかない人生だから、その時その時を楽しんで欲しいなと思います。
逢坂冬馬の「同志少女よ、敵を撃て」を読み終わりました。この作品を今この時期に読む事が出来て本当に良かったと思っています。この作品は、第二次世界大戦の独ソ戦が舞台となっています。お勧めしたい作品なので、あまりストーリーには触れたくはありませんが、とても心に残る言葉があったので書いておきたいと思います。その言葉は「戦争は女の顔をしていない」でした。そして「セラフィマが戦争から学び取ったことは、八百メートル向こうの敵を撃つ技術でも、戦場であらわになる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。命の意味だった。失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。学んだことがあるならば、ただこの率直な事実、それだけを学んだ。もしそれ以外を得たと言いたがる者がいるならば、その者を信頼できないとも思えた。」でした。この日記に以前書いたと思いますが、この作品を読みたいと決定的に思ったのは本の帯に書いてあった「戦争は女の顔はもちろんのこと、男を含めたあらゆる性別の顔もしておらず、つまり人間の顔をしていないのだという、事実を物語ろうとする、その志の高さに感服した」と言う三浦しおんさんの言葉でした。だからこの言葉を書いた、三浦しおんさんに感謝です。そしてこの作品を読み終えて心に残った言葉は「戦争は女の顔をしていない」でした。戦争を起こすのも戦争をするのも人間です。何故戦争は起こるのだろう?戦争って何なのだろう?何故戦わなくてはならないのだろう?敵っていったい誰なんだろう?そう考えさせられました。戦争を語れる人も少なくなって来た事が今現代が良いのか?悪いのか?分かりません。でも戦争を語れる人が少なくなって来た今、また戦争が起きています。戦争と言う物を戦争に勝利した物を英雄視する歴史が残る世界があるようでは、また戦争が起こるのではないかと思います。もし世界が起こったのであれば、その事をその時代の人達がいろんな立場でそこに関わったり、それを検証した人達がそれを正確に歴史として残さなくてはならないのではないのかなと思います。そして何も出来ない私に出来ることは、何故戦争は起こるのだろう?敵っていったい誰なんだろう?こんな考えても答えの出ないことを考え続けていかなくてはならないのではないかと思います。何はともあれ自分が考えるということを与えてくれたこの作品を読めた事をとても幸運に思っています。
kanno
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