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2020年11月12日(木) 型をやらなければ空手じゃない

私の師匠が「型をやらなければ空手じゃない」と仰っていました。今、私はその意味が良く分かります。空手道にとって型が大切な事は「空手は型にはじまり型に終わる」と言う言葉がよく表しています。でも今は型をやらない道場なども多々存在しています。その人達が何故そうするのか?私も分からないわけではありません。何故なら私もその道を通って今があるからです。私も20代の頃は何故、型をやるのだろうと言う疑問を持ちました。その頃の私は試合で勝つ事だけを目指していました。気が付いている人は気が付いていると思いますが、型のなかにある技を洗い出したら、試合のなかで使いやすい技はほとんど出て来ません。逆に言えば試合で使う可能性が無い技や動きばかりだと言っても良いかも知れません。では型は何故大切なのか?試合で勝つ事を目標にしている人にも型をやる利点はたくさんあります。先ずは、様々な身体の使い方を学べること、様々な足さばきを学べること、動くときの重心の移動を学べること、左右の均等に動く事で左右のバランスを学べること、動作と呼吸を合わせる事で動く時や技を出す時の正しい呼吸方を学べること、様々な方向に様々な足さばきで素早く動き、様々な技を素早く出す事でバランスや重心の移動や力の強弱や正しい呼吸の使い方を学べば自然と自分の身体が居付かない状態を学ぶ事が出来ます。私の浅い知識の中でも試合で勝つ事を目標にしている人でも型から学べる事は、これだけの事が出てきます。でも本当に大切なのはここからです。もうここまで読んで気付いている方もいるかも知れませんが、空手道の型は、空手の試合が始まるずっとずっとずっと以前からあったものです。という事は、型は試合で使う技術のために作られたものではありません。自分の命を守る為に戦う事を想定し、一対一だけではなく、多人数や様々な状況を想定して作られた身体の使い方や技の使い方を集めた物が型です。その他にも型を行う中で、呼吸方で自分の内面や気を鍛えたり、自分の持っている力を瞬間的に爆発させる方法を学ぶ事が出来ます。また型を一心不乱に行う中で、心の使い方や、心を高めることが出来るので、型は動く禅にもなります。型をやらなければ本当にもったいないです。たった一人の人間が一生を賭けたとしても経験出来る事はたかが知れています。長い長い歴史の中で、先人たちが次の世代、次の世代と受け継ぐ中で、長を取り短を捨てて、今に伝え遺してくれた物が型です。その先人達の素晴らしい財産を学ばせていただけるのが型です。だからそこに敬意を表して稽古しなければいけません。昔から兵法には三つの戒めがあります。一つは「疑廬(ぎりょ)」先人の教えに対して軽率な疑いを抱かないこと、一つは「懈怠(けだい)」不断の努力を重ね修行を怠らないこと、一つは「慢心(まんしん)」上達してもけっして奢りや自惚れの気持ちを持たないこと、だそうです。その三つの戒めを忘れず型の稽古に励む事が大切です。私も今、一生懸命に型を稽古しています。その中で本当に型の素晴らしさに気が付いている毎日です。型に含まれている技法の無限の変化に驚かされます。私達がどれだけいろんな事を経験しどれだけの技を編み出しても、おそらく全く新しい技という事はあり得ないだろうと思います。それだけの物が型の中にはあります。うちの道場は型を稽古しないなどと言う言葉を目にすると本当にもったいないなと思いますし、その道場に入門した生徒は本当に運が悪かったな可哀想だなと思います。


2020年11月11日(水) 私の好きな型

私は「観空大(カンクウダイ)」と言う型が好きです。この型は全空連の指定型で松濤館の型なのですが、全空連の講習会で習った型でした。この観空大という型は、中国の武官である公相君(コウソウクン)から沖縄に伝えられたという説もあります。カンクウダイをクーシャンクーと言う流派もあります。琉球の唐手を日本に伝え空手とした松濤館の船越義珍先生もこの観空大を好んで演武されたようです。挙動数の多い長い型で、とても激しい型なので、体力が必要な型です。松濤館の先生もこの観空大を何歳になっても演武出来るよう稽古をしていると話されていました。私もこの型が1番好きで、ほぼ毎日この型を行うようにしています。そして糸洲安恒先生が中学生の体育の科目に空手を入れる為に、この観空大を元に作った型が平安一から平安五だと言われています。なので平安一から五をしっかり稽古すれば観空大が出来るようになり、また観空大を稽古する事で平安一から五の見直しも出来たりします。この型は手を合わせて上に上げ満月を描くような動きから始まるのですが、この手を合わせて上に上げ掌の間から空を観る動きから型の名称も「観空大」となったそうです。この手を合わせて空を観て満月を描くような動きは、円満に事を収めると言う心を表していると言われています。「空手に先手なし」の心構えが出ているのだと思います。


2020年11月10日(火) 新しい事を

常に新しい事をインプットして行きたいと思います。でもインプットした事が直ぐに役に立つか?と言えば、それはそうではない事もたくさんあります。でもインプットした事を何年か自分の中で寝かせておいたものが後に役に立つ事もけっこうあります。歳をとればとるほど、新しい事をインプットするのが難しくなり面倒になりますが、数年後の自分のためにそれを怠らないようにしたいと思います、


2020年11月09日(月) いつでも待っています

今から6年前くらいに、私の道場生だった子達4名が私に会いに道場に来てくれました。その子達ももう大学生になっていたり、働いていたりでした。その頃は私の道場には国際親善大会や東日本大会で入賞する選手も育っていました。その事をその子達に話すと「私達の時はみんな関東大会に出てもみんな一回戦負けだったのに、今の子達は凄いね」と言いました。私はその子達に「みんなが頑張って試合に出てくれたから、それが伝統となり、東京城南京浜支部の道場生は試合に出るようになったんだよ。みんなが頑張った事が今に繋がっているんだよ。だからみんなには本当にありがとうと思っているよ」と話しました。私の道場に入門した道場生の一人一人の力が、私の道場で汗を流して稽古をした道場生一人一人のおかげで今があると思っています。本当に感謝しています。私はいつでも道場で道着を着て稽古しています。いつでも道場に帰って来て欲しいと思います。いつでも道場に会いに来て欲しいと思います。菅野先生はいつでも待っています。


2020年11月08日(日) 勉強になった本

「アントニオ猪木・世界闘魂秘録」を読みました。この本を読んで本当に凄い人だと改めて思いました。あの人を魅了するカリスマ性は激動の人生の中で培った物なのだと思いました。苦労は勝ってでもした方が人間が大きくなり、人間味が出るんだろうと思うし、人間に魅力が出るんだろうと思います。私も、これからの人生を生きて行くうえで本当に勉強になる本でした。1番感動した一文だけ書いておきたいと思います。「恥をかけ。馬鹿になれ。そうすれば、自ずと道は開ける。それがどんなに険しい茨の道であっても、まずは一歩を踏み出すことだ。小さな一歩で、未来は大きく変わる。」


2020年11月07日(土) ケジメ

仕事にしろ習い事にしろ辞める時に、辞め方と言うものはとても大切だと思います。しっかりと挨拶をして辞めないと、その時に関わった人達と堂々と会う事が出来なくなってしまいます。自分の行いで世の中を狭くしてしまいます。辞める理由も出来るならばしっかりと伝えた方が良いと思います。その時には、それを言った事で少し嫌な思いもするかもしれませんが、後に頑張っていれば、辞めた事を判ってもらえる日も来ると思います。ですが上手くしのぐような事を言ったり、嘘をついてしまうと、世の中は狭いですし、自分では上手くしのいだと思っても、意外に周りはその嘘を見抜いています。もしくは後に見抜かれてしまいます。そして自分の信用を失ってしまうことになります。私はこういう事はしっかりやって来ました。怖くても1人でそこに行ってケジメをつけて辞めました。中には半殺しにされた事もあります。目も見てもらえなかった事もあります。でも辞めた後にその人達と再会して笑って話せる時を作りました。ちゃんとケジメをつければ、全て良い思い出になり、新たな世界に堂々と飛び出して行けます。


2020年11月06日(金) 何がどうなろうとも

長男の可愛げのないところが私は大好きです。次男の可愛げのあるところが私は大好きです。たぶん親というものは、そういうものなのだと思います。何がどうなろうとも自分の子供もいうものはとても可愛いものです。その子供達を可愛いと思う気持が私の原動力です。


2020年11月05日(木) ヒントになる言葉

琉球拳法空手術の達人である本部朝基の言葉で印象に残ったものを書きます。「すべては自然であり、変化である」「構えは心の中にあって、外にはない」「夫婦手は唐手の欠かすことの出来ない定めて、日常生活の中でも−例えば酒を注ぐとき、盃を持つとき橋をとるとき等々−拳法修業者はこの定めを守るようにし、夫婦手の定めを自ら身につけるようにしなければならない」(夫婦手とは左右の手の連動で、攻め手、防ぎ手が左右呼応して連動すること)「唐手は先手である」「本当のところはやってみなくては判らない」(形や形式的な組手ばかりやっていると、実際には何の役にもたたない架空のお遊びになる。実戦を通して、はじめて利き技が判り、無駄な技を知る。という意味だそうです)「ナイファンチの形の足腰の在り方が、唐手の基本である」「ナイファンチの形を左右、いずれに捻ったものが実戦での足立で、ナイファンチの形は左右、いずれかに捻って考えた場合、いちいちの動作に含まれるいろいろな意味が判ってくる」空手道修業のヒントになる言葉がたくさんあります。


2020年11月04日(水) 膝の怪我

膝を悪くした事で自分を見つめ直す事が出来ています。自分の生き方ややりたい事や稽古方法や夢や目標などなどいろんな事を考えています。自分が良い時には意外に自分を見つめ直したり、自分を変えると言う作業が出来ていなかったりします。だからある意味で言えば悪い時こそ自分を見つめ直したり自分を変えるチャンスの時だと思います。この膝の怪我で私は大きく成長出来る気がしています。


2020年11月03日(火) 天地と一心になって

剣道には、昔から「恐・驚・疑・惑」の四つの戒めがあるそうです。一刀流の(切落)とは「恐れ、おののき、疑う、惑う」の四つの欲を切り落とす捨て身の技だそうです。柳生新陰流の(合撃)は相手の全人格を認め、相手を活かす活人剣ですが、そのためには、自分に自我があってはならず、自分を捨てて技を出さなくてはいけないそうです。そこから技を考えると、捨て身になり、無心となって技を出す事が大切なのだと思います。自我を捨てて無心になるという事は、自然と一体化するという事で、言ってみれば天地と一心になるという事なのだと思います。天地と一心になって技を出す。言うのは簡単ですが、やるのはなかなか難しいと思います。この境地に辿り着いた人は本当にいるのか?私はそれを見ていないので分かりません。そして自分は果たしてその境地に辿り着くことが出来るのか?それも全然分かりません。それでもそれを目指して稽古していきたいと思います。いつか誰かはそこに辿り着く事が出来るのではないか?と思っています。


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