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本日、緊急事態宣言が解除されました。来週からは通常通りの稽古を開始したいと思います。換気、マスクの着用、うがい手洗い、距離をあける、これを守っていけば感染は防げると思います。やっと動き出せる日が来る事を嬉しく思っています。今日の朝のトレーニングで長男は400mダッシュで、今までのベストタイムを2秒縮め1分43秒をだしました。昨日、私が話した事が心に響いてくれていたようです。長男は3月8日にランニングとダッシュを始めた時は400mダッシュのタイムは2分5秒でしたので、47日間で22秒タイムを縮めました。人間は努力すれば、自分が望むような自分になれます。自分が思うような事が出来るようになれます。出来ると信じて、苦しくても諦めないで、辛くても逃げないで、弱い自分に負けないで努力を続けて行けば、必ず夢も目標も達成出来ます。初めて長男が400mダッシュした時に、私は長男に「もし400mダッシュで1分40秒を切れたら、好きな物を買ってあげるよ」と言いました。これは良い事かは分かりません。でも長男は欲しい物のために頑張って来たわけではないと思います。欲しい物のためなら、たぶん苦しい日や辛い日に、走るのを止めていたと思います。キッカケはどうあれ、しっかりと明確に目標を持ちそれに向かっていたから、47日間、1日を抜かし毎日、頑張れて来たのだと思います。私は長男のこれからの人生のためにも、この目標を必ず達成させてあげたいと思っています。なので私は長男に「頑張って、やっとここまで来たね!でも学校が始まって走るのを止めてしまったら、目標のタイムは切らないし、元に戻ってしまうね。学校が始まったら、もっと早く起きて走らなくてはいけないけど、コハクが走りたいなら、パパも大変だけど、毎日一緒に走ってあげるよ。やる?」と言いました。長男は「やる!」と答えました。私のやってきた事が長男に理解してもらえたと思いました。私のやってきた事が報われた気がしました。私も47歳ですから、なかなか大変ですが、私が50歳になるまで、長男が中学生になるまで3年間、子供達に付き合ってやろうと思います。長男もついに男としての第一歩を踏み出したようです。
今日は少しだけ長男に説教をしました。自分が苦しい所で手を抜いたら強くなる事は出来ないという話をしました。長男は毎日、腕立て伏せをやっているので、それを例にして話しました。「昨日、腕立て伏せが10回出来た人が今日も10回やったからと言って強くはならないんだよ。昨日、10回出来たのだから今日は無理をして1回増やすことで自分の限界が1回上がって強くなるんだよ。だから10回まではある意味ではウォーミングアップで最後の1回を頑張る事が本当の意味での稽古なんだよ。限界まで来て苦しいから手を抜いたら、いつまでも限界は同じ所にあるから強くもならないし、走るので言えば早くならないんだよ。限界から一歩でも良いから頑張ろう。限界を一歩、一歩、上げて行こう。」と話しました。人間の限界は、自分が限界と思う所の遥か彼方にあります。苦しい事を楽をする為にズルをしていたら強くなれません。苦しい事から逃げていたら強くなれません。自分の弱い心に負けていたら強くなれません。苦しい事から逃げずに向かって行き、自分の弱さに打ち克って、限界を超えて行く人はどんどん強くなって行くのです。朝のトレーニングをするようになってから、長男にはいろんな話をして来ました。今すぐ出来るようにはならないかもしれません。でも私の話が長男の心に残っていて、いつか長男が本当に自分を変えたいと思った時に、私の話が役に立ってくれたら嬉しいです。
今日は何故か身体の調子が良く、いつもより身体が軽く感じました。400mダッシュでは1分18秒でした。20代の1番身体が動いた頃の記録には、ほど遠いですが、47歳という事を考えれば、なかなかの記録なのではと思います。47歳になっても子供達とランニングをしたりダッシュをしたり筋トレをしたり出来るのも極真空手という軸があっての事だと思い、本当に極真空手をやっていて良かったなと思います。自分の人生において軸を持つことは本当に大切だと思います。それをこの新型コロナウィルスの事で感じました。
本日の東京都の新型コロナウィルスの感染者は3名でした。来週の25日には、緊急事態宣言が解除されるようです。まだまだ気を抜いてはいけませんが、やっと社会が動き出す兆しが見えて来ました。私の運営する道場でもその兆しが見えて来ています。私の道場では5月7日から屋外で稽古を行っていますが、今週くらいから参加者が多くなって来ています。また休会者から稽古復帰の連絡が来たり、入会の問い合わせも来たりしています。4月5月は本当にどうなるのか不安でした。毎日のニュースでお店が閉店するというのを見たり、また道場へ行く時に閉店してしまっているお店を何軒か見たりして、みんな苦しいのだなと思うと同時に次は自分がという心配も正直ありました。道場生、ご父兄様のおかげで何とか凌ぐことが出来ました。本当に本当に感謝しています。この感謝は道場の運営と指導でお返しして行きたいと思います。そしてこの教訓を生かして、次の時にこのようなことが起きた時のために備えをして行きたいと思います。
長男と次男は、毎日頑張って腕立て伏せをしています。始めた時は長男も次男もまだ力が弱く自分の体を下まで下ろせなく、チョコチョコと腕立て伏せをしていました。それでは何回やっても効果はないので、私が足を持って、しっかりと下まで深く下ろして腕立て伏せをさせて来ました。長男と次男と代わり番こで3セットやっています。出来た数をカレンダーに書き込んで明日の目標にします。2人とも成果が出て来て胸や腕の筋肉が硬くなってきました。2人ともそれが嬉しいのか「どう?筋肉ついた?」とポーズを作って見せて来ます。人間は一念発起して頑張れば自分を変えて行く事が出来ます。その喜びを知れば、どんな苦しい事にも自ら取り組める人になります。長男と次男にそれを知ってもらえたら嬉しいと思います。
沖縄の唐手には組手というものはなく、空手道の稽古は形が中心でした。一つの形を毎日何度も何度も行い、3年かけて習得したそうです。また習得する形も大抵2つか3つ程度で、その習得した形を生涯をかけて修行したそうです。日本の伝統的な芸事である剣術、柔術、また日本舞踊、茶道、華道、などほとんどが厳格に定められた所作を繰り返し行う鍛錬である「形」という稽古方法があります。このような芸事の世界から出た言葉に「形無し」と「型破り」という言葉があります。「形無し」とは基本の形が身に付いていない、習得出来ていない状態を言います。「型破り」とは基本の形を習得した上で、さらにその形を超えた技を編み出したことを言います。武道では「守・破・離」が大切であると言います。「守」とは、基本の技を忠実に守って稽古をすることです。「破」とは、基本を超えた技を編み出すことです。「離」とは、自ら編み出した技を確立し一本立ちし、教える側になるということです。書道で言えば「楷書・行書・草書」と言えると思います。しっかり基本の技を身に付けた人が、自由自在に応用や変化出来る技を生み出し、相手の攻撃に自然に対応出来る技を生み出すことが出来るのだと思います。
「他人の飯を食う 」という言葉があります。「親元を離れ、他人の家に奉公するなどして、実社会の経験を積む。」という意味です。また「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があります。「我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよい」という意味です。私はこの二つの言葉はとても大事だと思います。私も自分が大人として本当に成長する時というのは、親の与かり知らない所で、いろいろな事を他人から学び大人になって行きました。それが本当の意味での親離れと言う事だったのだろうと思います。厳しい環境で何かを学んだり、丁稚奉公をしたり、内弟子になったり、住み込みで働いたり、寮制の学校に行ったりする事はとても大事だと思います。政治家や社長のカバン持ちや、プロレスラーや相撲取りの付き人や、自衛隊員やスポーツの強い学校のような厳しい規律のある寮で生活する中で何かを学ぶ事は本当に大事だと思います。私は城南支部の内弟子時代、私の先生の車が駐車場に入ってくる音で、先生の機嫌が分かりました。また城西支部時代は、先生や先輩が階段を降りてくる足音でそれが誰か分かりましたし、その先生、先輩の機嫌が分かりました。私はその中で人としての礼儀や挨拶や気遣いと言うものを学びました。空気が読めない人、気遣いが出来ない人、挨拶が出来ない人、敬語が使えない人、そんな人は絶対に人から重宝されません。私は、時代がどう変わろうと、人間としての基本的な義理や人情などの本質は変わらないと思っています。また親離れしてからが本当の社会人と言えます。人間的な魅力も親離れした時に出てくると思います。そして人間として本当の強さと言うものも親離れしてから身につくものだと思います。長男と次男には、早い時期に他人の飯を食べて欲しいと思っています。長男は自衛隊員になりたいと言っているので、その時に長男は親離れするのだろうと思います。次男もたぶん早い時期に親離れするのではと思います。
空手道には四大流派と言われる流派があります。先ずはこの日記で空手の歴史についての時に書きましたが、大正時代に日本に初めて空手を伝えた船越義珍先生の「松濤館流」、昭和に入り摩文仁賢和先生が「糸東流」を宮城長順先生が「剛柔流」を伝えました。また船越義珍先生の弟子の大塚博紀先生が「和道流」を創設しました。摩文仁賢和先生は首里手の先駆者であった糸洲安恒先生と那覇手の先駆者であった東恩納寛量先生に空手を学び、両師の「糸」と「東」をとり「糸東流」を作りました。摩文仁賢和先生は泊手も学ばれているので、琉球空手の首里手、那覇手、泊手の全ての技術が網羅しています。宮城長順先生は東恩納寛量先生に空手を学び、那覇手の影響を強く残す「剛柔流」を創設しました。流派名は拳法書「武備志」の中にある「法剛柔呑吐」から取り「剛柔流」としたそうです。大塚博紀先生は神道揚心流の柔術家でした。その後、船越義珍先生から空手を学び、空手と柔術の長所を取り入れた「和道流」を創設しました。大塚博紀先生は四大流派の創設者で唯一の日本本土の出身者です。1964年に空手道の流派を統括する組織である全日本空手道連盟が結成されました。この全日本空手道連盟の四大流派が「松濤館流」「糸東流」「剛柔流」「和道流」となり形の試合では指定形と言うのがありますが、第一指定形が8個と第二指定形が8個あり四大流派が4つずつ形を選び、16個の指定形を作りました。全日本空手道連盟が主催する試験や試合では、この指定形が用いられます。
緊急事態宣言が発令されて40日が経ちました。この40日間、1日を抜かして毎日、朝のトレーニングと朝食後の勉強を子供達と続けて来ました。長男は長い距離を走る事が苦ではないらしく、1日にトータルで7キロぐらい走ります。6月は緊急事態宣言が解除されると思うので、5月30日が最後の朝のトレーニングと言う事になります。そこで長男には最後の朝のトレーニングの終了式的に少しキツイ事に挑戦させたいなと思います。長男なら出来ると私は信じています。私はこの40日間で長男を見直しました。毎日決まった時間に起きて朝トレーニングしたり、勉強したりする事はなかなか大変だったんじゃないか?と思いますが、長男は嫌な顔をしたり文句を言ったりせずに毎日頑張っていました。雨だろうが、辛い事があろうが、悲しい事があろうが、疲れていようが、自分がやらなくてはならない事を決められた時間に自ら行える人が、自分の夢や目標を叶える人だと思います。そこにある辛さから逃げる人は絶対に夢や目標を叶える事は出来ません。でもそれを始めから自ら行える人はいません。最初は人に言われてでも良いから毎日、辛い事から逃げずに同じ事を頑張ってやる事が大切です。それをいつか自分の意志で自分の夢や目標を決めて、それに向かって毎日、辛い事から逃げずに決めた事に取り組む事が出来れば必ず夢や目標を叶える事が出来ます。
朝起きたら雨が少し降っていましたが、今日は1日雨が止まないと思ったので、頑張って朝のトレーニングを行いました。朝の勉強では空手の創成期の歴史を勉強しました。雨が降っていたので久しぶりに午後の稽古はお休みにして家でゆっくりしました。ついに「鬼滅の刃」をアニメで見ました。とても面白くて一気に11話まで見てしまいました。これはハマりそうです。
kanno
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