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2020年05月05日(火) こどもの日

今日はこどもの日です。長男と次男が生まれてきた事、2人が順調に成長出来た事に感謝してお祝いをしました。2人のおかげで私の人生はとても楽しいです。2人と一緒に走ったり、稽古したり、遊んだり、お風呂に入ったりしている時間はとても楽しいです。私は姉と妹の女の兄弟しかいなかったので、子供の頃はずっと弟が欲しいなと思っていました。2人がその私の夢を叶えてくれました。いつか2人と一緒にお酒が飲める日が来るのをとても楽しみにしています。


2020年05月04日(月) 感謝

当たり前の事が当たり前じゃ無くなった時に、今まで当たり前だと思っていた事にたいしても感謝を感じるようになります。社会に対しても、仕事に対しても、家族に対しても、自分に関わる人達に対しても、感謝の気持ちを前より強く感じるようになります。そしてその感謝の気持ちを自分の行動で恩返しをしたいと思います。私はやっぱり空手しか出来ないので、空手で恩返しをするしかありません。その行動を7日から起こしたいと思います。完璧ではないかもしれませんが、道場生の皆さん、ご父兄様が安心して稽古出来る方法を考えました。緊急事態宣言が発令されて1ヶ月道場の稽古はお休みしました。5月末まで緊急事態宣言が延期されたので、道場やスタジオで稽古する事は、道場を営業してしまう事になるので、道場やスタジオで稽古は出来ませんが、屋外で三密にならないよう気をつけて、30分程度、体操的な稽古を行いたいと思います。人と人が顔を合わせ、暖かい太陽の光を浴びて、新鮮な空気をたくさん吸って、みんなで一緒に身体を動かせば、心も明るくなると思います。道場生の皆さんの元気な顔が見れる事を楽しみに7日の日を待ちたいと思います。


2020年05月03日(日) 空手道について

空手道の原型を作り日本に普及させたのは船越義珍先生です。「唐手」を「空手道」という名称として一般的にしたのは船越義珍先生が1935年に刊行した著作の「空手道教範」のタイトルからとの事です。ちなみに私はこの「空手道教範」を昨年、古本屋で手に入れました。沖縄で発展した唐手は形の習得が鍛錬の主眼でした。形に始まり、形に終わる。その形を学ぶ中で鍛錬方法や実践哲学や精神性などの全てを学んで行ったようです。船越義珍先生の指導は、沖縄古来の技術を形稽古の中で忠実に指導されていたようですですが、船越義珍先生は形の名称を日本の言葉にしたり、立ち方の一つ一つに名称を付けたりと、とても画期的な指導の仕方をしていたようです。船越義珍先生の子息である船越義豪先生は横蹴りを実戦的に改良するなど、従来の稽古をなぞるにとどまらない探究心を持っていた事もあり、若い人達と試行錯誤して稽古方法を考えて行ったようです。船越義珍先生は試合を断固として禁じていましたが、学生達の中で約束組手や自由組手が盛んになって行き、大学同士の交歓稽古の中で試合と言うものを確立して行ったようです。そして船越義珍先生の弟子で日本空手協会の創設者である中山正敏先生が形を分解し、主要な突き方、蹴り方、立ち方、体の使い方、足の運び方などを定めて理論づけ、今日でいう基本稽古や約束組手の体型を作り上げたようです。この船越義珍先生から始まる空手の流派を、船越義珍先生の道場を船越義珍先生の雅号「松濤」をとり「松濤館」とした事から「松濤館流」と言われるようになったそうですが、船越義珍先生は自分の空手を松濤館流とは言っていなかったようです。あくまで道場と言うか建物の名前が松濤館だったようです。松濤館で行われる空手だから松濤館空手と言われるようになったのだと思います。


2020年05月02日(土) 一心不乱に走る

一心不乱とは、他の事に心を乱されず、ただ一つの事に心を集中させて打ち込むさま。と言う事になりますが、一心不乱に何かをに打ち込む事は心にも身体にもとても良いと思います。でもなかなか一心不乱になる事ってありません。今日、400メートルダッシュをした時に私の心は、一心不乱の状態になりました。2月から新型コロナウィルスの感染拡大が始まり、3月6日から一斉休校になり、4月8日に緊急事態宣言が発令され道場の稽古がお休みになり、行事の延期が続き、私の頭の中から、私の心の中から、その事がなくなる事はありませんでした。いつも私の頭の中に、いつも私の心の中に、その事がズンと重くのしかかっていました。でも今日、400メートルダッシュを思いっきり走った1分19秒の間、一心不乱に走っていた間、私の頭の中が、私の心の中が真っ白になって、この2ヶ月間、重くのしかかっていたものが初めて1分19秒だけ消えてくれました。とても気持ちが良かったし、とても清々しい気持ちになりました。その帰り道、気持ちの良いお日様の光を浴びながら歩いている時に、曇りのない気持ちで物事を考える事が出来ました。こんな時だからこそ、自分らしく行動しよう。今できる事を最大限頑張ろうと言う気持になり、ヨシッ動き出そうと決断しました。この決断が正しい事を祈り、人の為にも、そして自分の為になる事を祈ります。


2020年05月01日(金) 今日から5月

今日から5月です。3月と4月の2ヶ月があっという間に過ぎ去って行った感じです。特に緊急事態宣言が発令された8日からは特に早く感じています。毎日頑張って規則正しい生活をし、やらなければならない事をしっかりやって生活はしていますが、どうしても単調で抑揚の無い毎日に感じてしまいます。どうやら緊急事態宣言も1ヶ月延長されるようです。何も動かずにあと1ヶ月を過ごす訳にはいかないなと思っています。今、何をする事が出来るか?どんな方法なら良いか?自分が出来る事を考えて動いて行きたいと思っています。


2020年04月30日(木) 空手道について

前に空手道の始まりについて書きましたが、補足としてもう少し書いてみたいと思います。空手の名称と変遷についてです。一説ではありますが、沖縄では空手は「手」と名称していたそうです。その後、首里手、那覇手、泊手の三つの名称になり、糸洲安恒先生、東恩納寛量先生の時代は首里手が少林流唐手、那覇手は昭霊流唐手と言い、昭和8年頃に空手道と名称し、首里空手を知花朝信先生が沖縄少林流と改名し、那覇唐手の昭霊流を宮城長順先生が剛柔流と改名したそうです。泊手ははじめ首里、那覇の両方の大家から指導を受けて伝えられいたが、実力者を継続することが出来ず、現在に至るとなっています。空手道の精神について先人が残した言葉を紹介します。小西康裕先生の残した言葉で「空手とは、人に打たれず人打たず、事のなきを基とするなり」仲里周五郎先生の残した言葉で「争いは和して避け、暴力は忌避すべし、これに反せば信を失い身を亡ぼす。空手に先手なく、技にきわまりなし。内に慢心の心あれば向上の道とざさる。道を学ぶことにいそしめば、心身ともに磨かれて人格は陶治されむ。」最後に知花朝信先生の残した空手道修行の心構えを書いて置きます。「空手の稽古をする時は、別の事は打ち捨てて一心に空手の道に精神を打ち込み、他の事は考えずに、頭と目と手、足は一致して鍛錬し研究すること。人は50歳までは、やればやるほど上達しますから、うんと力を出して鍛えるように。体力は50歳の坂を越えればしだいに衰えてきますから、50歳を過ぎるにしたがって、その加減で鍛えればよろしいはずです。しかし毎日続けて鍛えれば、さほどは変わりません。いくぶんは衰えますけれど、あなたとしても、今のとおり続けられたら、70〜80歳の歳になってもさほど衰えを感じないと思います。ぜひ継続して下さい。」私もあと3年はまだまだ強くなると思いめいいっぱい鍛えたいと思います。


2020年04月29日(水) 明るい未来を作って見せます。

緊急事態宣言が発令され22日が経ち、学校は10日までお休みが決まりましたが、緊急事態宣言事態が延長になる可能性が出てきた事、それどころか学校の始業を9月に変えようと言う案まで出てきました。新型コロナウィルスの感染拡大が世の中を混迷させていると言う事もありますが、世の中が大きく変わろうとしているのかもしれません。世の中がどうなるのか私にも分かりません。新型コロナウィルスの感染拡大がどうなるのか?社会や経済活動がどうなるのか?世の中が大きく変わってしまうのだろうか?と言う不安な毎日を日本国中の人が過ごしているのではないかと思います。どれもこれも自分にはどうにもできない事なので、自分が今何が出来るか?を考えて行動して行くしかないと思います。私は空手しか出来ません。でも空手は出来る。この新型コロナウィルスの騒動が始まってから、いろいろ考えた結果、やはり自分は空手でしか社会に貢献は出来無いと再確認しました。今、自分が何をすべきか?それを毎日、必死に考えています。世の中の状況を良く見て、世の中の流れに逆らわずに風向きを良く見たいとは思いますが、世の中が何を求めているか?を良く見て、ここぞと言う時には、自分で考えて判断して決断して行動に移したいと思います。道場生の皆さん、ご父兄様には本当にご不便とご迷惑をおかけしている事を本当に申し訳なく思っています。道場生の皆さん、ご父兄様には、必ずこの穴埋めをします。そして私の道場に入門して良かったと思って頂けるような活動をして見せます。もう少しお待ち頂きたいと思います。必ず皆んなで笑って元気に稽古が出来る明るい未来を作って見せます。


2020年04月28日(火) 習慣にする事の大切さ

緊急事態宣言が発令されて21日が経ちました。長男と次男と、仕事がない時は妻も参加して朝のトレーニングを20日間行いました。1日だけ休みましたが、20日間は雨が降った時も体操も基本稽古を家の前で行いました。次男は走るのがとても苦手で初めは泣きながら起き、泣きながら走っていましたが、今は自分から起きてくる事もあるぐらいになりました。長男も400mも100mのダッシュも順調にタイムが伸びてきました。夜も少しですが補強をするようになりました。朝ごはんの後は2人とも必ず勉強しています。これも20間毎日行いました。やはり週間というのは大切だと思います。人は誰でも弱いものです。一生懸命にやれば稽古をする事も勉強をする事も苦しいものです。だからやる前には、誰でもやりたくないなと思うものだと思います。ですがどんな苦しい事も習慣にしてしまい、やる事を当たり前にしてしまえばやれると思います。でもただ惰性でやるだけではダメだと思います。しっかりと情熱を持って取り組む事が大切です。情熱を持ち続ける為には、今自分が頑張っている事の未来にどんな自分になっているかを明確に思い描いて取り組む事が大切だと思います。今日は家族で「ベストキッド」を見ました。長男も次男も「ベストキッド」を見たあと補強をやっていました。この20日間で長男も次男も何かが変わって来たように思います。


2020年04月27日(月) 前橋妙子初段の4回目の命日を偲んで

本日4月27日は、東京城南京浜支部の道場生の前橋妙子初段の4回目の命日でした。家族で前橋さんの御墓参りに行って来ました。前橋さんの御墓の前で、もう4年も経つのかと時の過ぎる早さをしみじみと感じました。前橋さんのお墓の前で、私の運営する極真会館東京城南京浜支部を私達が居なくなった遠い未来まで必ず残す事を改めて誓って来ました。私達が情熱をかけた極真空手があり続ける事で、私達が情熱をかけて稽古をした道場があり続ける事で、私達の意志も私達が生きた証も残り続けて行きます。私も命が燃え尽きる日まで極真の道を全うしたいと思います。その事も前橋さんの前で誓って来ました。


2020年04月26日(日) 大山倍達総裁の26回目の命日

今日は、国際空手道連盟極真会館の創始者である大山倍達総裁の26回目の命日でした。私は大山倍達総裁の指導を直接受けた事はありません。第5回世界大会で行われた大山倍達総裁の最後の演武を見れたこと、大阪府立体育館で大山倍達総裁に握手をして頂いた事が私の大山倍達総裁の思い出です。大山倍達総裁の本は全部読破しました。
もし極真空手がなかったら自分の人生はどうなっていただろうか?と考えると本当に大山倍達総裁には尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。私は極真空手をやっていたおかげで家族を養う事が出来て、人の役に立つ事が出来ています。私の誇りは大山倍達総裁が創設した極真会館をこの世に広める務めを頂いている事です。これからもその役をしっかり果たして行きたいと思います。絶対に私達が居なくなった世の中に大山倍達総裁が作った極真空手を、大山倍達総裁が創設された国際空手道連盟極真会館と言う団体を残してみせます。その事を誓い道場訓と大山倍達座右の銘11箇条を唱和しました。


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