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次男は「ドデカミン」を「ビタミカン」と言います。「まいばすけっと」を「まいすかべっと」と言います。長男も小さい頃は「てんとう虫」を「とんとんしー」と言っていました。子供のこう言う言い間違いって可愛いなと思います。子供には、その頃その頃の可愛さがあり、それはその時にしか見る事が出来ない大切なものだなと思います。私はその時々を大切にしたいと思います。緊急事態宣言が発令されて道場がお休みになってから、毎日子供達を起こし、一緒に朝のトレーニングをし、朝ごはんを食べ、一緒に勉強して、一緒にお風呂に入っています。長男と次男を起こす時は2人をニックネームで呼んでマッサージをしてあげながら起こします。一緒にお風呂に入ったら2人の頭と身体を私が洗ってあげます。今しかこんな事も出来ないだろうと思うのでやはり大切な時間です。いつか2人が大人になって新型コロナウィルスで自粛生活をしていた事を思い出した時に、悲しいニュースや大変だった事や悪い事ばかりではなく、毎日一緒にトレーニングしたり、一緒に勉強したり、一緒に遊んだり、一緒にお風呂に入ったりした事を覚えていてもらいたい、楽しい事もたくさんあった事も思い出してもらえたら良いなと思います。
空手の稽古をしていると、自分の心や身体を見つめる事が出来ます。自分の心や身体の変化に気付く事が出来ます。そして自分の心や身体を見つめ直したり修正したりする事が出来ます。自分の心と身体の姿勢を見つめ直す事で、自分の生き方や有り様を見つめ直す事が出来ます。そして空手の稽古をする事で自分を良い方向へ導いてくれたり、自分の心や身体を正してくれたりもします。稽古は嘘をつきません。真摯な気持ちで一生懸命に稽古すれば、必ずそれは自分の顔にも身体にも何かをやる時の取り組み方にも仕事の仕方にも生き方にも現れて来ます。私の最大目標と言うか最終目標は、私が死んだ時に、私の1番近くで生き様を見た妻や息子達や道場生達が、私を空手家として人生を全うしたねと言ってもらう事です。その日まで努力精進して行きたいと思います。
私は、空手道の型を58個覚えています。しかし完璧にできる型は一つたりとありません。毎日、型の稽古をしていて、まだまだだと思うばかりです。もちろん58個全てがすらすらと出来るわけでは無く、こんなにたくさん覚えていると稽古していなければところどころ忘れてしまいます。なので自分が覚えている型を忘れないように抜き出して稽古する時間を必ずもうけています。あとは3ヶ月ごとに力を入れて稽古する型を決めて、その型に力を入れて稽古します。あとは自分が毎日必ずやる型を決めてその型を稽古しています。そしてその稽古している型の苦手な動きや、出来ない技を抜き出して基本稽古にしたり、移動稽古にしたりして稽古しています。しかし型は型で終わっては意味がないと思います。型が出来るようになった事が、自分の組手に生きなければならないと思いますし、型が出来るようになった事で、自分の組手が変わらなければならないと思います。組手を行う中で型の動きや技を検証し、また型に持ち帰って稽古する事が大切だと思います。そして空手道の稽古は、自分の人生の中で、自分の生活の中で、自分の仕事の中で生きなければ、空手をやっている意義はないと思います。今の世の中で空手道をやっている事を生かす事が出来る場面などあるのか?と思う人もいるかもしれません。私は空手道の稽古をする事で今の世の中で、自分の人生の中で生きる事をたくさん学べると断言します。空手道を学ぶ者が、何を求めて空手道の稽古をするかでそれは大きく変わりますが、求めれば道は無限にあるように、求めれば無限に学びがあり、求めれば無限に自分の人生の中で生きる物を見つける事が出来ます。求めれば何歳になっても学びはあり、求めれば何歳になっても自分を変える事が出来ます。そして何歳になっても何かを始めるのに遅いなどという事はありません。空手道は私にとって、私の核です。自分の核を持っている人間は強いと思います。自分の核を持っている人間は何があろうと揺るぐ事がありません。
夕食の後は、家族みんなでトランプをしています。七並べ、ババ抜き、一休さん、をやっています。長男は一休さんの時、1、9、3のカードが出ると大きな声を出してビックリしています。次男は負けると泣いて悔しがります。妻は私にババを引かせる天才です。私も子供の頃、よく家族でトランプをやりました。私も次男のように負けると泣いて悔しがりました。私はトランプは凄く弱いです。運が悪いのか?頭が悪いのか?勘が悪いのか?まあその全部なのかな?と思いますが、本気でやっても子供達に負けてしまう事があるぐらいです。少し自分にガッカリするほどの弱さですが、一生懸命楽しんでトランプをやっています。昨日と今日は子供達とブルース・リーの「燃えよドラゴン」と「死亡遊戯」と「怒りの鉄拳」の戦闘シーンを見ました。長男も次男も「ブルース・リー強い!」と言いながら一生懸命見ていました。
緊急事態宣言が発令されて、道場の稽古がお休みになり2週間が経ちました。道場生、ご父兄様には本当にご不便とご迷惑をおかけしている事を本当に申し訳なく思っています。皆様のご協力があり道場が運営出来ている事に感謝しております。そんな状態ですので、道場生、ご父兄様の事を考えると、私も心苦しい毎日を過ごしています。ですが落ち込んでいる訳には行きませんし、立ち止まっている訳には行きません。道場を何時でも始める事が出来るようしっかりと準備をして、世の中の状況に目を凝らして、どの様な状況なら稽古を再開出来るか?その事を考えながら毎日を過ごしています。今、私が出来る事は規則正しい生活をし、しっかりと空手の稽古をし自分を磨いておく事で何時でも全力で指導出来るコンディションを整えておく事と、しっかりと空手の勉強をして、次に指導が出来る様になった時の為にしっかりと自分にいろんな事をインプットしておく事です。休みが明けたら、先生の技は更に凄くなった、先生の指導は更に良くなった、そして先生の指導は更に熱くなった。と生徒に言われる様な生活をしたいと思って、毎日を過ごしています。必ずこの休みの穴埋めをします。道場生の皆さん、ご父兄様に頂いたご協力を何らかの形で補いたいと思っています。どうかその日が来るまで待っていて頂きたいと思います。
私が極真空手の試合から学ばせてもらった事が2つあります。1つは、「自分が怖い時は相手も怖い、自分が苦しい時は相手も苦しい、自分が痛い時は相手も痛い、相手は神様でない」と言う事でした。自分だけが苦しいと思った瞬間に自分の心は崩れて行きます。自分の心が崩れた瞬間に身体も崩れて動かなくなってしまいます。自分が苦しい時は相手も苦しいんだと思えば、どんなに苦しくても頑張れるものです。ですが自分が苦しい時は相手も苦しいと、思うためには本気でそう思えるほどの稽古を積まなければなりません。あれだけ稽古をした自分がこんなに苦しいのだから相手も苦しいはずだと思えるのです。現実、自分が苦しい時に相手も苦しいから、もうダメだというところから、もう少し頑頑張って相手に勝つ事が出来るのです。苦しい稽古をしていなければ、戦っていて苦しいのは自分だけなのですから、どう頑張ろうと苦しい稽古を積んで来た相手に勝てるわけはありません。そして自分も苦しい時は相手も苦しいと、もう一息頑張る精神は日々の苦しい稽古の中で作られて行くと思います。だから常に自分に厳しく生活していなくては行けないと思います。そして私は、「自分が苦しい時は相手も苦しい」と言う精神を社会生活では、その精神を優しさに変えるようにしています。例えば電車の中で、普段鍛えている自分が立っているのがしんどいのなら、高齢者の方はもっとしんどいはずだ、通勤時間の長い人も自分よりしんどいだろうと思えば、席を譲る事は簡単ですし、初めからその人達に座らせてあげようと思えば、電車で座る事もなくなります。自分だけがしんどいなどと思うとズルをしてでも座りたいと言う気持ちになってしまうのだと思います。強い人は人に優しく出来ます。もう一つは、「相手は自分が思うほど強くはなく、相手は自分が思うほど弱くもない」と言う事です。私は勝ちも負けもたくさん経験しました。自分で言うのも何ですが、私ほどチャンピオン級の強い選手に勝った事が何度もあるのに、1回戦負けを何度もした選手はそうは居ないと思います。どんなに強いと言われている選手でも人間ですから絶対に勝てないという事はないと思います。それを強い選手に勝ったり、強い先輩と組手をする中で学ばせてもらいました。しかし自分が弱いと思う選手だってそんなに弱くはない事も負けた試合の中から学びました。常に戦う相手を尊敬して良いところと悪いところを平等に見た上で尊重して、戦わせていただく事に感謝して、自分の全力を尽くして戦わなくては行けないのだと思います。この本質を理解したのは私は、33歳の時で引退する1年前ぐらいでした。20代の頃の私はそれを理解していませんでした。例えば1回戦で全然強くない選手に苦戦をして延長戦でやっと勝ったとします。その時、私はこんな弱い選手にこんな苦戦するのだから、自分は今日は調子が悪いのだ、次の強豪選手とはさらに苦戦するのだろうなという気持ちになってしまい、そんな気持で試合場に上がった為に自分本来の動きが出来ずにズルズルと負けてしまいました。自分に謙虚さがあれば、自分の対戦相手は死に物狂いで稽古して来て、自分をしっかり研究して来たのだろうなと思えば、その選手に苦戦をしても延長戦で勝てた事で、気を引き締め、ヨシッ次の相手は強豪選手だから、自分を少し下に見ているだろう、死に物狂いで行けば動揺するだろうからそこを突いて行けば勝利は見える。と思えたはずです。相手を尊重する事の大切さ、人に対して尊敬と感謝と忍耐の気持ちで接する事の大切さをもっともっと早くに学べたなら私の人生は大きく変わっていたと思います。それを道場生に伝えて行きたいと思います。空手の稽古方法だけを教えるのならDVDを見て研究すれば教える事も出来ます。でも私は自分が命を懸けて試合や稽古をした中で学んだ、精神や魂や気や心と言う目に見えない部分を生徒達に伝えて導きたいと思います。
私は、一念発起して何かを始めると、その覚悟が本当の物なのか?を試されるように自分にアクシデントが起こります。もう一度高校に入学し、極真空手を始めた1ヶ月後に事故で右足の内側側副靱帯を断裂し前十字靭帯を損傷してしまい、手術をしました。約2か月入院し、完全に治るまでは半年、元どうりに運動出来るようになるかは分からない状態でした。先ずは内視鏡の手術をして内側側副靱帯の断裂と前十字靭帯の損傷と診断された時に私が医者の先生に言った言葉は「手術をしたら空手が出来るようになりますか?」でした。先生は「それはやってみなければわからないけど、出来るなら今後は、動いている所に急にストップをかけるような動きや、何かを強く蹴ったり、ましては足を蹴られたり、する事は避けた方が良いよね」と言われました。私は悔しくて悔しくて、病院の屋上で泣きながら拳立てをしました。でもあの泣きながら拳立てをした所が私の極真空手のスタートだった気がします。あの拳立てがどんな事があっても自分が極真空手を絶対に続けると言う意思表示の第1歩だったのだと思います。私は毎日、病院の屋上で自主トレをしました。面白いものでそうなると私の隣の部屋の同じ高校生が、一緒に自主トレしたいと言ってきて、一緒に自主トレするようになり、また私の隣のベットにいた方のお見舞いに来た人が、極真空手をやっていて、私が入院しても毎日屋上で自主トレしている事を指導員の先輩に話してくれて、私が稽古に復帰した時にとても指導員の先輩方に可愛がってもらえるようになりました。私は稽古に復帰するまで約8ケ月かかりましたが、私は退会や休会はしませんでした。私が事故でしばらく稽古にいけない事を連絡すると、その時の師範の奥様に「半年以上、稽古に来れないなら1度退会して、また出来るようになったら来た方が良いよ。その時は入会金はいらないからね。」と言われました。その時は月謝は月謝袋で手渡しだったのと、休会が無かったので、師範の奥様は私の事を思いそう勧めてくれたのだと思います。ですが私は絶対に止めたくないと思い、両親にお願いし空手を続けさせて頂きました。そして入院してる間も自分で月謝を道場に届けていました。月謝を自分で道場に持っていく事が唯一自分が極真空手を続けていると感じる事が出来る嬉しい時間だったのかもしれません。今でもその出来事は、私の覚悟を神様に試されたのかな?と思っています。そこまでして始めた極真空手だからこそ、今まで止めずに来れたと思いますし、自分の中で本当に大切な物になったのだと思います。たぶん今はそれだけの情念を持って何かに取り組んでいる人ってなかなか居ないのではないかな?と思います。でも私の時代には、そんな空手バカな人がたくさんいました。その空手バカの中で切磋琢磨して、この世界で生き残って来た事が私の誇りです。これからもずっと空手バカで生きて行きたいと思います。そして私の空手バカに一緒に付き合ってくれる道場生を大募集です!
今日は私の師匠の廣重毅師範の命日です。今日は廣重師範との思い出を書きたいと思います。先ずは嬉しかった事です。私が千葉大会で優勝した次の週ぐらいに雑誌の方が廣師範の取材に道場にいらしていました。私が道場に入ると、廣重師範が雑誌社の方へ「こいつは菅野って言って、この前の大会で野地選手に勝ったんだよ!城南で次にブレイクするのは菅野だから覚えておいて下さい。次の世界大会には出るよな。菅野」とと言って下さいました。なかなか自分の生徒を褒めない師範に言われた言葉なのでとても嬉しかったです。でも今は師範の期待に応えられなくて申し訳ない気持ちです。師範は遅刻に対してとても厳しい方でした。「朝起きるのが5分遅れたら、道場に行くのは10分遅れてと、1日がどんどんずれ込んで行くぞ。」と仰られていました。その言葉は今でも私の教訓となっています。城南の先輩方はみんな生涯現役で空手の修行をしています。空手の道に終わりは無いという求道無限の教えは廣重毅師範の教えです。師範の教えは私達弟子の中で今も生きています。
毎日、子供達の勉強を1時間見ながら、自分も空手道の本を読者しています。長男は算数を次男は国語をやっていました。長男の算数はなかなか難しく、もちろん答えは分かるのですが、それがどうしてそうなるのか?を教えるのは難しかったです。「んー空手の指導のようにはいかないな」と思いました。私はとにかく今は空手道や歴史の本を読み漁って今は頑張って知識を蓄えておきたいと思います。今すぐ生きる事ではない事でも、自分の中で知識を寝かせておけば、いつか違う知識と繋がって新しい発想が生まれる事もあります。そして毎日、柔軟体操、基本稽古、移動稽古、型、部位鍛錬、筋力トレーニング、自主トレしようと思えばやる事は無限にあります。基本稽古も全てやるのが大変なら、裏拳と受けと手刀の種目に分けてやってみても良いと思います。休み中に心も身体も鈍らせないようにしたいと思います。いつでも走り出せるように自分のエンジンを温めておきたいと思います。動き出せる時には直ぐに動き出したいと思います。
私は21歳ぐらいから日記を付けています。34歳で現役で試合に出場するのを引退するまでは、稽古の事や体調や体重の事や試合の事や自分の思いや夢や目標などが主に書かれています。その頃の日記を見ると本当に良く稽古していたんだなと思います。私は指導の時も道場生と一緒に稽古をするので、指導の時間を入れたら1日で平均8時間は稽古していました。本当に良くやったなと思います。特に私の先生が極真会館から退館し仲間がみんな居なくなってから、1人で他の支部に出稽古に行ったりして、自分で稽古を考えて頑張っていました。私がいろんな意味で大きく成長したのはその頃だと思います。先生から離れた事で稽古に関しても指導に関しても道場の経営に関しても大きく大人になりました。社会人としてしっかりした時期と言えるかもしれません。私の人生振り返るとピンチの連続でした。でも何かを失った時に、また頑張って新たな物を得たり、新たな物を築き上げて来たように思います。そして私はピンチに強い人間だと自分で思います。チャンピオン級の選手に勝った試合もほぼ全て延長戦で苦しんで苦しんでピンチを凌いで勝利を得て来ました。今まで何度も失敗したけど必ず立ち上がって来ました。自分の日記を読み返してそれを強く思いました。とにかく今は規則正しい生活をして、しっかり食べて、しっかり寝て、やれる事をしっかりやりたいと思います。私の成長が必ず人の役に立ち日が来ると信じています。
kanno
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