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2019年02月09日(土) 雪が降る

次男と2人で道場に行く時に雪が降っていました。自転車は寒いので次男にコーンスープを飲ませて身体を温めさせました。次男は雪が降ると福島で雪遊びをした話をします。そして「雪が積もったら雪遊びがしたいな〜!」と言います。今回は残念ながら雪は積もりませんでした。次男は雪が積もらなかったのがとても残念そうでした。雪遊びは出来そうにないので次男と「モスラ対ゴジラ」とアニメの「ゴジラ」のDVDを借りて帰りました。次男は柴犬のガチャガチャをやりました。前回やりたいと言った時は我慢させたのですが、もう一度同じ物をやりたいと言ったので、本当に欲しいのだと思いやらせてあげました。カッパを着た柴犬が出てきました。次男はずっとその柴犬を手で持って「カワイイな〜!」と言っていました。私が次男に「その柴犬カワイイよね。でもパパはもっとカワイイの知ってるよ」と言うと次男が、「何?」と聞いたので「それはマシロだよ!」と言ったら笑っていました。次男はお店やさんの店員さんにも「雪が降ってるから柴犬もカッパを着てるんだよ」と言って見せていました。長男には前回欲しがっていたブルドックのプニプニの人形のガチャガチャを買って帰りました。長男もすごく喜んで、それを持ってお風呂に入りました。長男は最近とてもクールな感じになって来ました。私が「モスラ対ゴジラ」のDVDを見せて「普通はゴジラ対〜だよね、なんでモスラ対ゴジラか解る」と聞くと、「モスラが勝つからでしょ。もう題名でバレてんじゃん」と言いました。そして柴犬を見せて「マシロが柴犬をずっとカワイイと言ってたので、パパは柴犬よりカワイイの知ってるよとマシロに言ったんだけど、答えはなんでしょう」と言うと長男は「どうせマシロでしょ」と言いました。こんな話をしながらみんなで過ごしている時間が私にとっては幸せな時間です。


2019年02月08日(金) 極真

昨日、稽古が終わり家に帰ると私の現役時代の全日本大会のDVDがテレビに映っていました。長男と次男が見ていたようです。こんな事は初めてだったので少し驚きました。長男と次男も全日本の舞台で試合をしたいと言っていました。「出たいなら大人になるまで空手を続けて頑張ったら」と私は言いました。私もここ最近、自分の現役時代の試合の映像を見るようになりました。その頃の試合の映像を見ていて、仲間達の応援の声も入っていて、こんなに人から応援して頂いていた事を改めて感じました。本当に感謝感謝です。ここからは自我自賛になりますが、チャンピオン級の選手と試合をし延長戦、再延長戦ときわどい判定が続いても私は真っ直ぐ前を見て姿勢を正し判定を受けていました。旗を見たり、勝っても負けても判定に表情を崩す事は一切ありませんでした。決勝戦の最後の延長戦のラスト5秒で上段回し蹴りで相手をノックアウトして一本勝ちをしたり、劇的な大番狂わせでチャンピオン級の選手に勝利した時も真っ直ぐ前を向いて大歓声の試合場で佇むようにして立っていました。自分の姿に極真を感じました。これは私の師匠の教えでした。判定は勝ったと思っても負けたと思っても引き分けだと思って延長戦の準備をしろ、そして判定の旗を見るな、勝っても負けても同じ顔でしっかり挨拶をして試合場を降りなさい。そして城南支部の先輩はほとんどの先輩がそれを実践していました。特に数見先輩が凄かったです。第6回世界大会でグラウベ・フェイトーザから劇的な一本勝ちをした時も、フランシスコ・フィリョに勝利した時も表情を崩す事はありませんでした。私はその姿を見て感動して涙を流しました。たぶん私もその姿に感動していつか自分にそんな事が起こった時にはそうありたいと思って稽古に励んだのだろうと思います。その後の事ですが数見先輩は第7回世界大会の決勝戦でフランシスコ・フィリョに敗れ、日本の王座が初めて海外に奪われた時でも試合場や表彰式でも毅然とした姿で姿勢を正し佇むように立っていました。私はその先輩の姿を見て本当に尊敬をしました。私の道場からもそんな選手を育てたいです。今、格闘技界には極真空手で育った子がたくさん活躍していますが、残念ながら極真を感じる選手はいません。それどころか極真空手をやっていた事を忘れてしまったのか?もしくはもう自分の中では極真空手をやっていた事は無かった事になっているのか?と言う選手ばかりです。おそらく極真空手の道場は下地作りの場だと、道場は組手をする場だと考えて稽古をし、極真空手の本当に大切な事は何も学ばずに辞めてしまったのだと思います。いつの世も人の心は変わりません。人の心を本当に感動させるのは勝利だけではありません。ある意味で言えば人間としての本当の真価を問われるのは自分の許容範囲以上の勝利や敗北をどんな姿勢で受け入れるか?です。私は自分の最後の戦いは死だと思っています。自分の真価が問われるのもその時だと思います。この世で最大に嫌な事を最後に受け入れる時にも毅然としている人間でありたいと思い日々修行しています。この世から居なくなる瞬間まで極真でありたいと思います。


2019年02月07日(木) 長男が成長痛に

長男が成長痛になりました。最近、長男は足の付け根が痛いと言うので妻が整形外科に連れて行き診断してもらったところ、成長痛との事でした。考えてみれば長男も4月から3年生になるのだから本当に時が経つのは早いですね。今、子供達との時間を大切にしておかないと、あっという間に時が過ぎ、子供達が親離れする日が来てしまいます。私も子供達のおかげで、小さい頃に好きだったウルトラマンやゴジラなどを一緒に見たりして本当に楽しませてもらっています。


2019年02月06日(水) 長男と次男

長男と次男は2人でお風呂に入ったりするそうです。長男は意外に優しいところがあり、けっこう次男の面倒を見てくれるそうです。最近、妻が消えてしまった写真を復元する事が出来て、長男と次男の小さい頃の写真や動画を送ってくれます。次男が生まれた時は妻が1ヶ月入院していたので、妻の実家にいました。まだ3歳だったのでママと離れて寂しかったと思いますが頑張ってくれました。次男が生まれた時もピョンピョン跳ねて喜んでいたそうです。そしてず長男は、ずっと次男を抱っこしていました。次男に初めてご飯を食べさせたのも長男でした。いつかは2人とも親元を離れて独立していくのだと思いますが、一生仲良くして行って欲しいと思います。最近、長男は大人になったら福島に住むと言い始めました。どうやら妻の実家が農業を営んでいるので、それをやりたいようです。これから長男と次男がどう育って行くかは分かりませんが自分が好きで幸せと思える仕事を一生懸命やって、人の役に立って行ってくれれば、父親として望む事は何もありません。たくさんの方々の協力があっての事ではありますが、私は自分で決めた自分の好きな人生を生きてきました。息子達にもそうあって欲しいと思います。


2019年02月05日(火) ダイエット開始から2週間

1月21日にお酒をやめてから14日、ちょうど2週間が経ちました。炭水化物を摂らずに1日2食と食事制限をしましたが、腰を痛めていた事もあり、あまり体を動かす事が出来ず体重もそんなに落ちませんでしたか。「あー全然、体重が落ちないな、どうせ身体が動かせないのなら、今は普通に食べてお酒も飲んで、腰が治ってから改めてお酒をやめてダイエットを開始した方が効率的だ!」と都合の良い理由をつけて逃げ出そうとする弱い自分が顔を出し、めげそうになりましたが、ここで負けたら男がすたると思い頑張りました。先週の水曜日から少しずつ身体を動かせるようになり、95キロだった体重が91キロになりました。ここからは、さらに身体が動かせるようになって来ると思うのでどんどん効果が出てくると思います。4月20日の国際親善大会までには体重を80キロまで落としたいと思います。


2019年02月04日(月) タイヤ公園でかくれんぼ

昨日は長男と次男とタイヤ公園で遊びました。3人でかくれんぼをしました。次男が1番隠れるのが上手でした。上手すぎて、危うく行方不明事件になる所でした。長男と私で30分以上探しても見つからず、これはタイヤ公園からどこかに行ってしまったのではないかと思い、次男の名前を呼んで探していたら、ようやく次男が顔を出し見つける事が出来ました。次男はタイヤの中に隠れていたのですが、こんな所に人が入れるんだと言う小さいタイヤの中に、タイヤの形に沿って身を隠していました。本当にびっくりしました。もし次男が顔を出さなければ見つけられなかったと思います。子供と言って侮るなかれですね。


2019年02月03日(日) お酒を解禁した日

2007年12月28日に約10年止めていたお酒を解禁しました。止めるときは一生止めるつもりで止めました。友達の結婚式でも同窓会でも、どんな飲みたい時にでも、どんな飲まなくてはいけない時にでも我慢して来たので、私がまたお酒を飲むという事は結構な勇気と決断だったと思います。お酒を止めた理由は、それまでの自分に嫌気がさして自分を変えるためでした。その頃、試合を引退し全てをやり尽くし、妻と出会った事で、自分に嫌気がさしていた事に終止符を打つ事が出来たのかもしれません。それと妻と一緒に飲みたいと心から思ったのです。もしかしたら妻と出会わなければ今でもお酒を飲んでいなかったかも知れません。妻と出会えて自分のトラウマから抜け出せたのだと思います。初めて飲んだ場所は、福島の妻の行きつけの天ぷら屋さんでした。キリンの一番搾りの生ビールを飲みました。凄く美味しかったです。そして凄く楽しかったです。何かに向かっていく一時期にお酒が自分の道を妨げるのならお酒は飲まないほうが良いと思いますが、飲めるのならお酒は飲めた方が自分の人生を楽しくしてくれると思います。


2019年02月02日(土) 出会えた事

私が自分の人生で本当に運が良かったなと思う事は、妻と出会えて結婚出来た事だと思います。好きな人がそばにいてくれる事でどれだけ力になったか?どれだけ支えてもらったか?どれだけ強くなる事が出来たか?分かりません。妻と結婚して10年経ちました。妻が東京に来た2008年1月27日の事は一生忘れません。妻は鍋とハンバーグを作ってくれました。それを食べながらビールとワインを飲みました。付き合って3ヶ月は遠距離で暮らしていたので、一緒に住むようになった日は、これでずっとずっと一緒にいる事が出来るのだととても嬉しかったです。そしてその日は夜明けまでずっと飲み明かしました。子供達が生まれるまでは週末は必ず飲み明かしていたと思います。話しても話しても話が尽きなかったように思います。来年は結婚式と披露宴をしてから10年なので何か記憶に残る事をしたいと思います。


2019年02月01日(金) 46歳

46歳になりました。フェイスブックではたくさんの方々にお祝いのメッセージ頂きました。とても感謝しています。ささやかですが家族と誕生日のお祝い会をしました。45年を振り返ってみれば、良い事も悪い事もたくさんあった人生でしたが、その全ての出来事に感謝しています。そしてまだまだやりたい事はたくさんたくさんあります。決して焦らずに、でも急いで一生懸命に自分のやりたい事を一つ一つ頑張って実現させて行きたいと思います。私は賭け事などには本当に弱く、何かに取り組んでも直ぐには上手く事が運ばず、という一見運の悪い感じの人生を歩んで来ましたが、一つだけ恵まれていると思う事があります。それは人との出会いの縁です。これだけば恵まれています。いつもとても良い人と出会わせて頂き、その方達から多大な影響を与えてもらい、陰に日向にお力を貸して頂いております。その唯一の運を無くさないよう誠実に一生懸命努力精進して行きたいと思います。46歳を一生懸命に駆け抜けて行きたいと思います。


2019年01月31日(木) 長男の書置き

本日で45歳も終わります。45年良い人生をおくる事が出来たことに感謝したいと思います。停滞は後退なりと言いますので、しっかりと前を見据えて、足元を踏みしめて前に進んで行きたいと思います。45歳は最高の年でした。46歳は、その最高を更新して、さらに最高の年にして行きたいと思います。


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