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2018年06月24日(日) 長男の試合

私の運営する道場の組手競技支部内交流試合でした。私の長男も試合に出場しました。長男はここ1年ほど組手の試合では勝つ事が出来なかったので今回の勝利は自信になったのではないかと思います。いつもは下がってしまい負けていたのが、今回は頑張って前に出て打ち合っていたので良かったです。これからも頑張って欲しいと思います。


2018年06月23日(土) サウナ初挑戦

蒲田道場の稽古のあと息子達とゆーシティーと言う銭湯に行きました。2人ともサウナに入りたいというので、3人でサウナに入りました。長男も次男もサウナ初挑戦でした。このゆーシティーは私が21歳の時から来ている銭湯です。先輩や仲間達とも来ていました。数見先輩とサウナ勝負になり30分入っていた事もありました。そのサウナに長男と次男と入る事になるとは夢にも思いませんでした。


2018年06月22日(金) 私の指導方針

私が空手の指導で収入を得て生活するようになります22年になります。初めは指導員として給料を頂いていましたが、自分の道場を出してから15年は空手の指導で道場を経営し、おかげさまで今はその収入で家族を養っています。なので私の1番の仕事は空手の指導をする事です。でもだからそこ私は一生求道者であり挑戦者でありたいと思っています。毎日一生懸命に稽古し空手道を追求し、新たな事に挑戦する中で感じた事や発見した事や気付いた事を生徒達に指導して行きたいと思います。自分の稽古する姿勢で生徒を導いて行きたいと思います。そして子供達には空手を教えるだけではなく教育者でいたいと思います。空手の先生の良いところは、子供達に毎日会うわけではないけれど、子供達と長く付き合う事が出来ます。出来れば生徒と一生付き合える先生になりたいと思います。子供達がいつか大人になった時に一緒に酒を飲める先生を目指したいと思います。


2018年06月21日(木) 書きたい事

毎日一生懸命生きる事を毎日の目標にして活動しています。この日記を書く事もそうです。一生懸命に何かを学んだり、何かを一生懸命に頑張っていれば、いろんな事を感じたり、いろんな事を考えたりします。そうすればこの日記にも書きたい事がどんどん出てくるはずと思って活動しています。何も書きたい事が思い浮かばなくなってしまわないように毎日を頑張りたいと思います。


2018年06月20日(水) 七夕の願い事

雑色道場があるコミュニティーセンターにある竹に七夕の短冊に願い事が書いてあります。私の長男の願い事は「世界一強よい人になれますように」で、次男の願い事は「ウルトラマンになれますように」でした。面白いもので2人の願い事は、私の子供の頃の願い事と同じものでした。私の願い事は2人の願いが叶いますようにです。私は基本的に自分の事で願い事はしません。それは願い事は自分の力で叶えるしかない事を今までの人生で学んだからです。だから私は願い事はありませんが、夢や目標は沢山あります。それを必ず自分の努力で掴んで見せます。


2018年06月19日(火) 次男の言葉

次男が「サン」と言えるようになりました。今までは「サン」を「タン」と言っていました。自分の事は今でも「真白」を「マチロ」と言います。幼稚園の事は「ヨーチェン」と言います。長男も3歳ぐらいの頃は「てんとう虫」を「トントンシー」と言っていました。次男も来年ぐらいには言葉がしっかりしてくるの思いますが、それも少し寂しい気持ちもします。もう少し小っちゃい可愛い真白でいて欲しい気もします。子供達と一緒にいる貴重な時間を大切にしたいと思います。


2018年06月18日(月) 私の尊敬する人

最近、私の父の事を書いていますが、私の父はなかなか壮絶な人生を歩んだ人なので、いろんなエピソードがあります。もちろん私の1番尊敬している人は父です。ですが、ずっとそうだった訳ではありません。父を嫌いだった時期もありましたし、私もそれなりの歳になり、いろんな人と出会い接する中で「父より偉い人なんていっぱいいるじゃないか」と自分はたいした事もしていないくせに、生意気にもそう思っていた時期もありました。でもそんな時期もあり一周して今は父を1番尊敬しています。父が私にしてくれた事を私は子供達にしてあげれるか分かりません。そのぐらいの事を私は父にしてもらいました。そして私も子供達が大人になりいろんな事を経験し、いろんな人を見た中で最終的に尊敬されている父親になりたいなと思います。


2018年06月17日(日) 長男の運動会

長男の通う小学校の運動会でした。この学校には私の道場に通っている子がたくさんいるので本当に楽しく見る事が出来ました。この歳になると涙脆くてダメです。子供達が一生懸命に走っているところやダンスしているところを見るとついつい涙腺が緩んでしまいます。特に長男がダンスをする前に私を見つけ、私に笑って手を振ってくれ楽しそうにダンスをしている姿を見た時はもう涙が止まらなくなりました。元気に育ってくれてありがとうと言う気持になりました。それと6年生の組体操がとても良かったです。あれだけのものを作るのは本当に大変だったのではと思います。前で指揮していた先生が泣いている姿を見て、私も感動しました。一つのものをみんなで一生懸命に作り上げれば感動が生まれるのだなと思いました。もしあの中に自分の子供がいたら私は号泣してしまったかもしれません。それと駆けっこで順位は1番最後でしたが一生懸命走っていた生徒を見た時も涙が出ました。一生懸命走って最後だったという事は自分より速い人達と走ったと言う事です。その中で最後まで一生懸命に走るという事は素晴らしい体験をしたんじゃないかなと思います。私の長男は駆けっこでは2位でした。私が思っていたより速く走れていてビックリしました。なかなかカッコよく走れていました。最後の高学年のリレーはカッコ良かったです!やはり高学年にもなると速いですね!あの中にもし自分の子供がいたら親としては興奮するんだろうなと思いました。家に帰ってから長男と「高学年のリレー、カッコ良かったね!リレーの選手を目指そう!」と話しました。私は1度もリレーの選手になった事は無いので、長男がリレーの選手になるのはなかなか大変だと思います。でも頑張れば不可能ではないと思います。


2018年06月16日(土) 親睦会

今日は道場の親睦会でした。道場生やご父兄様といろんな話が出来て嬉しかったです。特にご父兄様とは子供達の今の状況や家での生活の事や空手に対する取り組み方などいろんな話が出来ました。子供達の将来は、その子に関わった人でその子の将来が決まると思います。もちろん友達や恋人なども大きな影響を与えると思います。でもやはりその子供の土台は小さいうちに子供達に関わる大人の影響で決まると思います。これは私の考えですが、子供達がいろんな大人に関わる事が大切なんじゃないかなと思います。そして出来ることならその子に関わる大人がみんなで手を組んでその子を良い方向に導いてあげたら、子供達は良い成長をしてくれると思います。いろんな役目の大人がいて良いのだと思います。その子を励ます人、厳しくする人、優しくする人、逃がす人、食い止める人、いろんな正解があって良いと思います。でもみんながあまりにバラバラだと子供は都合の良い方に逃げて行きますし、都合の良い話しか聞かなくなってしまうので、ある程度の共通認識を持ってその子に接する事が必要だと思います。そこでやはり中心になるのはお母さんなのかなと思います。お母さんは子供に1番接する人なので良く子供を理解していると思います。なのでお母さんが、お父さんや学校の先生や習い事の先生とコミニケーションを取ってその人達に出来ることを話してその子に接して貰えばより良くなるのではと思います。私も道場の子供達とは一生付き合って行くという気持でいます。子供達の為になるのならどんどん私を利用して欲しいと思います。


2018年06月15日(金) 父と私と息子達の生き方

私の父は中卒ですが自分の力一代で東北電工の協力店となる光電工という会社を設立しました。私は小さい頃は父は高卒だと聞かされていました。何かのキッカケで実は父は中卒だった事を知りましたが、私はそれを知り逆に父をさらに尊敬するようになりました。学がなかった父は会社を設立するまで本当に苦労したと思います。ですが父は仕事は誰よりも早かったです。私は子供の頃から何度も父の手伝いに行っていたので、父が働いている姿はよく見ていました。父は誰よりも仕事が早く一生懸命でした。仕事に対して几帳面で繊細で従業員さんへの気遣いも行き届いていました。ですが怒る時は凄く怖かったです。父は仕事も喧嘩と一緒だと言っていました。私はそんな父の姿を見て人の上に立つ人間というのはこう言う人なんだろうなと思いました。これは母から聞いた話ですが、父は一つの仕事を請け負う際もその仕事はどの位の期間がかかり、旅館代、ガソリン代などの経費がいくらかかるか、従業員さんの給料を引いて、どの位のお金が会社に残るかを大卒で東北電工の社員になった人が計算した明細を見て、その場で頭で計算して訂正していたそうです。そして仕事が終わると父の計算が必ず正しかったそうです。私が父になぜそんな事ができるかを聞いたら、父は「長年働いていればそんな事は分かるんだよ」と言っていました。でも私は父の仕事を継ぎませんでした。それは私は父のようにはその仕事を出来ないと思ったのと、父の後を継いだら私は一生父には勝てないと思ったからです。そして何より自分の道を自分で決めたかったのです。父が一代で何かを築いたように私も自分で何かを築きたかったのです。菅野秀雄二世ではなく、初代菅野秀行になりたかったのです。そして両親はその私の我儘を許して私に沢山の力を貸してくれました。自分の行く道は自分で決めると啖呵を切ったくせに結局私は両親の力をたくさん借りて今を築く事ができました。だから私は息子達に自分の仕事を継がせる気持ちはありません。自分の行く道を自分で決めて欲しいと思いますし、私の父の孫で私の子供なので、必ず自分の行く道を自分で決めてくれると信じています。そして私が両親にして頂いたように、私も息子達の行く道に協力してあげたいと思います。


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