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私は中学生の3年間新聞配達をしていました。なかなか大変でした。朝は4時起きでした。田舎の人達の朝は早いので6時ぐらいには配達を終わらせなくてはいけませんでした。だいたい200軒ぐらいの家に配達していました。200軒と言えば楽そうに思いますが田舎にはマンションなどはないので、ほぼ一軒一軒に配って行きます。この一軒一軒の距離も田舎なので長いのです。隣の家まで500メートルぐらいあったり、たった一軒に配るだけなのに400メートルぐらいの坂を登って行ったりなんて感じでした。なので配達するのに2時間近くかかりました。あとは家を覚えるのがなかなか大変でした。しかも、毎月あの家は新聞をやめたから配達を止めて、あの家に今月から新聞を入れてなどの変化もあります。それと新聞配達にはほとんど休みがありません。土曜も日曜もなく、365日ほぼ毎日配達しなければいけません。それとその区域は自分以外には家を覚えている人はいなかったので休んだら、会社にもお客様にも多大な迷惑をかけてしまいます。でもその責任感があったから3年間休まず頑張れたと思います。1度すごく大変な思いをしました。前日から熱を出し胃腸の弱い私は吐気が止まらりませんでした。その時も新聞配達は休みませんでした。というか母に休ませてもらえませんでした。どうしたかと言うと、母が車を運転し父が助手席に乗り新聞を配達し、私は後部座席で家を母に教えました。私は後部座席でバケツを持ちずっと嘔吐していました。でも父も母も大変だったと思います。普通の親なら、親が会社に電話して休ませるだろうと思います。新聞屋の店長にも「そこまでしなくても大丈夫だから」と言われました。でもこの出来事で私は沢山の事を学びましたし、この出来事が一生の教訓、一生の思い出になりました。今でもたまにこの時のことを両親と話します。
今日はバレンタインデー!私は今年は3個チョコレートを貰いました。今日は妻が用事があり私が長男のお迎えに行きました。門の所で長男を待っていた子が恥ずかしそうに長男にチョコレートを渡しました。長男も照れて顔を赤くしていました。それと長男に手紙付きのチョコレートを家に届けてくれた子がいました。その他に同じ幼稚園の子に2つチョコレートを貰ったようです。長男には、一生分のモテ期を使ってしまわないように気をつけて欲しいです。それから人から受ける思いやりを当たり前に感じる人間にならないように、長男にいろいろ話をしました。次男は1つチョコレートを貰ったそうです。義理を入れてチョコレートの数は、私が3つ、長男が5つ、次男が2つ、でした。早くも長男には負けてしまいました。来年は長男に負けないように頑張ります!でも1番好きな人からチョコレートを貰えたので私は幸せです。
昨日、お台場のダイバーシティにガンダムを観に行った時に、長男にシャア専用ザク、次男にガンダムのプラモデルを買ってあげました。まあ作るのは私なのですがね。子供の頃、私は図工は苦手で物を作るのも好きではありませんでしたが、ガンダムは大好きだったので、ガンダムのプラモデルが欲しくて、朝デパートに並んでガンダムのプラモデルを買った事がありました。1人1つしか買えないので、母と姉と妹にお願いして一緒に並んでもらいました。この事を思い出し、本当に自分は家族に大切にされていたのだと感じます。そんなこんなで今、苦手なプラモデル作りを1日1時間頑張っています。
長男と次男は朝起きて1番にアンパンマンのクレーンゲームで遊んでいました。私は朝一で身体の治療に行き、昼から家族でお台場にガンダムを観に行きました。その後は大道芸を観て、アクアシティのお台場一丁目商店街で駄菓子を買って食べました。最近、次男は私に抱っこ抱っこなので大変です。行きも帰りもお台場でもずっと抱っこでした。私はそのせいで腕がパンパンになってしまいました。電車の中でもずっと抱っこしていたので足腰がキツかったです。でも長男を抱っこしなくなった今は、次男をこうやって抱っこできるのも、あと少ししかないので頑張りたいと思います。
次男の3歳の誕生日の写真をスタジオアリスに撮りに行きました。長男と次男は羽織袴で写真を撮りました。本当はトイストーリーのウッディとバズで写真を撮らせたかったのですが、「絶対にイヤだ!」と長男に拒否されました。そして侍の格好が良いと羽織袴にしました。羽織袴選びでも、私は赤の羽織がカッコイイと勧めたのですが「赤は女の子の色だからイヤだ!」と言い、長男は黒の龍の柄の羽織を選びました。長男はこだわりがあり自己主張が強いです。少し頼もしく思いました。次男はもう一枚可愛いタキシードで写真を撮りました。夜は家族みんなで誕生日パーティーをしました。次男への誕生日プレゼントはアンパンマンのクレーンゲームでした。次男は「わーい!やったー!」言って喜んでくれました。本当に幸せな時間を過ごす事が出来ました。妻と子供達はいつも私に幸せを運んでくれます。本当に人生は良いもんだと思います。
次男の真白が3歳になりました。真白が生まれる時は本当に大変でした。妻は1ヶ月以上入院しました。長男も妻の実家に居たので、おじいちゃん、おばあちゃんが優しいとはいえ、お母さんと離れて寂しかったと思います。でも長男は病院から帰る時も1度も泣いたりはしなかったそうです。その次男が生まれてもう3年かと思うと本当にあっと言う間だったと思います。私は今日は仕事なので、妻と長男と次男でプレ誕生日会をやるそうです。
長男が小学校に入学したら朝一緒に身体を鍛えたり、勉強したりしようと思っています。今はその勉強の教材探しをしています。勉強と言っても五教科ではありません。そこは学校教育にお任せしたいと思います。私が教えたいのは、歴史的な人物の物語や、歴史的な出来事や、私が体験したお話や、フィクションも含め、いろんな物語を読み、それについて自分はどう考えるか?その時に自分ならどんな行動をするか?などを話し合う時間にしたいと思います。いろんな答えを出し合いたいと思います。そしていつか実際に同じような体験をした時に、自分がどう考え、どんな行動を起こしたか、などを反省にしたり、気付きにしたりして成長して行って欲しいと思います。
私は「腐っても鯛」と言う言葉が好きです。正確な意味は、すぐれた素質や価値を持つものは、多少悪い状態になっても、それなりの価値がある。と言う事なのですが、私はこの言葉を、自分がどんな状態になろうと気高く振る舞いなさい。と言う意味に捉えていました。そして自分が失敗したり挫折をしたり敗れてしまった時にこそ自分の真価が問われるのではないか?と思います。「どんなに腐ろうと鯛でいる事はやめないぞ!」そんな気概を持って生きていきたいと思います。
池上本門寺でダッシュをしました。1番長い距離のダッシュは前回より1秒速く走る事が出来ました。2番目に長い距離のダッシュを走り、3番目に長い距離のダッシュを走りました。足が前に進まなくなる感覚、息が上がる感覚、休憩時には筋力と心肺機能の回復力の感覚を確かめます。試合まで残り2ヶ月、ようやく本戦2分、延長戦1分30秒戦い切れる身体になって来ました。何回延長を戦っても気持ちが折れない強い心と身体を作って試合に臨みたいと思います。あと2ヶ月でやれる事をしっかりとやり切って、心・気・体を最高の状態まで作って行きたいと思います。
私を含め、私の家族は、良い意味でも悪い意味でも、凄く個性的で変わっている。ここで言う私の家族とは、私の父と母と姉と妹、そして私の事です。私もなかなか個性的でキャラが濃い方だと思いますが、家族の中に入ると私のキャラが霞んでしまう程です。私の父も母も本当に波乱万丈な人生を生きて来た人です。父と母の話を聞いていると、なにかの物語を聞いているような感じになります。姉も妹もなかなか個性的な人生を歩んでいます。父の話は機会があれば何かに書いておきたいと思います。
kanno
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