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凄く当たり前の事なのですが、自分がこの世の中に生まれてきた事って凄い事なんだなと思います。何が凄いのか?もう考えても考えきれない、もう書いたら書ききれないのですが、この宇宙が始まって生物が生まれた所から考えても、その初めて生まれた生物から、ずっと生命が繋がって行って進化したりして今の人間にたどり着き、そこからさらに自分まで命がたどり着いた。どんな形にしろ、形が変わったにしろ、たぶん生命はずっとずっと繋がって来たのだと思います。言って見れば宇宙が生まれた所から自分の所まで途切れる事なく命が繋がって来た。そう思ったら自分って凄くないか?って思ったのです。自分が生まれて来た事が、運命だとしても、偶然だとしても、本当に凄い事なんだと思います。自分の命に尊敬と感謝の念を持って使い切らせて頂こうと思います。
東京に上京したら食べてみたいと凄く思っていた物はインドカレーでした。もちろん上京した日に食べに行きました。凄く美味しいなと思ったし、こんなに美味しい物がこの世にあったんだとカルチャーショックを受けました。もう一つ初めて食べた時にこの世にこんなに美味しい物があったんだとカルチャーショックを受けた食べ物があります。それは豚骨ラーメンです。この2つは今でも大好物です。
誕生日の日は、山梨県甲府市にある日蓮宗蓮華山正法寺でご祈祷を受けました。毎年、このお寺で自分の星を祭るご祈祷を受けています。そして今年1年の道場の繁榮と家族の健康をお願いしたお札を頂きます。このお寺で、お上人に聴くお話しはとても心が豊になります。自分の心の持ち様を見つめ直す時間になります。今年の干支は丁酉で、本星は一白水星という事です。今まで育ててきた物が実る年に、そして水の様に留まる事無く流れ何事にも順応して行く年にしたいと思います。誕生日に傘富士を見る事が出来ました。そして誕生日の日には沢山の方から誕生日のお祝いのメッセージを頂きました。皆さんに今後とも応援していただける様に、常に自分厳しく謙虚な姿勢で日々精進して行きたいと思います。ある道場生からお祝いの電話をもらいました。ふだんあまり私に話しかけてこない生徒だったので凄くびっくりしましたし、凄く嬉しかったです。もう少しで涙が出てしまうところでした。最高のサプライズありがとう!
本日、私は44歳になりました。44歳の誕生日を幸せに迎える事ができた事を、私の両親と、私のご先祖様と、私の姉と妹と、私の妻と、私の長男と次男と、私に関わって頂いている方々、また私に今まで関わって頂いた方々に感謝したいと思います。私は1973年2月1日の朝4寺過ぎに福島県の霊山町という小さな町の母子センターで生まれました。とても寒い日で、母子センターの暖房器具が故障してためさらに寒かったそうです。その中で母は汗をびっしょりかくほどの難産だったそうです。あと少し生まれるのが遅ければ私は生まれてくる事が出来なかったそうです。私は未熟児だったため身体が弱くなかなか大変な思いを両親にさせました。無事に成長してからはヤンチャし過ぎて両親に大変な思いをさせてしまいました。ここまでして育ててもらったのだから、しっかり自分の命を燃やし尽くすような生き方をしたいと思います。死ぬ瞬間まで生き切りたいと思います。そして人の役に立ちたいと思います。
年が明けたと思ったら、もう1月が終ります。ぼやぼやしていられませんね。2月3月4月は鬼の様に忙しくなります。1年の全ての力をこの3ヶ月に出し切る気持ちで頑張ります。いや自分の人生の全てを賭けるつもりで頑張ります。この3ヶ月をどう頑張るかで私の人生は大きく変わると思います。自分の人生と運命と未来は全てここにかかっています。まさにこの一所に命を懸けて臨みたいと思います。
次男は私のスマホで「アンパンマン」見るのが好きです。私が家に帰ると次男は「パパ、ケイタイ、アンパンマン」と呪文の様にずっと言って来ます。
私は本を読むのが好きです。でも「〜が出来る方法」的な本はあまりというか、先ず読む事がありません。何故かと言うと単純に興味が湧かないからです。私は本で得た知識は直ぐに何かに活かそうとは思っていません。だから今直ぐ何かに活かしたいから本を読む事はありません。何かに役に立つかは分からないけどとにかく興味のある本をたくさん読みます。よく読むのは司馬遼太郎、遠藤周作、村上春樹、スティーヴン・キングの作品です。スポーツ選手の書いた本もよく読みます。空手家の書いた本はもちろんほぼ呼全て読んでいます。私は読んだ本の内容はもう読んだら全部忘れてしまいます。読んだ内容は忘れる事で1度、自分の中で寝かせてしまいます。そして自分が何かを体験した時に、その知識を呼び起こして実感として自分の中に取り込んで行きます。だから知識はあくまで知識として自分の中に入れておいて、自分の体験から知識を呼び起こして取り込んで行く、これが私の知識の身に付け方です。回りくどい、何だって遠回りだと思うかも知れませんが、私にとってはこれが最高の方法です。
私の一番の得意技は左の上段廻し蹴りです。私は右利きですので、本当は右の廻し蹴りが得意でした。しかし空手を始めて半年ほどが経った時に事故で右足の内側側副靱帯と前十字靭帯を断裂し手術をしました。その時から右の廻し蹴りを強く蹴ることが出来なくなり左の廻し蹴りを沢山稽古しました。それで左の上段廻し蹴りが得意になりました。人間には不可能はない事をその時に知りました。手術を受けた少し後に休憩室で辰吉丈一郎選手の試合をテレビで見ました。本当に感動して「俺もいつか絶対に空手でこんな凄い試合をしてみせる」と思い、まだギブスをしている状態でしたが、1人で病院の屋上に行き、基本稽古や拳立てなど自主トレをしました。私はあの事故があったから今でも空手を続けている事が出来たと思っています。怪我の光明どころか、怪我が私の一生を決めたと言っても過言ではないと思います。
冬合宿明けから稽古の量をあげてきたのですが、オーバーワークをしてしまったようです。身体中に故障が出て来てしまいました。今日は針治療に行きました。ここからはしっかりと治療をし怪我を治しながら稽古して行きたいと思います。
あと少しで私は44歳になります。人生、時が過ぎるのは早い早いとは聴いていたけど、本当にそれを感じて来ています。あと1年で空手道に入門して30年になります。「千日を初心とし、万日を極めとする」と言いますが、物事を極めるのはなかなか難しいものです。今自分が確実に決めている事は、死ぬまで空手道を続ける事です。そして空手道を極めたいと思います。
kanno
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