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私が前の道場の指導員を辞めたのは2002年の3月でした。大森道場を出したのはその年の8月でした。当時は極真会館東京城南川崎支部の分支部として大森道場を開設しました。その時には、数見先輩、廣さん、国枝さん、鈴木先輩からお祝いを頂きました。そして、大森道場の開設準備に国枝さん、徳永さん、雨宮くんが手伝いをしてくれました。道場開きにも、私の仲間達がいっぱい来てくれました。その方々にはこの場を借りて感謝を申し上げます。この14年があったのはその方々のおかげだと思っています。本当にありがとうございます。押忍
月曜から妻と長男が帰郷しました。まだ三日目ですが家の中がガラーンとして凄く寂しいです。何をしていても何かが一つ足りない感じがします。
今日は六郷小学校のわくわくスクールでした。昨年に引き続き、2回目となる今回は約40名の子供達が参加してくれました。沢山の元気な子供達に出会えて嬉しかったです。そしてとても良い勉強をさせて頂きました。全然知らない子供達の心の掴み方、子供達がヤル気スイッチを入れやすい雰囲気作りなどなど、収穫がいっぱいありました。
妻と長男と次男が福島に帰京しました。長男にアサガオの水を上げる事、絶対に枯らさない事という任務を与えられました。頑張りたいと思います。
待ちに待った夏合宿も過ぎればあっという間に終わってしまいました。無事故で終われた安堵と、みんなと一緒にいた楽しい時間が終わった寂しい気持ちとが混じった感じでした。帰りの道中に長男が「夏合宿終わっちゃったね。もう思い出になっちゃったね。」と言いました。長男もやっぱり祭りの後の寂しさを感じているのだと思います。
夏合宿の日が来ました。前日の夜は、胸いっぱいの楽しみと、胸いっぱいの不安を抱きながら眠りにつきました。朝5時に起きて5時30分に長男と家を出ました。長男も今日の合宿を凄く楽しみにしていたようで、朝早く起きたのにハイテンションでした。自転車でも電車でもずっと合宿の話をしていました。幸い暑すぎずとても良い天候の中、出発する事が出来ました。遅刻者もなく予定を前倒しでスタートする事が出来ました。稽古も海での自由時間も食事も演芸会も花火も就寝も全て予定通りに進める事が出来ました。
今日は夏合宿で必要な物の買い出しをしました。あいにくの雨だったのでなかなか大変でした。スイカや花火やお菓子や飲み物を買いながら、いろんな事を考え、合宿に向け気持ちが高まって行きます。私はこの時間が大好きです。
長男の育てているアサガオが咲いたそうです。長男は凄く喜んでいたそうです。昨年、長男が育てていたアサガオは咲かずに枯れてしまったので、よけい嬉しかったのだと思います。
売り言葉に買い言葉で啖呵を切って、自分の力で自分の理想の道場を出そうと決めて動き出しましたが、何もかもが上手くいきませんでした。空手の世界しか見た事がない世間知らずでしたし、社会的にもまだまだ若い年齢であった事もあり、また空手の道場は騒音の問題などもあり、なかなか道場を出すテナントを借りる事が出来ませんでした。はじめは新百合ケ丘を探し、その次が鷺沼を探しました。それでもなかなか見つからなかった時に空手の仲間から「大森はテナント募集たくさん出てるよ」と聞き、私の師範に大森で道場を探して良いか許可をもらい、本格的に大森でテナントを探し始めました。最終的に私がした事は、不動産屋さんとも大家さんとも交渉をせず、道場を何故やりたいか?という自分の情熱を話しました。そしたらなんと簡単に話がまとまってしまいました。自分の情熱を言葉にして伝える大切さを私は道場のテナントを借りる事で学びました。
本日、極真会館東京城南京浜支部の本部道場である大森道場の7回目の契約更新を無事に済ませる事が出来ました。大森道場を開設した時は29歳だった私も14年が経ち、気が付いたら43歳です。過ぎた時間は早いものです。大森道場を開設する前は、私は極真会館当時の数見道場の指導員として中延道場の指導をしていました。その道場は出資者が居て、その方が道場の経営をして、私が道場の指導をするという立場でした。その出資者で経営者の方が社長、私が雇われ店長のような感じでした。まだ若かった私はその経営者の方と道場の運営方法の事で口論する事が度々ありました。ある日の会議で私はその経営者の方とまた口論になりました。その時にその経営者の方に「そんなに自分の理想を通したいのならば、自分の力で自分の理想の道場を作ってみなさい」と言われました。私は「分かりました。自分の理想の道場を自分の力で作ってみせます。今までお世話になりました。ありがとうございました。押忍」と言い、その場でその会社を退職しました。さて次の日から戦いでした。道場を出すお金がないどころか、その頃の私は貯金もあるわけもなく、来月からは給料も出ないのです。若さって本当に凄いなと思い、そんな大胆な事をしたその頃の自分を尊敬します。何故その時、私はそんな事が出来たかと言うと、それは自分の考えが100パーセント正しいと信じていたからです。たぶんそれが1パーセントでも足りなかったら、勇気が出なかったと思います。そして権力や金の力に負けたくなかったからです。そんな売り言葉に買い言葉で出た私の行動から、今の極真会館東京城南京浜支部の第一歩が始まったのです。私らしいと言えば私らしいと思います。その経営者の方とは疎遠な時期もありましたが、今も付き合いがあります。ありますどころかその方は私の最大の理解者の1人です。
kanno
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