新世紀余話
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2003年11月20日(木) 防犯ブザー

子供の犯罪被害を減らすため、防犯ブザーを貸し出す自治体が増えているとのこと。
良いやり方だ。
大人にも貸すようにすれば、もっと犯罪被害は減るだろう。


2003年10月12日(日) ヤフー掲示板の大問題

ヤフー掲示板についての最悪の噂があります。
なんと書き込みの大半が、カテゴリー管理者による
複数ハンドルを駆使した自作自演だというものです。

では真偽を確かめようと、こちらもしばらく匿名で利用したところ、
その噂はかなり信憑性が高いとの印象を受ける結果となりました。
(人気カテゴリーはともかく、一部のカテゴリーについては)

ヤフー掲示板は今や、荒らしが野放しとなり、侮辱的投稿も放置され、
2ちゃんねると変わらぬようなヒドイ状況を呈しています。
利用者も、公共掲示板と呼べぬ水準まで落ち込んでいる感じです。

もしかしたら、ヤフーにはびこる荒らしでさえも、
受け持ちカテの不人気ぶりに切れてしまった管理者らが
掲示板を盛り上げようとしてやっていることかもしれないのです。

ヤフー掲示板の余命が短いのは誰の目にもあきらかですが、
列をなして並ぶトピックの大半がヤフー側の「やらせ」と知らされても
驚かない覚悟もしておく必要があるのではと思います。


2003年09月11日(木) 二周忌

貿易センタービルの倒壊から、まだ二年しかたってなかったとは。
もっと、ずっと昔の出来事のように思えるのですが、
世界を揺るがした歴史的大事件としての印象の強烈さのゆえでしょうか。

すくなからぬ人数の日本人も道連れになった、あの自滅テロ。
拉致被害者のことでは某国に怒りを叩きつける日本の世論が
テロ犠牲者のことは早々と忘れてしまっているような。

不思議な気がします。


2003年07月18日(金) 五百円ハイキングはいかが?

まず、最寄りの駅まで行きましょう。
そこから列車に乗り、五百円分の乗車賃で行けるところまで行ったら、駅から降り、歩いて帰ってくるというだけのハイキングです。

弁当や飲み物は持参で出かけます。
一日中、行楽者気分で家までの道中を見物しまくり、たっぷり運動になって、本当に五百円しかかかりません。

地元の地理にもずいぶん詳しくなりますよ。
電車で五百円で行ける範囲というのは、下車した場所を朝から歩きだし、夜までに帰り着くのに、ちょうどいいくらいの距離なんです。

だけど。
いきなり始めたら、へとへとになるし、足にマメはできるしで大変だろうから、初めのうちは、「二百円ハイキング」や「三百円ハイキング」の範囲から馴らしていくようにね。


2003年07月07日(月) 北朝鮮という国……

つくづく思うが、戦時中のニッポンとよく似ている。


2003年06月07日(土) 市民社会の義務とは?

 小林よしのりの「戦争論」では、「国のために戦ってこそ、はじめて市民の資格が得られる」との主張をぶち上げた箇所がある。
 古代ギリシャの市民社会がそうだったから、現代の日本人もそうあらねばというわけだ。

 小林よしのりの言うことだから、もちろん、それは間違っている。
 戦うだけなら、愛国者どころか給金が目当ての外国人傭兵にもできる。
 しかも多くの場合、傭兵のほうがずっと巧みにやってのける。

 だから市民であるとは、戦うか否かを決め、戦いを支えることではあっても、血を流すことそのものではない。
 市民の義務とは、百人の敵を倒した傭兵になくとも市民一人一人には要求されるもの。
 それは、近代国家を運営する一員としての責任を持つことではないだろうか。

 自分の国も世界の中のひとつの国であり、国民として国を誇りにしたければ、その過去の咎までをも受け容れねばと悟ったとき、人は初めて、ひとつの国の市民の資格が得られるのだ。

 こうした基準を適用すれば、「戦争論」にあまりにも影響され、小林よしのりの門弟を自称する者どもは疑いもなく、非国民そのものであろう。
 彼らは、他国を貶め、自国の過去を正当化するばかりで、したがって国民としての義務をまるで果たしていないわけだから。

 自国のやったことをなんでも自分側に都合よく解釈して悦に入る。
 「日本人である」とは、そんないい加減なことではないはずである。


2003年06月06日(金) 納豆のたれ

納豆のパックに付いてくる小さなたれの袋。
いつも納豆二パックに一袋しか使わず、余った分を冷蔵庫に貯めておいたら、いつのまにか一隅を占拠するまでになってしまい、整理することにした。
百袋はあろうかという、この納豆のたれ。
一袋ずつハサミで開封し、液をしぼっていったら、カップ三杯分の量になった。
つゆの素として使えば重宝するだろう。

芸術もこれと同じ。
要は、自分の創造力に価値を認め、微細なひらめきを積み上げようという気を持つか持たぬかだ。


2003年06月05日(木) ドイツと組まなければ災いは避けられた?

 不思議でたまらないのは、「四十年代に、日本はドイツと組まなければ災いは避けられた」と大真面目で主張する御仁のいることだ。
 それらの人々は、問題の核心をまるで見誤っているとしか言いようがない。
 日本が災禍を被ったのは、ドイツと結んだからではなく、ドイツと同じように国民一丸となりファシズムの道を驀進した報いだったはずである。

 実は、災いは一人のアメリカ人を敵にすることによって招き寄せられた。
 フランクリン・ルーズベルト。
 今日、右翼が「日本を開戦に追いやった張本人」とこき下ろす、当時の合衆国大統領。
 タイム誌によって「二十世紀を代表する偉人」に選ばれたこの人物は、わが国が露骨な侵略国家だから目の仇にしたのであり、ヒトラーの相棒になろうがなるまいが、日本が軍国主義からみずからを解き放たないかぎり、同じ扱いを受けた(すなわち敵対者として扱われた)のはまるで疑う余地がないところだ。

 アメリカが日本を追い込んだ最大の理由は、英米両国が覇者としての将来的な適性を備える世界の中で、日本が自国の進む道を、まさにドイツやイタリアと同じかたちで踏み外していたことにある。
 国家も国民もはるかに未成熟だった頃の英語圏諸国によって新時代の正義が遂行されたあの戦争で、イギリスもアメリカも、まったく紳士的で人道的に戦争を進めたわけでなかったのは自明の理だろう。
 にもかかわらず英米両国民は、理想を具現化する場合に発揮される能力というか、実際状況への適応性においてドイツ人や日本人よりもはるかに恵まれており、そうした資質の差の国家的集積が勝敗を分け、歴史をつくったのだった。

 彼らは、勝つべくして勝者となったことを銘記したい。
 「勝てば官軍」だと言い訳する人は、この巨視的事実を見ようとしないだけなのだ。

 ドイツと組もうが組むまいが、日本が武力で周辺地域を従わせようとする国策を捨てないかぎり、すなわち帝国であることを放棄しないかぎり、結局は、前途で災いが待ち受けていたことは確実だろう。

 大ニッポンが存立できる時代は終わりつつあったのだから。


2003年06月03日(火) 隣りのオバアが暴れています!

 以前から気になっていたことで、今更したためるのは遅すぎるほどだし、そのうえ私的な用件で恐縮ながら、近頃とみに訴えたくなったことがある。

 三年ほど前、集合住宅の隣りに越してきたオバさん――まだ若いのかもしれないが、オバさんという呼び方で十分だ!――というのが、どうやら健常な人格の持ち主ではないようなのだ(怖)。

 どういう具合に?
 この日記では今後しばらく、そのオバア(仮名)について語っていこうと思う。
 異常な人格に興味のない向きにはまるで面白くもない読み物となることを保証するが。


2003年04月27日(日) 棄権もまた、投票なり

今日は、地方選挙の投票日。
もっとも、選挙権を行使したことは、これまでに一度もない。
票を入れたくなる候補者というのが、地元では見つからぬままなのだ。

わかってる。棄権しても責任から免れるわけじゃないってことは。
地元の代議士が不祥事をしでかした場合、そんな野郎を選出した地域の住民としての咎は受け入れよう。
それが民主主義社会のルールだ。

本当の話、この腐った町からどんな悪事が明るみに出たって、いまさら驚きはしない。


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