にゃんことごはん
ごはん



 心臓と腎臓の二重苦を ものともせずにわがまま放題

はい、練太郎のことです。

心臓弁膜症を診断されて1年弱、薬のおかげか進行のせず、むしろ少しよくなってはいるものの、17歳という高齢。
しかも昨年来、腎臓結石も患っているのに、石用のフードは食べたがらず。
しかも、今年の春にはストルバイト結石。なのに、PH値を調整するフードは食べたがらず。頭を抱えていました。

先月の検診で、今度は腎臓の値が上がり(しかも、クレアチニン)、腎臓なの石なの状態に。仕方なく高齢猫用のフードと腎臓用で比較的Na値の低いものを選んで、抗生剤と腎臓用のサプリを併用しつつ、心臓の薬も、という絵に描いたような年寄り像。
猫だからかわいいのが、うざいんだけど、かわいい。

ママ大好きっ仔なのに、同年齢のショーや殿のニャンに阻まれて、ママの近くにはなかなか来ることができなかったうっぷんを、ここぞとばかりに晴らしている感を、最近、とみに感じます。
平等に接しているつもりでも、やはり病気の仔がいればそれが優先になります。
特にここ数年は、毎年、病気の仔、突然の新入りの仔、病気の仔、病気の仔と続いたので。

うん、いいんだよ、好きなだけ我儘言って。

トイレも多頭飼いの名残で(少しずつ片づけましたが)3つもあるので、その時々で、新聞紙トイレ、猫砂トイレ、システムトイレを使い分けているという贅沢さ。
ご飯も、見向きもされなかったフードは即封印され、好きなフードは即補充され。
封印したフードはどうしたものか。私の晩酌のつまみにでもしようかね。

で、面白いことに、最近ではあまり甘えてこなくなりました。

なんだろう。
やっと伸び伸びと我儘放題にしている練々を見ると、ほんとうに不憫なことをしたと思います。
特に人間好き、猫嫌いな猫の場合、難しいですよね。

でも、同い年故か、行動パータンが似ていて、仲良くないのになぜかつるんでいるように見えるショーと練の、互いに「解せぬ」という表情が、今でも思い出しては笑ってしまいます。
仲良くないのに、つるんでいるように見える中学生男子のようだったなぁと。
お互いに、「な、おま」「え? なんでいる?」「や、おまえだろ」みたいな感じに、よく顔を見合わせていたなぁ、と。

もうあんな光景は望めません。今思えば、とても幸せな時代だったなぁ。
(いや、今が不幸なわけではありませんが)

新しい仔は責任持てないので、万が一、迎え入れるとしても練のあと。高齢の死にそうな仔しか、無理ですね。
高齢でなくても、病気でもいいけど、とにかく死にそうな猫の「看取り」みたいなボランティア、ないかなぁ。

西日本は豪雨で大変なことになっています。
戦後最大の被害、って、テクノロジーの進化とか、なんとかの進化とか、こういうのには、無力なのと理不尽な怒りが湧いてきます。
こういうとき、絶対に犬猫ほかのペットは、最後に押しやられます。

どうかどうか。早く収束しますように。
早く被災者の方々が、日常を取り戻せますように。
遠く、関東の地から祈っております。

2018年07月12日(木)



 大阪の地震情報に思い出す 過去の大きな地震の時を

関西方面に在住の方、御用があって滞在している方のご無事と、ご親族やお知り合いが、関西方面にいらっしゃる方にとって、安心できる情報が得られますようにとお祈りしています。

今朝、のんびりと食後の後片付けを終えたタイミングで、最大震度6弱の地震の速報。しばらくぼーっとしていました。このところ群馬や千葉で大きな地震が続いていたので、横浜も怖いな、なんて思っていたのに、大阪?!
東北の地震の時、横浜は震度5強で、仕事先にいた私は耐震構造故にぐらぐら揺れる建物の5階にいて怖い思いをしたのを思い出して、頭が真っ白になっていました。
東北にいた方の怖さに比べると怖かったなど言えないレベルなのは重々承知しているのですが、それでも怖かった当時のことを思い出していました。

当時、自宅にいたリュウは、猫たちがダッシュで逃げて「『あ、オレ終わった』って思った」と言っていました。因みに、このときいたのはニャン、ショー、練、キラでした。当時の日記を読み返すと、ニャン、ショーは和室に逃げて(和室は角部屋で2方向がコンクリートの外壁、しかもほかの部屋との境になる一面があり仕切りがコンクリート。背の高い家具もなく割と安全?)、キラはやはり3方向がコンリート壁に囲まれた洗面所の洗面台の下、練だけがなぜか居間のピアノカバーの影にいたそうです。

しばらく頭真っ白で呆然とTV画面をみていましたが、我に返ったところで奈良にいる妹のことを思い出し(この思い出すまでのタイムラグが自分でも不明)、メールをしたら「大丈夫」とのことで、ほっとしてから、最近、ちょっとはまっている役者さん(今風に言うと『押し』?)が、京都で舞台をしているのを思い出してTwitterを確認しました。
仕事以外のツィートをしない方なのですが、無事を確認できてほっとしたのと、ファンの方たちのリツィートに、なぜか涙が溢れてきました。

なんだろう? 別に現地ではないのに。

でも、やはり不安だったりするわけです。被害状況の報道にも、ニュース映像にも息苦しくなります。そこに生きている方たちを思うと、平静でニュースを見ることは、やはり難しいです。

そんなときTwitterの声を通して、短いからこその呟きにそこにいる「人」を感じられるというのが、何某か琴線に触れるのではないでしょうか。
東北の地震のときに、Twitterが活躍したという話をいくつも聞きました。
そういえばLineの既読機能は、東北の地震後に「既読がつく=読んだ=生きている」ということの確認(つまり生存確認)になる、ということで開発されたという話を先日、何かのニュースで見ました。

半面、熊本のときには、面白半分に「呟いた」嘘のツィートが、現場の混乱を招いたこともありました。

とにかく、今回の地震が大きな地震の前震ではなく、このまま収束してくれることを、関東の地から、切に切に願っています。

2018年06月18日(月)
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