にゃんことごはん
ごはん



 合掌

このところ、自分の家のことにばかりかまけていて、すっかりご無沙汰していた親サイトの一惠さんの日記を読んだら、ミュウちゃんが永眠していた。

もう一ヶ月近くも前のことだ。全然、知らなかった。

すごく間抜けな話なのだが、遅ればせながら、合掌。


私は常日頃、のほほんと猫下僕の日々を送っているわけだが、それでも時々、この子たちを送る日のことを、チラッと考えたりしてしまう。
7匹もいるんだから、とは思うものの、7匹だろうが100匹だろうが、この子は唯一のこの子なんだという思いは強い。

話は飛ぶが、私はミッションスクール育ちで、宗教の時間というのが授業にあった。いろいろ聖書について勉強したりするのだが、そういう折に聞いた話に、迷える子羊の話がある(有名な話なので、キリスト教に縁のない人も、もしかしたら知っているかもしれない)。
100匹の子羊を飼っている羊飼いがいて、もし、そのなかの一匹が迷子になったとき、どうするか。残りの99匹をおいといても、その迷子の一匹を探しにいくだろう? つまり神の愛というのも、そういうもので、迷っている子羊(ってのは、我々人間なわけだが)がいれば、気にかけて、正しい道に戻そうと心を砕いておるのだよ、といったような説話だ(すごくいい加減な説明だが)。

子どものころ、私はどうも、このたとえがピンと来なかった。まず、100匹の羊というのが、わからない。そんな大量の羊を見たことがないからだ。羊じゃなくて、と思っても、100だの200だのという単位の生き物を飼ったためしがない。
じゃあ、ヒトケタ下げて、10や20にしても、同様だ。そもそも、生き物を飼う、世話をする、というのが苦手だったのだ。そんな私に羊飼いの心境などわかろうはずもない。

繰り返し繰り返し聞かされたこの話を、ふと思い出したのが、あみっち逃亡事件のときだ。あのとき私は、まさに迷子の1匹の羊を探す羊飼いの心境だった。ほかの子が可愛くないわけじゃない。どうでもいいと思っているわけじゃない。でも、彼らはとりあえず、家にいる。
彼らが家のなかで、伸びたり、丸くなったり、走ったり、食べたり、眠ったりしているのを見るにつけ、「あみっち、どこにいるんだよ」と思った。なんど夜中に、明け方に、「あみっちの声だ」と思って、外に飛び出したことだろう。

ああ、そうか。迷える子羊を探す羊飼いの心境って、これだったのね。
齢40ン歳にして、理解したものだ。

で、こんなふうにダラダラと書き綴って何を言いたかったかというと、一惠さんにとって、ミュウちゃんは、唯一無二のミュウちゃんなんだよな、という、ただ、それだけのことだ。

ミュウちゃん、どうか安らかに。

2003年11月03日(月)



 なんてこったい11月じゃないか

三週間近くも、日記をお休みしてしまった。

我家はひとり用のミニやぐらを出し(これは本来リュウ用だが、猫たちも兼用)、ミニあんかを隠れ家に起き、ミニホットカーペットも電源を入れた。
それでも晴れている日中は、みんなソファの上で丸くなって日向ぼっこをしている。

冬用の通販雑誌が届いた。そのなかに猫の投稿写真コーナーがあって、毎回楽しみにしているのだが、そのなかに二人用のソファを占領している4匹の猫の写真があった。キャプションがいかしている。「いいの、いいの。飼い主は床でテレビ見るから。」

リュウと「ウチのことじゃん」と大笑いしたことは言うまでもない。

◆10月半ばから後半は、仕事の修羅場だのリュウの学校のちょっと大きな行事やサッカーのお手伝いが重なったうえに風邪までひいたため、怒涛のように過ぎ去った印象しかない(修羅場はまだ継続中だけど)。
 笑えたのは、遊水地のグランドでサッカーの試合中、豪雨に遭い、目の前でどんどん水かさの増していく池というのを見てしまったことだ。「早く避難してください」と言われて、あわてて撤収したのだが、やがてグランドは水没した。遭難しないで良かった……。
 残念なのは、そうやってバタバタしていたもので、ボージョレーヌーボーの予約を忘れたこと。今年の欧州は猛暑でブドウの出来が良かったそうなのに。ちょっと悲しい。

* 朝−セロリとチキンとエリンギのカレー(昨日の残り)、レタスのスープ
* 昼−鍋焼きうどん(牛肉、小松菜、ナガネギ、卵)
* 夜−ロールキャベツ(豚肉、玉葱)のクリーム煮withブロッコリー、サバとトマトのチーズ焼き、サラダ(レタス、ピーマン、ベーコン)

2003年11月01日(土)
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